横浜市金沢区の称名寺では大変に力強い書体の御朱印を頂けます。住宅街の中に突如として出現する寺院で、大変に美しい浄土庭園が印象的です。除夜の鐘や桜並木で知られていましたが、最近は大きく変わってしまったようです。
是非こちらもご覧ください
称名寺の御朱印
御朱印所
称名寺の御朱印所は金堂左手の書院です。
正面入り口から入って左手で受け付けてくれます。
こちらでは通常御朱印に加え、「ぼさつの寺めぐり」特別御朱印の2種類の御朱印を頂けます。直書き御朱印は通常御朱印のみです。
受付時間9:00~16:30
志納金300円~500円
御朱印
今回は通常御朱印のみ頂きました。寺院特有の大変に力強い直書き御朱印です。
過去に頂いた御朱印
平成30年3月10日付です。
美しい浄土庭園が印象的な称名寺
称名寺の庭園は1319年から翌年にかけて造られたもので、極楽浄土の姿を再現するために金堂の前に池が広がる典型的な浄土庭園の姿となっています。古図や発掘調査の成果に基づき1987年に復元整備が完了しました。
阿字ヶ池を中心に反橋・中島・平橋を配しており、橋を渡りきると極楽浄土に辿りつくようになっています。浄土庭園は京都の平等院が代表的で、関東でこれだけの規模のものは貴重な存在です。
手前に配された池中立石は「美女石」と呼ばれており、夕日が落ちる池の美しさにさる姫君が池に転落した伝説に由来しているといいます。
庭園で有名な寺院
称名寺の由緒
鎌倉幕府の重臣だった方丈実時の屋敷だった
称名寺は13世紀半ばに鎌倉幕府の重臣であった北条実時が屋敷内に建てた阿弥陀堂が起源だとされています。
その後二代、三代の間に大規模な造営が行われ、1323年の「称名寺絵図(重要文化財)」では苑池の周囲に七堂伽藍を配した最盛期の姿が描かれています。北条氏の滅亡により鎌倉幕府が崩壊すると寺は衰退して伽藍が荒廃し、創建当時の姿を完全に失ってしまいました。
江戸時代になると復興し、現存する建物がこの頃再建されたものです。
現在では境内は国の史跡に指定されています。
金沢文庫を創設した北条実時
鎌倉幕府第3代執権の北条泰時の甥であった実時は第4代執権の経時から8代執権の時宗まで側近として幕府の補佐を務め、最初の元寇である文永の役の翌年引退するとこの地に在住します。文化人であった実時は和漢の書の収集に努め、集めた書を保管する書庫として創設したのが日本初の図書館であるとされる金沢文庫です。
北条氏の滅亡後文庫は衰退し、徳川家康などによる蔵書の持ち出しが相次ぎましたが、明治になって再建され蔵書の回収も進められました。
現在では神奈川県立金沢文庫として称名寺に隣接した場所に位置しています。
称名寺境内とはトンネルで結ばれています。
アクセス
交通
京急線金沢文庫駅徒歩約12分
地図
称名寺の境内
惣門
赤門とも呼ばれており、1771年に再建されました。
仁王門
1818年に再建されました。
金堂
1681年に再建されたものです。
釈迦堂
1862年に建立されました。
鐘楼(重要文化財)
このあたりの景色の美しさは鎌倉時代から知られていましたが、江戸時代に入りその中でも特に美しい八か所の風景を歌川広重が「金沢八景」として浮世絵に残しました。
その一つが称名寺の鐘楼を描いた「称名の晩鐘」です。
大みそかの晩に参拝客が撞く除夜の鐘の音はこの地域の風物詩でしたが、老朽化により現在は中止されています。
新宮跡
境内の外れにあります。
境内の桜が一変していた
称名寺の惣門から仁王門までの約140mの参道左右には合計28本の桜が植えられており、春には見事な桜のトンネルが現れていたものです。
その美しい景色が印象に残っていたため見頃になるタイミングに合わせて久しぶりにお参りしたのですが、桜並木は衝撃を受けるほど変わっていました。事情はよく分からないのですが、残念でなりません。
このブログのイチオシ記事
「評価に値する」と思われたらワンクリックお願いします。読者登録とブックマークを頂けるともっと嬉しいです。