目黒の五百羅漢寺の御朱印は通常版と干支にちなんだその年限定の2種類あります。目黒不動尊に隣接した場所にあり、江戸時代に松雲元慶が独力で彫り上げた数多くの羅漢像を安置している寺として有名です。
干支にちなんだその年限定の御朱印
御朱印所
御朱印は拝観受付でいただけます。
志納金300円
御朱印
通常版の御朱印とそれぞれの干支にちなんだその年限定の御朱印の2種類ありますが、この日は戌年限定の御朱印を頂きました。
「威徳声尊」と書かれた御朱印を頂きました。「威」は女へんに戌という構成であることから戌年にふさわしいということのようです。
五百羅漢寺の由緒
五百羅漢とは
仏教ではしばしば500という数字が登場しますが、これは釈迦の死後、弟子に伝えられた話を編集するためにしばしば開催された仏典結集の際、集まった弟子の数がこのくらいであったことによります。羅漢とは阿羅漢の略で、「修業を完成し尊敬するに値する人」「悟りを開いた人」と言う意味から、究極的真理を得た最高の地位の聖人に与えられる名称となっています。
その羅漢たちの姿を彫ったのが五百羅漢像です。一体一体顔が違い、表情豊かな姿で並んだ羅漢像の中に人々は自分や大切な人の面影を探すことができるため人気になり、全国各地に五百羅漢像が建立されることとなりました。
536体の羅漢像の内305体が残る
五百羅漢寺は1695年に松雲元慶により現在の江東区大島に創建されました。
大分の羅漢寺で五百羅漢像を見た松雲は自らも五百羅漢の像を造ることを決意し、托鉢で資金を集めながら十数年かけて独力で536体の群像を造ります。
三代住職の時代に大伽藍が整備され、三層の建物に螺旋構造の通路が巡らされ、一方通行のまま上って下りてくる間に諸仏像を拝観できる「さざえ堂」と呼ばれた建物もありました。
1855年の地震により大被害を受けて寺は衰退し、明治41年に現在地の目黒に移ります。536体あった羅漢像はこの間に305体になりましたが、第二次大戦前後の困難な時代にも寺は維持され、昭和56年に現在の近代的ビルのお堂が完成しました。
五百羅漢像で有名な寺院
アクセス
交通
目黒線不動前駅徒歩約8分
地図
一体一体表情も姿勢も違う羅漢像
五百羅漢寺は目黒不動尊に隣接した場所に位置しています。
入り口では不退法尊者像が温かみのある言葉で出迎えてくださいました。奥の階段を上がり右手に見える蒲鉾状の建物が羅漢堂です。
五百羅漢寺は本尊の阿弥陀如来像と羅漢像を安置した本堂と、本堂に収まらなかった羅漢像を安置した羅漢堂が中心となる寺院です。
私がお参りした際、本堂ではちょうど法要が催されており、また本堂周辺では工事が実施されていました。
そのため羅漢堂の146体の羅漢像しか拝観できませんでしたが、一体一体表情も姿勢も違う大型の像と、それぞれの言葉が並べられた様子は圧巻でした。その中に自分に似た顔があるといわれていますが、残念ながら見つけることはできませんでした。
私としてはその中で阿若僑陳如尊者の「やりはじめたことはやりとげる」という言葉と、覚悟を決めて腹を括ったような表情が特に印象に残っています。
失意の人の再起の願いを叶えてくれる再起地蔵です。
五百羅漢寺にゆかりの石碑が並ぶ碑のこみちです。
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