御朱印とうどんを極めたい!!

思うところがあってブログタイトルをリニューアルしました。今後とも一層の御贔屓をお願い申し上げます。

〖読み方〗毛越寺の2種類の直書き御朱印と見どころでいっぱいの伽藍

平泉の毛越寺(もうつうじ)では大変に美しい書体の御朱印を頂けます。境内は学術上の価値が高くユネスコ世界遺産に登録されており、庭園の美しさには魅了されます。

大変に美しい書体の直書き御朱印

御朱印

山門札所

御朱印は山門札所で頂けます。

受付時間

3月5日~11月4日 8:30~17:00

11月5日~3月4日 8:30~16:00

志納金 500円

四寺廻廊の御朱印が別にある

四寺回廊の御朱印帳

慈覚大師円仁が開山したと伝えられる山寺の立石寺・松島の瑞巌寺・平泉の中尊寺と毛越寺を総称して四寺廻廊(しじかいろう)と呼んでおり、専用の御朱印帳も用意されています。

御朱印は直書き

毛越寺の御朱印

世界遺産の名に恥じぬ美しい書体の御朱印を頂きました。

過去に頂いた御朱印

世界遺産の名に恥じぬ毛越寺の美しい書体の御朱印

平成29年7月5日付です。

最盛期には「古今無双」と評された毛越寺

毛越寺は850年に天台宗の高僧である慈覚大師が創建したとされています。その後荒廃していましたが、奥州藤原氏二代基衡から三代秀衡の時代に多くの伽藍が整備されました。

最盛期には堂塔40僧坊500を数え、中尊寺をしのいで「吾朝無双」と評されるほどの規模と華麗さであったといわれています。

奥州藤原氏が滅亡して以降、度重なる火災で全ての建物が消失してしまいます。江戸時代になると仙台藩領になって伊達氏の保護を受け1728年に常行堂だけは再興されますが、それ以外は水田となって埋まってしまいました。

平成元年に本堂が再建されて現在に至っています。

世界遺産に登録された毛越寺境内

平安時代の遺構が完全な状態で保存されている

毛越寺境内遺跡

毛越寺境内遺跡は1954年より5か年にわたって全面的に発掘調査がなされ、その規模や構造などの全容がほぼ解明されています。

遺跡の姿

遺跡は現在の毛越寺の境内にあって旧来の姿をとどめており、堂宇や回廊の基壇、礎石、土塁など堂跡の保存状態はきわめて良好でした。

池もかつての姿をよく残しており、平安時代の伽藍形式を示すものとして学術上の価値が高いとされています。

かつての姿を残す池

浄土庭園と平安時代の伽藍遺構がほぼ完全な状態で保存されていることで国の特別史跡・特別名勝の二重の指定を受け、2011年にはユネスコ世界文化遺産に登録されています。

極楽浄土の姿をこの世に再現しようとした「浄土庭園」

毛越寺を象徴する浄土庭園は仏教の浄土思想の影響を大きく受けたもので、仏堂と苑池とを一体として配すことにより極楽浄土の世界をこの世に再現しようとしたものです。

小山を背景とした立体感のある空間

寺院の主要建築である金堂や阿弥陀堂の前面に池をつくって蓮を植え、花園を設けるなどの特色があります。北側にある小山を背景とすることにより、立体感のある空間が拡がっています。

浄土を空想させる池

華麗な堂塔が池面に映ることで浄土を空想させるよう伽藍の配置においては池の占めるウェイトが非常に大きくなっており、その周辺には様々な自然の景観が表されています。

アクセス

交通

東北線平泉駅徒歩約11分

地図

毛越寺の境内

山門

毛越寺の山門

元は一ノ関藩田村家藩邸の中門で、1922年に寄進されました。

本堂

毛越寺の本堂

平安様式の建物で、平成元年に建立されました。

開山堂

開山堂

毛越寺を開いた慈覚大師円仁を祀る堂です。

遣水

遣水

遺水は奈良の宮跡庭園以外では例の無かったもので、発掘調査中に完全な形で発見されました。

「曲水の宴」の写真

曲がりくねる水路の流れに、水切り、水越し、水分けなどの石組が配されており、「曲水の宴」の舞台となります。

常行堂

常行堂

1732年に仙台藩主伊達吉村の武運長久を願って再建されました。

鐘楼堂

鐘楼堂

現在の鐘は1975年に人間国宝である香取正彦氏により製作されたものです。

見どころでいっぱいの毛越寺伽藍

毛越寺伽藍復元図

最盛期の毛越寺の伽藍はこのようなものであったといいます

現状の毛越寺案内図

現状の毛越寺拡大図

現状の毛越寺で、復元図とほぼ一致します。

嘉祥寺跡

最も左手(⑧)にある嘉祥寺跡です。

講堂跡

中央の上部(⑨)にある講堂です。

経楼跡

中央下部(⑪)にある経楼跡です。

金堂円隆寺跡

右側(⑩)にある金堂円隆寺跡です。どれも基礎部分がしっかりと残されています。

優美さと簡素さを併せ持つ観自在王院跡

観自在王院は二代基衡の妻によって毛越寺に隣接して建立された寺院ですが、火災により焼失し、その後は荒廃して水田となっていました。

観自在王院跡

昭和に入ってからの修復事業により、優美ではありながらも簡素である庭園が復元され、国の名勝に指定されています。

観自在王院跡

中尊寺や毛越寺と同様に、ユネスコ世界文化遺産に登録されています。

庭園の美しさには魅了される

兵どもが夢の跡

かつて広大な境内に大伽藍が建ち並んでいた毛越寺ですが、今は本堂、常行堂の他、大泉が池と様々の石組からなる浄土庭園、堂宇や回廊の基壇、礎石、土塁、それに堂塔十余、僧坊十七坊が残されているのみです。まさに「兵どもが夢の跡」と言ってもいいかもしれません。

極楽の一つの形

しかしたとえ火事で焼け落ち、昭和まで埋まっていたとはいえ、土壇と礎石だけであっても現代まで生き残ったことで世界遺産として多くの観光客を集める魅力的な空間に再生されました。藤原基衡が再現しようとしたものとは全然違うものとなりましたが、これもまた極楽の一つの型ではないでしょうか。

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