北千住の千住神社は江戸時代には日光街道の第一の宿場町であった北千住に位置し、千年以上人々の信仰を受け続けています。千住神社以上に千住七福神の恵比寿天が印象的でした。御朱印は大変に美しい書体です。
千住神社の御朱印
御朱印所
千住神社の御朱印は拝殿左手の社務所でいただけます。
無人のようだったので左側に設置されているインタホンを押すと、神職の方が飛んできてくれました。
初穂料300円
御朱印
こちらでは千住神社と千寿七福神の恵比寿天の御朱印を頂けます。
千住神社
恵比寿天
大変美しい書体の御朱印です。
荒川で千手観音が網にかかったから千住(千手)
この地に集落が形成され始めた926年に土地鎮護と五穀豊穣を祈り、伏見稲荷より分霊を勧請して稲荷神社が創建されたのが千住神社の起源とされています。1051年に奥州征伐に向かう源義家が当地に陣営を構え、稲荷神社の神前にて戦勝を祈願したとされています。
1279年に武蔵一ノ宮氷川神社の御分霊が勧請され、稲荷社の右隣に氷川神社が創建されました。
1327年に荒川で新井図書政次の網に千手観音像がかかりますが、このことからこの地を「千手」と呼ぶようになり、現在の「千住」という地名につながったといいます。
江戸初期の寛永年間に千住地区が日光街道の第一宿として整備されると、この地はその西方に位置することから「西の森」とも呼ばれ、代々の将軍がしばしば鷹狩りを行ったと伝えられています。
明治6年に稲荷神社が氷川神社に合祀され、大正4年に社号を千住神社に改めました。
アクセス
交通
各線北千住駅徒歩約20分
京成線千住大橋駅徒歩約10分
地図
周辺の寺社
千住神社の境内
この地の大幹線道路である国道4号線から150mくらいの場所にありますが、静かで広々とした境内はのどかな雰囲気で満ちていました。
社号標
右端に「八幡太郎源義家陣営の地」という石碑もあります。
一の鳥居
一直線に延びる石畳と両脇の灯篭が綺麗です。
神楽殿
神輿庫
現存する数少ない江戸時代の大神輿が納められています。
御神木
夫婦銀杏として人々に親しまれています。先の大戦における空襲で千住宮元町のほぼすべてが焼けた際にも焼け残りました。
狛犬
1830年に奉納されたもので、親が子を護る姿の珍しい狛犬です。
拝殿
先の大戦における空襲で焼失していたものを昭和33年に再建しました。
本殿
千住富士
江戸時代に富士山信仰が盛んになると各地に富士講や富士塚がつくられました。現在の富士塚は昭和11年に再築されたもので、7月1日のみ登拝可とされています。
境内社
千住神社では恵比寿天以外にも数多くの境内社が祀られています。
稲荷神社
天満宮
火伏せ三社
三峯神社、恵比寿神社、八幡神社を祀っています。もともと夫婦銀杏の根元にありました。先の大戦における東京大空襲において千住宮元町のあらゆる建物が焼失した中で唯一焼け残った建物です。
経王稲荷神社
印象的だった千住七福神の恵比寿天
境内社の恵比寿神社から分霊し、千寿七福神の恵比寿天として祀っています。
男は恵比寿天を左へ三回、女は右に三回回し、願いに応じた場所に白いハンカチを当てて願いの言葉を三回念じます。
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