高尾山薬王院有喜寺の御朱印は豪放磊落な書体で、御朱印帳はカラフルです。ルートとしては徒歩かケーブルカーの二通りで、神仏習合の姿を現在まで残す境内は寺と神社がまじりあっています。
是非こちらもご覧ください
御朱印は豪放磊落な書体
御朱印所
御朱印は山門をくぐって左手にある御護摩受付所にて頂けます。
高尾山薬王院は本尊の他に関東三十六不動霊場第八番、多摩新四国第六十八番、さらには東国花の寺といった霊場の御朱印も頂けます。それ以外にも様々な御朱印があるようで、ざっと見たところ全部で10種類くらいありました。
受付時間9:00~16:00
志納金300円
御朱印
数多くある御朱印の中で、今回は本尊である飯縄大権現の御朱印のみ頂きました。山岳信仰の寺院の御朱印らしく豪放磊落な書体です。
過去に頂いた御朱印
平成28年8月14日付です。
御朱印帳はカラフル
高尾山薬王院では様々なタイプのカラフルな御朱印帳も扱っています。
価格1500円~1800円
私の3冊目の御朱印帳はこちらで購入しました。大型サイズで紙質は普通です。
高尾山薬王院の歴史とご利益
高尾山薬王院の創建は744年で、聖武天皇の勅命により東国鎮護の祈願寺として行基菩薩により開山されました。その際に本尊として薬師如来を祀ったことで薬王院という名になったとされています。
室町時代である14世紀後半に京都の醍醐寺から俊源大徳が入り、飯縄権現を守護神として祀ったことで寺院を再興させました。
飯縄権現とは長野県の飯縄山に対する山岳信仰が発祥と考えられる神仏習合の神であり、そのため高尾山薬王院は明治以前の神仏習合の姿を現在に残す寺院となっています。
明治政府により神仏分離令が出されると世間には廃仏毀釈の嵐が吹き荒れますが、その機運をいち早く察知した当時の住職が山麓の一の鳥居、山上の二の鳥居を一夜にして撤去して石灯籠を設置するなど機敏な対応をとるなどして切り抜けることができました。
諸願成就、厄除け、開運、六根清浄、良縁成就、金運向上、商売繁盛などのご利益で知られています。
アクセス
交通
高尾山では登山道を昇るルートと中腹までケーブルカーやリフトを利用するルートと、体力に応じて2通りの方法を選択できます。
登山道を昇る場合は山頂まで1時間半くらいかかります。高尾山といえば誰でも簡単に登れると思いがちですが、最初の30分くらいは「やめときゃ良かった」と思うような急勾配が続くのでそれなりの覚悟が必要です。
高尾山のケーブルカーは日本一の急勾配で知られています。
右手の擁壁に長方形の印がついていますが、ここがケーブルカーの線路としては日本一の急勾配となっている場所です。
高尾山ケーブルの前面展望の動画です。最初はゆるやかだった傾斜が昇るにつれてどんどん急になり、座っている姿勢も次第に前傾していきます。斜度31度18分ということで、感覚としてはほぼ垂直でエレベーターに近いものがありました。
ケーブルカーでお参りする寺社
地図
寺と神社がまじりあう境内
高尾山薬王院の創建は744年で、聖武天皇の勅命により東国鎮護の祈願寺として行基菩薩により開山されました。14世紀後半に京都の醍醐寺から俊源大徳が入り、飯縄権現を守護神として祀ったことで寺院を再興させました。飯縄権現とは長野県の飯縄山に対する山岳信仰が発祥と考えられる神仏習合の神であり、そのため高尾山薬王院は明治以前の神仏習合の姿がしっかりと残っています。
境内案内図
浄神門
ここが薬王院の入り口で、看板には「霊氣満山」と書かれています。
男坂・女坂
浄心門を抜けて進むと道が二手に分かれます。
右が緩やかな傾斜が続く女坂、左が急な石段の後は平たんな男坂です。男坂の石段は108段あるようです。
山門
武将姿の四天王が門の四方を守っています。
仁王門
17世紀後半から18世紀前半にかけて建立されたと考えられています。
御本堂
1901年に建立された寺院で、薬師如来と飯縄権現を祀っています。
飯縄権現堂
1729年に建立された飯縄権現を祀る神社で、社殿の前には鳥居もあります。明治政府により神仏分離令が出されると世間には廃仏毀釈の嵐が吹き荒れますが、その機運をいち早く察知した当時の住職が山麓の一の鳥居、山上の二の鳥居を一夜にして撤去して石灯籠を設置するなど機敏な対応をとるなどして切り抜けることができました。
建物は鮮やかに彩色され、見事な彫刻が施されています。
本殿
富士の絶景を見ることができる高尾山頂
高尾山の山頂からは天気が良ければ遠く富士の絶景を見ることができす。毎年冬至に太陽が富士山頂に沈む「ダイヤモンド富士」を見ることが出来ます。
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