鳥取県の金持神社(かもちじんじゃ)は伯備線根雨駅から徒歩約45分の位置にある縁起のいい名前の神社です。御朱印は基本的に書置きですが、金色の御朱印帳を購入すれば直書きしてくれます。境内は金運上昇のパワースポットとして大人気です。
金運UPの御朱印
御朱印
金持神社の御朱印は社殿向かって右手の授与所で頂けます。
御朱印は全て書置きとなっていました。これがコロナ対策の一時的なものなのか恒久的なものなのかはわかりません。
志納金
白の御朱印 300円
金の御朱印 500円
御朱印帳
こちらでは金持神社の名前にふさわしく金の御朱印帳(2000円)を発売しています。
それ以外に御大典記念御朱印帳(5000円)も発売していました。表面は一層金ぴかに輝いており、間の蛇腹の紙も金色という信じがたいものでした。
御朱印
私は御朱印帳を購入したため、こちらに直書きで頂きました。「金運」を前面に出した御朱印です。
縁起のいい名前の由緒
鳥取県日野郡日野町には金持という日本唯一の縁起のいい地名があり、そこには金持神社という日本一ご利益がありそうな神社があります。
社伝によれば金持神社の創建は平安時代の810年とされています。出雲国薗妙見宮(現在の長浜神社)の神官の次男が式年遷宮が行われている伊勢に出発する際、「道中安全のため」として神社の前の玉石をお守り代わりに袋に入れて身に着けていました。しかしちょうどこの地を通りがかった際に袋が急に重くなり、仕方なく袋を置いて伊勢に急いだといいます。
ちょうどその頃現在の宮司の祖先である梅林家当主の夢に神が現れ、この地に神社を建てることを命じます。そこで玉石を御神体として祀ったのが金持神社の起源です。
鉄の部品を金具と呼ぶように日本人は古より鉄のことを金(かね)と読んでいました。この地は『玉鋼』の産地で原料の真砂鉄が採れる谷が数多く持っていたことから、地名もまた「金持」と呼ばれるようになったと伝えられています。
この地の豪族の金持景藤は1333年に隠岐を脱出した後醍醐天皇を奉じて討幕の軍に参加し、その際に金持神社に必勝祈願したといいます。
アクセス
交通
伯備線根雨(ねう)駅より徒歩約45分(実際にこのくらいでした)
地元のバス便もないことはないようですが、現実問題としては徒歩かタクシーしかなさそうです。
根雨駅は特急停車駅です。
駅を出て役場の前の道を向かって右方向にひたすら道なりに進んでください。最終的に181号線と合流します。
役場が面した道はかつての出雲街道で、出雲藩主は参勤交代の際は必ず根雨に宿泊しました。宿舎である本陣の門が残っています。
明治初年に建てられた日野町公舎の横を通ります。
かつての宿場町を抜けたようです。
川の反対側から181号線が近づいてきました。
181号線と合流します。
「高尾」交差点は直進します。
交差点に面した壁に神社の案内看板が設置されていました。
セメント工場の横を通ると残り僅かです。
右手の橋を渡れば金持神社の参道です。
人が立っている場所の右前に鳥居があります。
地図
金運上昇のパワースポットである境内
大鳥居
扁額にしっかりと「金持神社」と記されています。
石段
社殿に向けてかなり長い石段があります。
鳥取県銘木
金持神社境内には鳥取県銘木100選の一つで樹齢600年と言われるサワラとチャンチンの2本があります。
チャンチンはセンダン科の薬木で目薬に用いるもので、鉄生産の予防薬として中国より取り寄せたものと考えられています。石段の下にあります。
サワラは神社の遷宮の際に屋根のコワ材として利用するために植えられたものと考えられています。石段の上にあります。
拝殿
石段を上がりきった場所にあります。
龍の彫刻が取り付けられています。
社殿内には筆を一切使わず手・指・爪で描かれた「龍神之図」が奉納されています。
本殿
根雨駅の注意点
根雨駅は特急停車駅ではありますが、駅周辺に昼食を購入できそうな売店は一切ありません。
駅の反対側にローソンはあるのですが、近そうに見えてとんでもなく遠回りになるので避けるのが賢明です。
岡山まで昼食を食べられないことを本気で覚悟していたので、パンの自販機があって本当に助かりました。
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