目黒不動尊の名前で知られる瀧泉寺では4種類の御朱印を頂けます。願い事の叶うパワースポットとして知られています。毎月28日には縁日で大変に賑わいます。※2016年9月16日作成。2022年1月13日改定。
御朱印は4種類頂ける
御朱印所
御朱印は仁王門をくぐって右手奥にある阿弥陀堂でいただけます。
こちらでは本尊の不動明王、関東三十六不動霊場、江戸三十三観音霊場、山手七福神の4種類の御朱印を頂けます。
受付時間9:00~17:00
志納金 300円
御朱印
今回は本尊の不動明王の御朱印を頂きました。超極太の実に印象的な書体の御朱印です。
多くの著名人を引き付けたご利益
目黒不動尊は「願い事が叶うパワースポット」とされています。
江戸時代に三代将軍家光が目黒で鷹狩り鷹をしていた際に鷹が行方不明になり、目黒不動で祈ったところすぐに戻ってきたということがあり、喜んだ家光はお礼として焼失していた伽藍を再建しました。
それ以降多くの有名人がこちらで願掛けしており、西郷隆盛が主君の病気平癒を祈り、東郷平八郎元帥が日本海海戦の勝利を祈った場所だといわれています。最近では再ブレイク前のヒロミが毎日お参りしていたということが話題になりました。
大変に賑わう毎月28日の縁日
目黒不動尊の創建は平安時代初期の808年とされています。後に天台宗座主となる慈覚大師・円仁が15歳で故郷の下野国(今の栃木県)から比叡山の伝教大師・最澄のもとへ向かう際に目黒に立ち寄り、そこで夢に出現した不動明王の姿を刻んで安置したことがきっかけとされています。
江戸時代には徳川家の庇護を受けて大変に栄え、一般庶民の行楽地として親しまれました。
有名な「目黒のさんま」はこのあたりで鷹狩を終えた家光が目黒不動尊をお参りし、近くの茶屋で休息している姿をもとに作られたと言われています。
1818年に出された「江戸朱引図」では地図に赤線を引くことにより江戸の範囲を定めています。赤線の内側に黒線が引かれ、これが町奉行の管轄の範囲なのですが、一か所だけ町奉行が赤線の外側まで管轄している場所があります。それこそが目黒不動尊のあったエリアなのです。
江戸時代後期には富くじが行われ、湯島天満宮、谷中の感応寺と並び江戸の三富とも呼ばれました。
先の大戦における空襲によりほとんどの建物を失いましたが、前不動堂と勢至堂は災厄を逃れ、江戸時代の姿を現在に伝えています。
毎月28日には不動縁日が開催され多くの露店が並んで大変に賑わいます。
アクセス
交通
目黒線不動前駅徒歩約15分
地図
近隣の寺社
目黒不動尊の境内(平地)
境内は平地と高台の二段に分かれており、男坂と女坂で結ばれています。
境内案内図
仁王門
昭和37年に再建された鉄筋コンクリート造の門です。
独鈷の滝と水かけ不動
奥の龍の口から水が湧き出しています。慈覚大師が寺地を定めようとして仏具の独鈷を投げたところ、その落下した地から霊泉が涌き出したといいます。
独鈷の滝は不動行者の水垢離場となりますが、現在では身代わりで水に打たれてくれる「水かけ不動明王」が前に立っており、こちらに水をかけることによって心身を清浄にすることができるようになっています。
前不動堂
戦災を切り抜けた江戸時代中期の仏堂建築で当時の姿をよく残しているという事ですが、この日は修繕工事を実施中でした。
勢至堂
江戸時代中期の創建です。
腰立不動
阿弥陀堂
男坂
目黒不動尊の境内(高台)
山王鳥居
明神鳥居の上部に三角形の屋根が乗った鳥居で、神道と仏教の合一を表しているといわれています。神仏習合の形を今もとどめているのが、目黒不動尊の特色です。
八大童子
中央の不動明王につき従う八体の童子の姿を表しています。
愛染明王像
縁結びのパワースポットとしてテレビでも紹介されました。
大本堂
昭和56年に再建された鉄筋コンクリート造の建物です。
大日如来像
大本堂の背後にある露座の銅製仏像ですが、江戸時代にはお堂の中にあったと言います。
大行事権現
大日如来像のさらに奥まった、敷地の北端にあります。ここの境内地を守護する地主神で、天台宗の守り神です。
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