太宰府天満宮では上品で優雅な書体の御朱印を頂けます。九州を代表する神社であり、御本殿は修繕工事中でしたが、境内は見どころがいっぱいでした。
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御朱印は直書き、上品で優雅な書体
御朱印所
太宰府天満宮の御朱印は社殿向かって右手の祈願受付所で扱っています。
御朱印は太宰府天満宮の開門時間中にいつでもいただけます。
初穂料500円
御朱印
直書きで頂きました。いかにも「学問の神様」といった感のある、上品で優雅な書体です。
御朱印帳は5種類
太宰府天満宮では5種類のオリジナル御朱印帳を頂けます。全ての天満宮の総本社ということもあり、梅を描いたものばかりでした。
サイズは大・小で、紙質は普通でした。
価格 2500円~3000円
九州を代表する神社の由緒
太宰府天満宮は学問の神様として知られる菅原道真を祀る神社です。年間で850万人以上の参詣客を集める九州を代表する神社であり、全国に約12000社あるという天満宮・天神社の総本社です。京都の北野天満宮もまた菅原道真との関係が深く、この二社に関して「どちらが格上か?」などということは恐れ多くてとてもできないような存在となっています。
藤原時平の陰謀により901年に大宰府に左遷された菅原道真が現地で憤死したのが903年です。葬送のための車を引いていた牛が途中で動かなくなり、そこに留まりたいのだという道真の遺志と考えて905年に廟が建てられました。
その頃に都では疫病や異常気象など不吉な事が続き、「道真の祟り」と恐れられます。919年に祟りを鎮めるため天皇の命により墓所の上に社殿が造営され、それが大宰府天満宮の起源となっています。
太宰府天満宮に続いて北野天満宮が造営されても祟りは止まず、30年ほどの間に道真の失脚にかかわったとされた天皇や皇太子、法皇、右大臣など多くの高級貴族が死亡することになります。慰撫のために太政大臣が追贈されるなどの措置が取られ、それにより道真に対する信仰が確立しました。
安土桃山時代に小早川隆景により本殿が再建され、江戸時代には福岡藩主である黒田家により社殿の整備や修復が行われました。
アクセス
交通
西鉄大宰府線太宰府駅より徒歩約5分
九州を代表する神社の門前の役にふさわしく、駅は重厚感のある造りとなっています。
駅前から続く約250mの参道の両側には土産物屋がずらりと並び、大いに賑わっていました。
地図
福岡の神社
境内の見どころ
旅の最大の目玉である太宰府天満宮が実は修繕工事の真っ最中で、重要文化財である御本殿を見ることができないということを知ったのは飛行機と宿の手配を済ませた後でした。ショックは大きかったのですが、お参りをしてみるとそれでも見どころは豊富にあったように思います。福岡の神社はどこも手水舎が豪勢でした。
境内案内図
石鳥居
南北朝時代のものと考えられており、九州では最古とされています。
御神牛
境内は外国人観光客で満ちており、おなじみの御神牛の前には記念写真を撮ろうとする人で長蛇の列ができていました。各地の天満宮を巡っていますが、こういうのは初めてです。
心字池
「心」という寺をかたどっており、2つの太鼓橋と1つの直橋が架けられています。
三つの橋は「過去」「現在」「未来」を表しており、渡ることで「三世の邪念を祓い参拝者の身を清める」と言われています。
七夕が近かったこともあり、飾り付けがなされていました。
手水舎
1934年に奉納されたものです。
宝満山の一枚岩でできており、中央に大きな神亀が彫り込まれています。
楼門
ここをくぐれば御本殿です。
かつて石田三成が再建したもので、現在の建物は1914年に建てられました。
仮殿
2026年まで続く御本殿大改修期間に御神霊を遷座する場所として御本殿前に特別に建てられました。
仮殿でこれだけのものを造るとはさすが太宰府天満宮です。
御本殿
工事中で足場が架けられており、中を見ることができなくなっていました。
道真の墓所の上に創建された太宰府天満宮の御本殿は本来このような姿です。
御神木の大楠
樹齢1500年を越え、国指定天然記念物に指定されています。
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