困ったときこそ酒と神様

ようやくたどり着いた、ストレスフリーで酒やうどんを楽しめる日々。これこそがご利益だったのかもしれません。

〖川越〗仙波東照宮の御朱印と日曜祝日以外は入れない境内

仙波東照宮の御朱印は3種類で土日祝は書置きのみです。御朱印所は川越八幡宮で、参道脇の団子屋はなくなりました。正面の門が開いているのは日曜祝日の日中だけであり、それ以外の日は覗き込むことしかできません。

御朱印は3種類で土日は書置きのみ

御朱印所

仙波東照宮の御朱印の見本

仙波東照宮の御朱印は川越八幡宮でのみ扱っています。土日祭日は書置き対応のようです。

初穂料 500円

団子屋の跡地

御朱印所として知られていた参道脇の団子屋は跡形もなくなって更地になっていました。

御朱印

仙波東照宮の御朱印カラフルな書置き御朱印です。

過去に頂いた御朱印

川越八幡宮の御朱印所で頂いた仙波東照宮の大変に優雅な書体の御朱印

平成30年5月19日付で、この時も川越八幡宮の御朱印所で頂きました。

仙波東照宮の歴史とご利益

仙波東照宮は徳川家康を祀った神社で、家康の側近として知られる喜多院の第27世住職だった天海が創建したものです。

1616年に家康が75歳で亡くなると一旦は静岡県の久能山に葬られましたが、遺言に従って翌年日光に移葬されます。3月15日に久能山を出発した一行は23日に喜多院に到着し、天海によって26日までの4日間丁重な法要が実施されました。

法要を終えた天海は高さ八寸八分(約27cm)の家康の像を刻み、大堂に祀ったのが仙波東照宮の起源です。川越の日枝神社のあたりにかつて仙波山と呼ばれる山があったそうで、「仙波」はこちらに由来すると思われます。

天海僧正は、この東照宮を広く多くの方に崇拝してもらうため、喜多院の境内にあった中院を移転し、跡地に高さ五間の丘陵を築きあげて立派な社殿を造り、1633年に遷祀しました。この時の建物は1638年の川越大火により全焼しますが、徳川家光の命により直ちに再建工事が実施され、1640年に現在まで残る建物が竣工します。

明治になってからの神仏分離令により喜多院の管理から離れ、現在では川越八幡宮により管理されています。ご利益は「出世開運」「商売繁盛」となっており、そこから転じてパワースポットとしても有名です。

アクセス

交通

西武新宿線本川越駅下車徒歩約15分

東武東上線川越駅下車徒歩約20分

地図

日曜・祝日以外は入れない仙波東照宮の境内

家光の命により川越城主堀田加賀守正盛を造営奉行として再建された仙波東照宮の社殿は漆塗りの極彩色の飾りが鮮やかで、本殿・唐門・瑞垣・拝殿・幣殿・随身門・石鳥居と全てが国の重要文化財に指定されています。

参道入り口

参道入り口

隋神門(重要文化財)

隋神門

石鳥居(重要文化財)

仙波東照宮の石鳥居

川越城主堀田加賀守正盛が奉納したものです。

石段と門

石段と門

石段上の門には大きな葵の紋が掲げられています。開いているのは日曜祝日の9~16時で、それ以外の時間帯は隙間からのぞき込むことしかできません。

拝殿・幣殿(重要文化財)

正面から見た拝殿・幣殿

手前の狛犬は徳川家光の命により江戸城から移してきたもので、埼玉で最古の狛犬とされています。

斜めから見た拝殿・幣殿

拝殿内には徳川家光が奉納した岩佐又兵衛勝以筆「三十六歌仙絵額」、弊殿には県指定文化財である岩槻城主阿部対馬守重次が奉納した12面の鷹絵額があります。

唐門・瑞垣(重要文化財)

唐門・瑞垣

本殿(重要文化財)

仙波東照宮の本殿

天海が刻んだ徳川家康の像が祀られています。

本殿に施された彫刻

本殿に施された彫刻

建物の周囲に見事な彫刻が施されています。

三大東照宮の有力候補

三大大仏、三大天満宮、三大八幡宮と同様に三大東照宮というものがありますが、三番目が怪しいのは東照宮も同様です。久能山、日光に自分の近隣の東照宮を勝手に加えて三大東照宮と称している場合が多いようですが、それでも有力候補というのはあるようで、群馬の世良田東照宮、愛知の滝山東照宮、鳳来山東照宮と並んで仙波東照宮は三大東照宮の有力候補の一つとされています。

これとは別に久能山、日光、上野、芝を称して「四大東照宮」と呼ぶ事例もあるようです。

「評価に値する」と思われたらワンクリックお願いします。

関連記事

www.goshuinbukuro.com

www.goshuinbukuro.com

www.goshuinbukuro.com

www.goshuinbukuro.com