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水天宮(久留米)の2種類の御朱印と境内の見どころ

久留米の水天宮では2種類の御朱印を頂けます。全国にある水天宮の総本宮で、「筑紫次郎」筑後川沿いの境内には様々な見どころがあります。

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御朱印は2種類

御朱印所

水天宮の社務所

水天宮の御朱印は社殿向かって右手の社務所で頂けます。

御朱印の見本

こちらでは水天宮と境内社である眞木神社の2種類の御朱印を頂けます。

受付時間 9:00~16:00

初穂料 500円

御朱印

水天宮の2024年10月19日付御朱印

今回は水天宮の御朱印のみ頂きました。じっくり時間をかけて書いた直書き御朱印です。

オリジナル御朱印帳

水天宮の御朱印帳

水天宮ではカラフルなデザインのオリジナル御朱印帳を扱っています。

全国にある水天宮の総本宮

「水天宮」を名乗る宗教法人は全国に27社存在し、境内末社等まで含めると恐らく無数にあるのではないかと思われます。福岡県久留米市の水天宮はこれらの総本宮です。

壇ノ浦の戦いで生き残った女官である伊勢が筑後川の近くまでに逃れ、12世紀末入水した安徳天皇、高倉平中宮、二位の尼(平清盛の正室)を祀った祠を建てたのが水天宮の起源です。伊勢は出家して千代を名乗り、当初は自ら加持祈祷を行ったといいます。

壇ノ浦の戦いで敗れて自害した平家の武士の中に、「見るべき程の事をば見つ。今はただ自害せん」と言い残し碇を担いで海に飛び込んだ平知盛がいました。知盛の孫が千代の許を訪れてその後継者となり、これが水天宮代々の宮司として現在まで伝わる眞木家の元祖となります。

1650年に久留米釆第2代藩主有馬忠頼より社地と社殿の寄進があり、これを受けて現在の地に遷座して誕生したのが久留米水天宮です。第9代藩主有馬頼徳が1818年に久留米藩江戸屋敷に分霊を勧請し、これが後に日本橋蛎殻町の水天宮となります。

アクセス

交通

JR鹿児島本線久留米駅より徒歩約7分

西鉄久留米駅より徒歩約33分(バス便があるようです。)

地図

福岡の個性的寺社

www.goshuinbukuro.com

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筑後川沿いに位置する境内

筑後川

水天宮の境内は細長い長方形となっており、「筑紫次郎」の異名で知られる筑後川の土手に接しています。

大鳥居

水天宮の大鳥居

「水天宮」と記された扁額は旧日本海軍の東郷平八郎元帥の手によるものです。

標柱

標柱

太鼓橋

太鼓橋

池

宗像大社や志賀海神社でも見ました。池と太鼓橋は福岡の神社に必須のものなのかもしれません。

手水舎

豪華な手水舎

福岡を訪れた際にいつも感じることですが、神社の手水舎が豪華です。

神門

神門

拝殿

水天宮の拝殿

海の守り神・子供の守護神、そして安産の神様として信仰されています。

斜めから見た拝殿

実に堂々たる建物で、三嶋大社の本殿を思い出しました。

本殿

水天宮の本殿

水天宮に関して数多くの記事を参照しましたが、境内社に関する解説は数多くあるものの肝心の神門・拝殿・本殿に関するものはどこにも見当たりませんでした。

境内社眞木神社

眞木和泉守の像

明治維新の中心的指導者であった眞木和泉守保臣は水天宮第22代宮司でもあります。早くから薩長連合を唱えるも実らず、長州藩とともに禁門の変に加わって敗れ、最後は天王山で同志16名と自刃しました。

眞木神社

境内社の眞木神社は眞木和泉守をはじめ明治維新に際して国難に殉じた一門及び門下生、7天王山にて共に自刃した16名を祀っています。

眞木和泉守が蟄居していた家

眞木和泉守が一時蟄居していた家を再現しています。

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