御朱印とうどんを極めたい!!

乃木坂46のライブ映像を見ながらウイスキーを飲む時間が至福です。

〖見どころ〗甲斐善光寺の直書き御朱印と「お戒壇廻り」「日本一の鳴き龍」

甲斐善光寺の御朱印は2種類で、直書きはそのうちの1種類です。信州善光寺の本尊を持ち帰った武田信玄が創建した神社で、「お戒壇廻り」や「日本一の鳴き龍」など様々な見どころがあります。

甲斐善光寺の直書き御朱印

御朱印所

甲斐善光寺の御朱印所

甲斐善光寺の御朱印は金堂に入ってすぐ右手にあります。こちらでは通常の御朱印に加え、季節に応じた「鳴龍」の2種類を頂けます。御朱印帳に書き入れて頂けるのは通常御朱印のみのようです。

受付時間 9:00~15:00

志納金 500円

御朱印

「善光寺如来」と記された御朱印

「善光寺如来」と記された直書き御朱印を頂きました。直書きで頂けるのはやはり有難いものです。

オリジナル御朱印帳

甲斐善光寺では2通りのデザインのオリジナル御朱印帳を扱っています。全て小型サイズで、色はそれぞれ4通りずつあります。

価格 1500円~2000円

甲斐善光寺の歴史

甲斐善光寺は武田信玄により創建された浄土宗の寺院です。

中央線から見た甲斐善光寺

笹子トンネルを抜けて甲府盆地の淵をなぞるようにして平地に下ってきた中央線沿いに位置しており、酒折を過ぎると進行方向右手に金堂の屋根を望むことができます。

1542年に甲斐国の実権を掌握した信玄は信濃国に侵攻して各地を制圧し、さらに北信濃に進出を図ったことで越後の上杉謙信との間で軍事上に緊張状態が発生しました。これによって発生したのが五次にわたる川中島の合戦です。これは両軍による善光寺の争奪戦という要素もあったようで、様々な攻防の後の1558年に信玄は信州善光寺の本尊の善光寺如来や宝物類を甲斐に持ち帰りました。

甲斐善光寺の造営は長期に渡るものとなったために善光寺如来は仮堂に収められ、金堂が完成したのは1565年になってからです。

1582年に武田家が滅亡すると善光寺如来は織田信長長男の信忠により岐阜へ移され、そのため甲斐善光寺では前立本尊を本尊と定めました。本能寺の変で信長親子が死ぬと次男の信雄により清州に移され、1583年には徳川家康が一旦甲斐善光寺に戻しますが1597年に豊臣秀吉により京都に移されてしまいます。

京都で天変地異が相次ぐ中で秀吉は病に侵され、これが善光寺如来の祟りではないかとする風説が流布したため、秀吉の命により本尊は1598年にようやく品の善光寺に戻りました。(それでも秀吉はその翌年に死にます。)

1754年に発生した火災により境内は全焼してしまいますが、1766年になって再建に着手され、何と30年後の1796年になってようやく現在の姿に戻されました。

アクセス

交通

JR中央線酒折駅下車徒歩約15分

JR身延線善光寺駅下車徒歩約7分

(電車の本数を考えると酒折駅を利用するのが便利と思われます。)

地図

山梨県の寺社

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境内の見どころは「お戒壇廻り」と「日本一の鳴き龍」

山門(重要文化財)

甲斐善光寺の山門

もともとの建物は1754年の火災により焼失しましたが、本堂に先立って再建され1766年に上棟式が行われました。

甲斐善光寺の山門と電柱

朱塗りの柱に白壁という構造で、重厚さの極みだった信濃善光寺の建物に比べると明るさが感じられました。しかしこうしてみると電柱が致命的に邪魔だと思います。

両脇の仁王像

仁王像

両脇に安置された仁王像は腕が一部欠けていましたが、逆に一層の力強さが感じられました。

鐘楼

甲斐善光寺の鐘楼

武田信玄により信濃善光寺より移されたもので、引きずった際の傷が残っているそうです。

金堂(重要文化財)

甲斐善光寺の金堂

高さ27m、奥行49mという東日本では最大級の木造建築で、信濃善光寺の前立本尊として造立された阿弥陀三尊像を本尊として祀っています。

斜めから見た甲斐善光寺の金堂

本堂中陣天井には巨大な龍2頭が描かれています。廊下の部分は吊り天井になっており、床の印の上で手をたたくと多重反射による共鳴が発生してビリビリとした残響がしばらく残ります。有名な日光東照宮のものよりもわかりやすく、そのため「日本一の鳴き龍」と呼ばれています。

本堂下には信濃善光寺と同様に「お戒壇廻り」があり、「漆黒の闇」の中の鍵に触れることで本尊と縁を結ぶと言われています。何も見えない本当の闇なので見逃す人も多いようですが、左手の壁沿いに進むと腰の高さにあります。

単なるミニチュア版善光寺ではなかった

甲斐善光寺の境内

広大な敷地に数多くのお堂や塔頭が詰め込まれた信濃善光寺に対し、現在の甲斐善光寺はミニチュア版と言ってもいいほどの規模だったと思います。

しかしその分だけしっかりとまとまっており、印象も濃密なものとなりました。

境内から見た富士山

境内からは天気が良ければ富士山を望むことができます。

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