福岡の筥崎宮(はこざきぐう)は元寇の舞台となった神社です。境内は「敵国降伏」に満ちており、御朱印も御朱印帳も「敵国降伏」でした。
是非こちらもご覧ください
御朱印も「敵国降伏」
御朱印所
筥崎宮の御朱印は楼門向かって左手の社務所で頂けます。
受付時間 8:30~16:30
初穂料 500円
御朱印
「筥」の優雅さが見事で、それだけに隣の「敵国降伏」の朱印が印象に残ります。
御朱印帳も「敵国降伏」
筥崎宮では重要文化財の楼門を描いた御朱印帳を扱っています。
裏表紙のデザインは「敵国降伏」です。
サイズは小型です。
価格 2000円
筥崎宮の歴史
筥崎宮は宇佐神宮・石清水八幡宮とともに日本三大八幡宮に一つに数えられています。正確には宇佐・石清水に加えて筥崎宮か鶴岡八幡宮のどちらかということなので、「三大大仏」や「三大うどん」、「三大東照宮」等に比べて精度は高いのではないかと思います。
社伝によれば八幡神の託宣を受けた醍醐天皇が921年にこの地に社殿を建立したことが起源とされており、その際に「敵国降伏」と既に直筆で記していたといいます。923年には筑前大分宮を遷座してきました。
鎌倉中期の元寇では境内も戦場となり、その際に社殿が焼失してしまいます。そんな中で亀山上皇が「敵国降伏」を祈願したところ未曾有の困難に打ち勝つことができ、結果として厄除・勝運の神としてその名が轟くことになりました。それ以降、足利尊氏・大内義隆・小早川隆景・豊臣秀吉など歴史に名だたる武将が参詣するような神社となるのです。
アクセス
交通
地下鉄箱崎宮前駅下車徒歩約3分
鹿児島本線箱崎駅下車徒歩約8分
地図
福岡の神社
「たまげた」ばかりの境内の見どころ
地下鉄の駅から地上に上がっていきなり目の前に出現する石鳥居にたまげ、楼門に掲げられた巨大な「敵国降伏」の扁額に再びたまげます。
二之鳥居
通常とは逆で、筥崎宮では本殿に近い方から「一之鳥居」「二之鳥居」と数えます。地下鉄箱崎宮前駅の1番出口がすぐ近くにあります。
一之鳥居(重要文化財)
1609年に福岡藩藩主の黒田長政が建立したもので、「筥崎鳥居」と呼ばれる独特な様式です。
蒙古軍船の碇石
博多港中央波止場付近の海中から引き揚げられたもので、元寇の際に蒙古軍の船の碇として使用されたと考えられています。長さ2メートルを超える大きな石で、推定重量は250キロです。
銭洗御神水
湧出石
この石に触れると運が湧き出るといわれています。柵の際に立って思い切り手を伸ばしたら辛うじて触ることができましたが、18日が経過した現在でもまだその気配はありません。
御神木・筥松
主祭神の応神天皇が生まれた際、胎盤 ・へその緒を箱に納めて砂浜に埋め、標として植えた松だと伝えられています。
亀山上皇尊像奉安殿
1904年に完成したもので、元寇の際に「敵国降伏」の祈願をした亀山上皇の像を納めています。
像は高さ約6mあります。
楼門(重要文化財)
鹿島神宮・阿蘇神社と並び日本三大楼門の一つと数えられており、1594年に小早川隆景により建立されました。一般の参拝はここまでで、中には入れません。
元寇の際に亀山上皇が記した「敵国降伏」の書を模写拡大し、扁額として掲げています。その本当の意味は「武力で相手を降伏させるのではなく、徳の力をもって導き、相手が自からなびき降伏する。」というものです。
福岡空港への着陸ルートの真下にあり、楼門の近くを飛行機がどアップで飛ぶ場面を何度となく見ることができました。
本殿
921年に大藤原真材が八幡神のお告げにより造営してもので、その後は戦火や兵乱などで焼失と再建を繰り返しました。
現在の建物は1546年に大内義降によって建てられたものです。楼門と廻廊に囲まれており、隙間から覗き込むしかありません。
このブログのイチオシ記事
「評価に値する」と思われたらワンクリックお願いします。読者登録とブックマークを頂けるともっと嬉しいです。