御朱印とうどんを極めたい!!

思うところがあってブログタイトルをリニューアルしました。今後とも一層の御贔屓をお願い申し上げます。

〖御開帳〗善光寺の歴史と信濃善光寺の始まり 約5万9000㎡の境内の回り方

長野の善光寺で頂ける御朱印と御朱印帳をご紹介します。約5万9000㎡という広々とした境内のあちこちに御朱印所が点在していて種類も多いため、漏れなく頂くためには事前の下調べが必須です。日本最古とされる仏像を本尊とするとにかく古い寺院です。

善光寺の御朱印所は全6か所(宿坊除く)

善光寺の配置図善光寺の配置図です。赤線を引いた5カ所と矢印の方向に進んだ山の中腹にある雲上殿の6か所で頂けます。その他宿坊でも頂けるようですが、今回はこの6カ所で頂いた全13種類の御朱印をご紹介します。

志納金は基本的に300円で、限定の特別御朱印になると500円のようです。

善光寺本堂の御朱印

御朱印所

本堂の御朱印所本堂の御朱印所は山門前の店舗内にあります。御朱印帳を預けてから1時間後くらいにできあがっています。

御朱印帳

善光寺の御朱印帳の表紙

善光寺の御朱印帳の裏表紙

善光寺では本堂御朱印所でオリジナルの御朱印帳を販売しています。

善光寺の御朱印帳

大型サイズで紙質や質感も最高であり、大いにお勧めできる御朱印帳です。私にとって1冊目の御朱印帳で、私が御朱印にはまった理由の半分はこちらの御朱印帳にあります。

御朱印

善光寺本堂

善光寺本堂の最新の御朱印

ちなみに左上に「前立本尊御開帳」という印が押されています。

御詠歌

善光寺本堂の5種類の御朱印の内の御詠歌が記された御朱印

おやこ地蔵

善光寺本堂の5種類の御朱印の内の「おやこ地蔵」と記された御朱印

びんずる尊者

善光寺本堂5種類の御朱印の内「びんずる尊者」の御朱印

山門

善光寺本堂の5種類の御朱印の内、「文殊菩薩」と記された山門の御朱印

金文字の御朱印

本堂内の「お戒壇めぐり」出口付近で頂ける金文字の書置き御朱印

本堂内の「お戒壇めぐり」出口付近では金文字の書置き御朱印を頂くこともできます。

大本願の御朱印

大本願参道に入ってすぐ左手に大本願があります。

御朱印所

大本願の御朱印所

5種類の御朱印ここでは5種類の御朱印が頂けますが、①は善光寺本堂と同じです。

御朱印

大本願(善光寺上人)

5種類の御朱印の内②の大本願(善光寺上人)の御朱印

文殊菩薩

大本願で頂ける5種類の内の④「文殊菩薩」の御朱印

釈迦堂の御朱印

御朱印所

釈迦堂参道の途中で右に折れると善光寺山中にある大勧進25院の一つである世尊院があります。本尊に釈迦涅槃像(重要文化財)を祀っているため釈迦堂とも呼ばれています。また善光寺七福神の毘沙門天も祀られています。こちらの御朱印は堂内で頂けます。

御朱印

「釈迦如来」と記された釈迦堂本堂の御朱印

今回は本尊の御朱印のみ頂きました。これ以外に善光寺七福神の毘沙門天の御朱印も頂けます。

大勧進の御朱印

大勧進山門をくぐる前に左手に進むと池の奥に大勧進があります。

御朱印所

護摩堂大勧進の御朱印所は護摩堂の左手です。

大勧進の御朱印一覧表

こちらでは五種類の御朱印を頂けますが、そのうち2種類は善光寺と同じです。

御朱印

善光寺如来

大勧進で頂ける3種類の御朱印の2番目

善光寺不動尊

大勧進で頂ける3種類の御朱印の3番目

日本忠霊殿の御朱印

御朱印所

日本忠霊殿本堂北西には戊辰戦争から先の大戦までの戦争で亡くなった240万もの戦没者を祀り日本忠霊殿があります。またこちらは善光寺資料館も併設しています。御朱印は堂内で頂けますが、その旨の案内はないので、こちらから職員に言うしかありません。

御朱印

日本忠霊殿の書置き御朱印

日本忠霊殿の御朱印は書置きです。

雲上殿の御朱印

雲上殿

善光寺雲上殿は、善光寺本堂から北へ約1km、地附山の中腹にあって善光寺平を一望する大納骨堂です。阿弥陀如来の慈悲に包まれたこの地に故人の遺骨を納め、その遺徳を偲び、極楽浄土を祈ることができます。

御朱印所

御朱印所御朱印所はこの中です。

御朱印

善光寺雲上殿の堂々たる書体の御朱印

堂々たる書体の御朱印です。

歴史が古すぎる善光寺

信濃善光寺の始まり

善光寺の最大の特色はその歴史の古さです。善光寺如来とも呼ばれている本尊の一光三尊阿弥陀如来は日本に仏教が伝来したまさにその時に伝えられた日本最古の仏像ともいわれています。その後642年に現在の地に移され、644年に本堂が整備されて善光寺が誕生しました。

大勧進と大本願で住職が二人いる

仏教伝来の直後でまだ各宗派に分かれる前の創建であるため、善光寺に宗派というものはとくにありません。山内にある天台宗の大勧進と浄土宗の大本願という二つの寺院により運営されており、住職も二人います。

戦国時代の英傑たちに翻弄された

戦国時代に善光寺平は武田信玄と上杉謙信の戦いの場となりますが、善光寺の焼失を畏れた信玄が本尊を甲府に遷しました。そして織田信長が武田家を滅ぼすと拠点である岐阜へ、本能寺の変の後は徳川家康の手で遠江、そして豊臣秀吉の手で京都といった具合に時の権力者の手により本尊は各地を転々としましました。最終的に秀吉の命により信濃に戻るのですが、病に倒れた秀吉が「本尊の祟り」という噂を気にしたからだといわれています。

この間、常に本尊に付き従って移動したのが大本願で、本尊不在で荒廃した寺を守り続けたのが大勧進でした。

アクセス

交通

信越本線長野駅より1番バス乗り場(善光寺方面行)善光寺大門下車

地図

約5万9000㎡の境内の回り方

仁王門

仁王門1847年の地震で焼失していましたが、1864年に再建されました。

参道の両側の土産物屋とお食事処仁王門をくぐると山門まで参道の両側に土産物屋やお食事処が並んでいます。善光寺の参道には安山岩の敷石が約7000枚敷き詰められているもので、1714年に完成しました。これにより路面状態が悪化して参詣者が難儀せずに済むようになりました。

山門(重要文化財)

山門1750年に建立され、重要文化財に指定されています。山門は拝観可能で、2階の回廊からは長野の市街地を一望できます。

経蔵

経蔵内部中央には八角の輪蔵があり、一回転させると内部の『一切経』を全て読んだことと同じ功徳が得られるといわれています。

本堂(国宝)

善光寺の本堂は創建以来焼失と再建を繰り返しており、現在の建物は1707年築のもので江戸時代中期を代表する寺院建築として国宝に指定されています。

善光寺の本堂本堂の中に入るとまずびんずる尊者の像があります。病人が自分の患部と同じところを撫でると病気が治るという信仰があります。

御本尊を安置した瑠璃檀は本堂内陣の一番奥に掛けられた戸帳の奥にあります。毎日11時45分と14時30分に行われる法要の際は戸帳が上げられ、瑠璃檀を拝むことができます。

瑠璃壇床下の真っ暗な回廊を巡る「お戒檀めぐり」では、中程に懸かる「極楽の錠前」に触れることで、錠前の真上におられる秘仏の本尊と結縁を果たすことができるとされています。すぐ前に人がいることにぶつかるまで気が付かないような完全な闇を体験できます。

長野県全体の経済に影響する御開帳

御開帳時の善光寺善光寺と言えば何と言っても御開帳です。秘仏の本尊の代わりである前立本尊を7年目ごとに開帳するのですが、2015年の御開帳では約2ヶ月の期間中に707万人もの人々がお参りしました。

歩くのも大変な御開帳時の参道期間中境内は参詣客で溢れかえり、参道は歩くのも大変です。

回向柱回向柱にたどり着くだけで1時間以上かかり、その上に本堂に上がろうなんて考える気もしなくなります。

お参りを済ませた参詣客が周辺の観光地を巡るというということもあり、もはや長野県全体の経済情勢も左右するような行事となっています。

御開帳時には本堂(御本尊)の御朱印のみ直書きで、それ以外は全て書置きでの対応となります。落ち着いてお参りしたいという方は御開帳の時期を外すことをお勧めします。

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