川越の三芳野神社の御朱印は川越氷川神社で扱っています。平安時代に創建された歴史のある神社で江戸時代の姿が現在までのこされており、童謡「通りゃんせ」の発祥の地であるとされいます。
三芳野神社の御朱印
御朱印所
三芳野神社の御朱印は川越氷川神社の御朱印所で頂けます。
初穂料300円
御朱印
川越氷川神社と同様に全て書置き対応でした。こちらにも「通りゃんせ発祥の地」と書かれています。
過去に頂いた御朱印
コロナ前の平成30年5月1日付で、この時は直書きでした。
三芳野神社の1200年以上続く歴史
三芳野神社の創建は807年とされており、主祭神の素盞嗚尊と奇稲田姫が大宮の氷川神社から、配祀の菅原道真が北野天満宮から勧請されたのではないかといわれていますが定かではありません。
1457年に太田道灌が川越城を築城すると三芳野神社は内部に取り込まれ、城内の鎮守として歴代城主から篤い崇敬を受けました。
現在の拝殿は1624年に三代将軍家光が当時の城主だった酒井忠勝に命じて造営されたものです。その後1656年に行われた大改築の際に江戸城二の丸にあった東照宮を移築して本殿としました。
アクセス
交通
西武新宿線本川越駅徒歩約23分
川越城本丸御殿の向かいにあります。
地図
近隣で楽しめるうどんとラーメン
童謡「通りゃんせ」との関連性
三芳野神社は創建以来「天神さま」として庶民から篤く信仰されてきましたが、1457年に川越城が築城されて場内の鎮守となってしまうと一般の民衆は自由にお参りできなくなってしまいました。彼らが城内に入り参拝できたのは年一度の大祭の時か七五三の祝いの時だけで、その際は川越城の南大手門から入って田郭門、さらに天神門と数多くの門を抜ける必要がありました。
城は軍事基地ですから参拝者に紛れて密使に侵入され、機密漏洩などがあれば大変なことになります。そのため入場にあたっては「ご用のないもの通しゃせぬ」ということになり、きょろきょろと挙動不審なものはどやしつけられたそうです。
それでも入場の際は怪しい者を外見からチェックするだけですが、退場の際は機密書類等を持っていないか所持品のチェックを受けなければなりません。入場より退場の方がチェックが厳しいかったことは間違いなく、そこで「いきはよいよい帰りはこわい」ということになるのです。
三芳野神社の参道が童謡「通りゃんせ」で歌われている「天神様の細道」と言われていることから三芳野神社は「わらべ唄発祥の所」とされています。
三芳野神社の境内
前回お参りした2018年5月の時点では第二期修復工事の真っ最中でしたが、2019年に竣工して1656年当時の姿を取り戻しました。
大鳥居
拝殿
1624年に造営されたのは現在の拝殿のみです。
本殿
1656年に行われた大改築の際に江戸城二の丸にあった東照宮を移築して本殿とし、幣殿もその際に設けられました。
境内社
三芳野神社拝殿の目の前にして向かい合って大黒社と蛭子社が建てられています。蛭子社に揚げられて額の背面に「享保19年(1734年)」と書かれていることから250年以上前の江戸時代中期の建物ということになります。
蛭子社
大黒社
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