鹿島神宮では2種類の御朱印の他、鹿島アントラーズや相川七瀬とコラボした珍しい御朱印帳を頂けます。朝廷と武士の両方にとって重要な神社で、境内は重要文化財で満ちています。
2種類の御朱印とアントラーズの御朱印帳
御朱印所
御朱印は祈祷殿で頂けます。こちらで先に御朱印帳を預けてから奥宮へ行くといいと思います。
こちらでは本宮と奥宮の2種類の御朱印を頂けます。
初穂料 500円
御朱印帳
鹿島神宮では様々な種類の御朱印帳を扱っています。鹿島アントラーズや相川七瀬とコラボした御朱印帳など、他では絶対に見ることができないような物もありました。全て小型サイズで紙質は普通です。
価格 1500円~3000円
御朱印
右下に記された「和魂」「荒魂」が素敵です。
本宮
奥宮
過去に頂いた御朱印
平成29年10月5日付です。
本宮
奥宮
朝廷と武士の両方にとって重要
社伝によれば鹿島神宮の起源は紀元前660年で神武天皇が即位の際に武の神の神恩に感謝して創建したとされていますが、実際のところは混沌としていて定かではないようです。「国譲りの神話」で活躍する武甕槌大神を祀る神社であり、蝦夷へ進出する際の拠点でもあったことから大和朝廷にとって重要な神社であったことは間違いないようです。
7世紀後半の天智天皇の時代には勅使が派遣されるようになり、この頃に社殿が造営されました。713年に編纂された常陸の国の地誌である「常陸国風土記」によれば、神社周辺には祭祀を維持するための施設が数多く置かれていたそうです。768年に春日大社が創建された際には鹿島神宮からも勧請されました。
927年に編纂された全国の神社一覧である延喜式神名帳において、神宮として記されていたのは大神宮(伊勢神宮内宮)・鹿島神宮・香取神宮の3つだけで、それだけ朝廷と結びつきが強かったことがうかがえます。
武神を祀るため鎌倉時代以降続いた武家政権の時代にも所領の寄進などの保護をうけますが、その一方で在地勢力による侵犯も進み、実は社殿造営費用にも欠く状態であったといいます。
1605年に徳川家康より現在の奥宮の社殿、1619年に秀忠により本殿・幣殿・拝殿、1634年には水戸徳川家初代藩主の頼房により楼門が寄進され、ほぼ現在の姿になりました。
アクセス
交通
JR東京駅八重洲南口より高速バスかしま号(鹿島神宮駅行き)「鹿島神宮」下車
鹿島線鹿島神宮駅徒歩約8分
鹿島神宮へのアクセスとしては東京駅から高速バスがガンガン出ており、これが最も便利です。(鹿島線は1時間に1本程度しかない)
地図
重要文化財に満ちた境内
楼門は西向きで社殿は北向き
「国譲りの神話」において武甕槌大神は国を譲ることを拒んで力比べを挑んできた健御名方神を投げ飛ばし、信濃国の諏訪の湖のほとりで降参させました。これが現在の諏訪大社だとされています。鹿島神宮の楼門が西向きなのは健御名方神が諏訪から出てこないよう見張っているという説があります。
また社殿が北向きなのは蝦夷に睨みをきかせているからともいわれています。
一の鳥居
鹿島神宮の一の鳥居は鹿嶋市大船津の水上にあります。(ここが川なのか沼なのか湖なのか、私はよくわかりません。)この地は古くから水運による経済や文化の要衝であると同時に鹿島神宮参拝の玄関口でした。
川底からの高さ18.5メートルで幅22.5メートルあり、水上鳥居としては日本最大の規模を誇ります。写真は前回のお参りの際に鹿島線の車内から撮ったもので、間に橋を2本挟みながらこれだけはっきりと見えるのですから相当な大きさだと思います。
案内図
大鳥居
東日本大震災により倒壊した御影石の鳥居に替わり、境内に自生する杉の巨木を用いて2014年6月1日に再建されました。
楼門(重要文化財)
水戸徳川初代藩主の頼房により徳川家光の病気平癒のお礼として奉納されたもので、高さ約13mで日本三大楼門の一つに数えられています。(他の二つは筥崎宮と阿蘇神社)神社としては珍しく西向きです。
拝殿(重要文化財)
1591年に徳川秀忠により奉納されたもので、現在は「令和の大改修」が行われています。
改修前の姿です。
本殿(重要文化財)
社殿の一番奥にあり、御祭神の武甕槌大神を祀っています。神社としては珍しく北向きです。
仮殿(重要文化財)
本殿を修理する際に一時的に御祭神を遷す社殿です。
高房社
武甕槌大神に最後まで服従しなかった天香香背男を抑えるのに大きく貢献した建葉槌神が御祭神です。まずこちらに参拝してから本宮を参拝するのが古例のようです。
奥参道
鹿島神宮を覆っている鎮守の森は植生によらない、自生した樹木が密生している樹叢で、杉意外にシイ・タブ・モミ等、600種類以上の巨樹が生い茂っています。奥宮に向かって300m程伸びる道は砂地でした。海が近いからでしょうか。
鹿園
香取神宮と同様に、鹿島神宮では鹿が神鹿として大切にされています。
奥宮(重要文化財)
もともとは徳川家康が関ヶ原戦勝の御礼に現在の本殿の位置に本宮として奉納したものです。その14年後に新たな社殿を建てるにあたりこの位置に遷してきました。
境内では最古の社殿で、祭神である武甕槌大神の荒ぶる魂を祀っています。
御手洗池
鳥居の奥の人が群がっているあたりから1日に40万リットル以上の湧水があり、昔は参拝する前にここで禊をしたといいます。
要石
香取神宮と同様に、地中深くまで埋まっている石が地震を起こす鯰の頭を抑えていると古くから伝えられています。鹿島神宮では「大鯰の頭」を、香取神宮では「大鯰の尻尾」を押さえているというのです。
水戸光圀が7日かけて掘り起こそうとして断念したという話が残されています。
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