横浜市金沢区の称名寺では大変に力強い書体の御朱印を頂けます。住宅街の中に突如として出現する寺院で、大変に美しい浄土庭園が印象的です。京浜急行線には「金沢文庫」「金沢八景」という駅名がありますが、称名寺はこれらの名前にも関係しています。
称名寺の御朱印
御朱印所
称名寺の御朱印所は金堂左手の書院です。
正面入り口から入って左手で受け付けてくれます。
受付時間9:00~16:30
志納金300円
御朱印
寺院特有の大変に力強い御朱印を頂きました。
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美しい浄土庭園が印象的な称名寺
称名寺の庭園は1319年から翌年にかけて造られたもので、極楽浄土の姿を再現するために金堂の前に池が広がる典型的な浄土庭園の姿となっています。
池の中央に島があり反橋と平橋を経て金堂に至るという造りは浄土曼陀羅の構図に基づいたものです。
この角度からの眺めは日本を代表する浄土庭園である平泉の毛越寺の庭園そのものでした。
称名寺の由緒
鎌倉幕府の重臣だった方丈実時の屋敷だった
称名寺は13世紀半ばに鎌倉幕府の重臣であった北条実時が屋敷内に建てた阿弥陀堂が起源だとされています。
その後二代、三代の間に大規模な造営が行われ、1323年の「称名寺絵図(重要文化財)」では苑池の周囲に七堂伽藍を配した最盛期の姿が描かれています。北条氏の滅亡により鎌倉幕府が崩壊すると寺は衰退して伽藍が荒廃し、創建当時の姿を完全に失ってしまいました。
江戸時代になると復興し、現存する建物がこの頃再建されたものです。
現在では境内は国の史跡に指定されています。
金沢文庫を創設した北条実時
鎌倉幕府第3代執権の北条泰時の甥であった実時は第4代執権の経時から8代執権の時宗まで側近として幕府の補佐を務め、最初の元寇である文永の役の翌年引退するとこの地に在住します。文化人であった実時は和漢の書の収集に努め、集めた書を保管する書庫として創設したのが日本初の図書館であるとされる金沢文庫です。
北条氏の滅亡後文庫は衰退し、徳川家康などによる蔵書の持ち出しが相次ぎましたが、明治になって再建され蔵書の回収も進められました。
現在では神奈川県立金沢文庫として称名寺に隣接した場所に位置しています。
稱名寺境内とはトンネルで結ばれています。
アクセス
交通
京急線金沢文庫駅徒歩約12分
地図
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称名寺の境内
総門
赤門とも呼ばれており、1771年に再建されました。
参道
鎌倉五山の寿福寺の参道を思わせる石畳が敷き詰められた参道です。
光明院表門
称名寺の塔頭であった光明院の表門で、1665年に建てられました。造営年代のはっきりとしている横浜市内の建築物としては最古の物です。
仁王門
1818年に再建されました。
金堂
1681年に再建されたものです。
釈迦堂
1862年に建立されました。
金沢八景の一つである鐘楼
このあたりの景色の美しさは鎌倉時代から知られていましたが、江戸時代に入りその中でも特に美しい八か所の風景を歌川広重が「金沢八景」として浮世絵に残しました。
その一つが称名寺の鐘楼を描いた「称名の晩鐘」です。
新宮跡
境内の外れにあります。
お骨は骨壷や骨袋に納め、耐久性に優れた厨子にて保管。フロントにて参拝受付を頂きますとお選びいただいた参拝室まで厨子が自動で運ばれます。
★スマホでご覧の方はPCでも見ていただきますと写真がよくわかります。
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