酒と車と御朱印の日々

心願成就へ向け飲んで走ってひたすら祈る!信じる者は救われる!

旧乃木邸の一般公開で内部に入ってみた

当ブログでもご紹介しました乃木神社の隣地には旧乃木邸があります。

旧乃木邸と馬小屋は乃木夫妻の殉死後遺言により東京市に寄贈され、現在は港区の有形文化財に指定されています。これまで年1回だった一般公開が今年から年3回(5月・9月・11月)行われることになり、先日参加してきました。

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期間中は自由に入れるのかと思っていたのですが、文化財保護の観点から時間と人数を区切ったものとなり、各回20名ずつとなっています。私は11時半頃到着したのですが、12時35分からのガイド付きの組となりました。

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旧乃木邸は木造瓦葺きで、傾斜した地形を巧みに利用して建てられています。正面玄関側から見ると平家に見えます。

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とこらが横から見ると2階建てに見えます。

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さらに裏側に回ると実は地下1階地上2階の3階建てであることがわかります。

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乃木将軍がこの地で家を購入したのは明治11年ですが、当時は簡素な造りだったといいます。明治22年に馬小屋が建てられましたが、煉瓦造りで母屋より立派であったため「新坂の馬屋敷」と評判になりました。

明治20年にドイツに留学した乃木は帰国後フランス陸軍参謀本部を参考にして自ら自宅を設計し、明治35年に現在の建物が完成しました。

 

邸内は撮影禁止なので、外部に展示してあった説明用の資料を撮影しました。

横の内玄関から入る地階です。主人たる乃木以外は全てこちらから出入りしていました。台所や浴室など完全に日常生活の場です。

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書生部屋には乃木が作成した漢詩の中でも特に優れた「乃木三絶」の一つである「金州城外の作」が掛けられていました。乃木が浴室を使用する際、通常は書生が背中を流すところ殉死の朝だけは夫人に流させたという事です。

 

1階です。表玄関や応接室といった公的な場所と乃木夫妻の居室という私的空間が共存しています。

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表玄関から出入りするのは乃木と客だけで、そのため表玄関に面した階段を使用したのは乃木だけだったようです。全体的にコンパクトですが、パブリックな部分とプライベートな部分がきっちりと区別された実に見事な造りであると言えます。外国から軍人などの訪問客も多かったことから2階のトイレだけは腰掛式となっていました。尚、「自刃当日の夫妻」の写真は大応接室で撮られたものです。

 

夫人居室と夫人化粧室はつながっています。朝、完全に身支度の整った状態で夫と対面するのが軍人の妻たる者の勤めだったそうです。大将居室と夫人居室にはそれぞれ殉死当日着ていた物が展示されていましたが、夫人の服の左胸の部分に短刀で刺した跡が残っていて何とも生々しいものがありました。

明治天皇の大葬当日、棺が宮城を出発する号砲が鳴った午後8時に夫妻は殉死します。夫人は短刀で左胸を刺し(一人では上手くいかず、乃木が手助けした模様)、乃木は腹を十文字に切り、膝の間に立てた軍刀に喉をあてがってうつぶせになることで頸動脈を切ったといいます。地階の天井が1階の床板を兼ねる造りですから異変はすぐに地階にいた者に伝わり、電話室から警察に電話したもののつながらなかったそうです。

 

2階部分は二人の息子の居室でしたが、危険であるということで非公開となっていました。

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明治期の邸宅といえば接客を目的とした豪華な建物が主流ですが、乃木邸は簡素な中にも必要にして十分な備えのある造りであり、建物を余すところなく使用して無駄なスペースが一切ない見事なものでした。

軍人としての乃木については評価が真っ向から分かれているようですが、これだけの建物を自力で設計したという事ですから、少なくとも無能な人ではなかったことだけは確かではないでしょうか。

◆旧乃木邸に隣接した乃木神社の記事 

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◆乃木坂の人気ラーメン屋である「まる彦」の記事

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〖御朱印〗新井天神北野神社は農耕の神様でもあった

今回は新井天神とも呼ばれる北野神社の御朱印をご紹介します。

北野神社は沼袋駅から新井天神通りに沿って進み、中野通りと交差する地点に位置しています。中野通りを挟んで新井薬師公園の反対側にありますが、昔は新井薬師と一体であったに違いないと容易に想像できるような地形です。

北野神社の創建に関しては全く不明なようですが、新井薬師の開基である行春の数代後の住職が天和年間に手植の梅一株を北野天満宮に献じたという記録がある事から、少なくとも16世紀には新井の鎮守として存在していたといえます。

 

北野神社の一の鳥居です。

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うっそうと茂った木々の間を参道が延びていましいます。どうやらお祭りの後片付けをしているようですが、前夜の台風は大丈夫だったのでしょうか。

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天満宮には欠かせない撫で牛です。自分の身体の病んだ部分や具合の悪い部分をなでたあとその牛の身体の同じ箇所をなでると、悪いところが 牛に移って病気が治ると信じられています。

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牛は菅原道真公の「おつかい」と考えられ、菅原道真公を祭神とする神社では牛が聖獣とされ、境内に臥(ふ)した牛の像が安置されています。

 

神楽殿です。前日はカラオケか何かで盛り上がったのでしょう。

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北野神社の本殿です。

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北野神社は菅原道真を祀る神社です。道真の死後発生した清涼殿落雷事件を契機に、道真の怨霊が北野の地に祀られていた火雷神と結び付けて考えられ火雷天神(からいてんじん)と呼ばれるようになったことが天神信仰の起源ですが、雷は雨とともに起こり、雨は農作物の成育に欠かせないものであることから道真は農耕の神でもあるとされます。

豊かな水に恵まれた新井の人々は、 妙正寺川の水害からの守護を天神様に祈り、豊作を祈願したことでしょう。

 

日本武尊を祀る境内社の大鳥神社です。鳥は取りに通じ、大鳥の熊手のような足で福運を掻き取るようにと、町の発展を願って堺の大鳥神社から勧請しました。

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お祭りで活躍したであろう神輿です。

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境内社の稲荷神社です。

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若者たちが力比べに使った力石です。

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祭りの日、若者たちは大きな石を頭上に高くかかげて、その力を競い合い、持ち上げた石の重量や姓名を刻んで奉納したものです。 力石の行事は、娯楽の面だけではなく、その多くが神社の境内にあることからも、本来は神事儀礼であり、また重い石を持ち上げることにより一人前として社会に認められた当時の通過儀礼のひとつでもありました。

 

御朱印は授与所で頂けます。

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一つ一つ大変に時間をかけて丁寧に書いた御朱印を頂きました。

 

◆沼袋氷川神社の記事

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松屋のビーフカレーには角切りの牛肉がゴロゴロしている

今回は松屋のビーフカレーをご紹介します。
先日期間限定の「ごろごろチキンカレー」をご紹介したところお陰様で多数のアクセスを頂きました。本来は牛丼店であるはずの松屋のカレーに多くの熱烈なファンがいることを改めて思い知らされました。
「ごろごろチキンカレー」はチキンカレーというよりカレー味のチキンと呼んだ方がいいくらいに鶏肉がゴロゴロ入っており、スパイスの効いたカレーと相まってパンチの効いた極上のカレーに仕上がっていました。
松屋は会長が無類のカレー好きで、スパイシーさに並々ならぬこだわりを持っているといいます。そのためカレーは創業時からの看板メニューの1つで、発売当初は帰省時のお土産にする人がいるほど大人気だったそうです。
期間限定メニューであった「ごろごろチキンカレー」は程なく松屋のメニューから姿を消してしまいましたが、今度はビーフカレーが出現してファンを喜ばせています。


店舗限定という事ですが、幸い私がよく行く町田の店では扱っているようなので行ってきました。

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店頭に貼られたポスターには「ごろごろチキンカレー」の時に書かれていた「このメニューは辛いメニューです」という注意書きはありません。

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食券を出すと混み合っていて時間がかかるというような話がありました。どうやらほぼ満席の店内で、客の大半がビーフカレーを注文しているようです。
松屋としては意外な程待って出てきたビーフカレーです。

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牛丼屋のビーフカレーなら牛丼用の肉が入っているように思いがちですが、薄切りではなく角切りの牛肉がゴロゴロ入っています。「肉が溶ける」という表現がネット上で飛び交っていましたが、そこまで大げさではないにせよ大変に柔らかく煮込まれているのは事実です。特に噛んだりしなくても口の中で肉が勝手にほぐれていくような感覚です。
ごろごろチキンカレーの時ほどスパイシーではなくどちらかと言うとマイルド感のある味わいですが、ビーフカレーにはその方が合っているかもしれません。
牛丼チェーン店で安価で供給されているビーフカレーですからそれほどいい肉は使用していないと思いますが、そんなことを感じさせないようなバランスのいい味わいになっていたと思います。


今回のビーフカレーは「店舗限定」となっており、沼袋氷川神社をお参りした際に覗いた店ではメニューにありませんでした。現在取り扱っている店では通常メニューとして扱うというのであれば、ごろごろチキンカレーのように気付いた時にはメニューから消えているという事もなくうれしい限りです。


カレーに味噌汁が果たして合うのかという松屋特有の問題については、面倒なので今回は特に考えないことにします。

 

◆松屋のカレーは本格的で美味いという記事

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 ◆期間限定だったごろごろチキンカレーの記事

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〖御朱印〗沼袋氷川神社には欅坂46メンバーの絵馬があった

今回は沼袋氷川神社の御朱印をご紹介します。

西武新宿線沼袋駅徒歩2分の線路沿いに鎮座する沼袋氷川神社は1346年に武蔵一宮氷川神社から勧請した御分霊を祀ったことに始まります。近年になって過激派の放火テロによって社殿が全焼したり、東日本大震災によって裏参道の大鳥居が倒壊するなど苦難が続いていますが、いずれも被災後ただちに奉賛会が結成されて翌年に再建されるなど、多くの人々に支えられた明るい雰囲気の神社です。

厄除けや安産の御利益があるとされています。

沼袋駅から線路に沿って新宿方面に進むとすぐに神社の森が見えてきます。

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表参道の大鳥居です。

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三回撫でるとお産が軽くなると言い伝えられている子育て狛犬です。

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力石です。祭りの日に若者たちが力を競い合い、持ち上げた石に重量や姓名を刻んで奉納したと言います。約93㎏から約180㎏の石が奉納されています。

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太田道灌と豊島泰経が戦った江古田原・沼袋合戦の際道灌が戦勝を祈って植えた「道灌杉」の跡です。昭和19年に枯れてしまいましたが、その頃高さが約30mに達していました。

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沼袋氷川神社の社殿です。

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1346年に創建された沼袋氷川神社は17世紀の正保年間に修理が実施され、明治以降にもたびたび増築されました。昭和63年に昭和天皇即位60周年記念事業として社殿が造営されましたが、平成2年3月に過激派の放火テロにより全焼しました。現在の建物は平成3年8月に再建されたものです。

 

神楽殿です。

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御神木の三本願い松です。「悪しきことはスギ去れ、願い叶うをマツ」といって、杉に願を掛け不運・災難を除け、松に幸福を願うと必ず成就するという言い伝えにもとづき「三本願い松」とよばれています。

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他の二本については現地では案内が見つからなかったのですが、神社HPの境内案内図によると社務所の両側の2本のようです。

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境内社の天王社です。

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境内社の稲荷社です。

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境内社の御嶽社です。

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沼袋氷川神社は今年の1月6日に欅坂46のメンバー全員が初詣でお参りした場所として有名になりました。境内の一角には当日メンバーが書いた絵馬が展示されています。

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濡れないようにアクリル樹脂でカバーしていますが、昨夜の台風のせいか結露してしまっていました。

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アイドルグループらしく当たり障りのない内容ばかりでしたが、長沢菜々香と井口眞緒の絵馬には注目させられました。超個性派といってもいいこの二人が今後グループ内でどのような存在になるか注目しています。

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乃木坂46が乃木神社、秋葉原に本拠地を持つAKB48が神田明神というのはわかりますが、欅坂46と沼袋氷川神社にはどういう関係があるのでしょうか。

昨年は都内最大で国の天然記念物に指定された大ケヤキのある練馬白山神社だったそうですから、今年は兼務社の沼袋氷川神社になったのではないかと思います。ケヤキつながりということですね。

 

沼袋氷川神社の御祭神は須佐之男命ですが、スサノオといえば以前にも書きましたが「スサノオを祀った神社は東日本大震災で被災を免れている」という東工大教授の6年前の論文のことが気になります。

水害や疫病に対する力をもったスサノオノミコトは非常時、リスク時における神であり、伝統的地域社会において人々はスサノオを祀る神社を自然災害発生時に最も安全な場所に建てていたと論文では結論付けています。沼袋氷川神社の近隣には妙正寺川が流れていますが、巨大災害時にどのような被害が想定されているか中野区のハザードマップで確認しました。

http://www.city.tokyo-nakano.lg.jp/dept/508000/d002981_d/fil/hazardmap20151101.pdf

これによれば神社周辺では洪水発生時にも浸水が想定されておらず、川が近くにあっても比較的安全な場所であると言えます。

 

御朱印は授与所で頂けます。

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住所が書かれた御朱印というのは初めてです。

 

◆乃木坂46ファンの聖地の一つである乃木神社の記事 

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◆成人の日の前夜はAKBファンが徹夜で場所取りをする神田明神の記事

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◆氷川神社の総本山である武蔵一宮氷川神社の記事

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◆沼袋駅周辺に位置する新井天神北野神社の記事

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「オークマスター樽薫る」は価格の割に驚くほど本格的味わいだった

今回はキリンの「オークマイスター樽薫る」をご紹介します。値上げされた富士山麓に代わる普及モデルの銘柄として発売開始となったブランドです。

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キリンが御殿場に蒸留所を完成させてウィスキーの製造を開始したのが1973年です。サントリーの山崎蒸留所の開設が1923年、ニッカの余市蒸留所が1934年ですから約半世紀遅れてのスタートになります。ジャパニーズウィスキーの中ではシェア59%のサントリーと26%のニッカが圧倒的で、キリンはわずか6%とまだまだの存在ではありますが、輸入ウィスキーとしてはジョニーウォーカー、ホワイトホース、フォアローゼスといった有名ブランドを扱っており、ウィスキー会社としては相当なものであるといえるかもしれません。

 

キリンのウィスキーとして思い浮かぶのは「ロバートブラウン」ですが、最近見なくなったのは販売終了になったのでしょうか。「富士山麓」はおまけについていた「富士山麓グラス」めあてに飲んだこともあるのですが、50度という度数になじむことができずそれっきりになってしまい、昨年当ブログを立ち上げて以降キリンのウィスキーは一度もご紹介していませんでした。(富士山麓グラスは愛用していますが。)

 

昨年発売開始となった「オークマイスター樽薫る」が酒屋の店頭に並んでいるのは知っていましたが、640mlで1000円を切る価格帯に警戒心が湧きこれまで買う気になれませんでした。1本開ければ飲み切るのに4日かかります。酒を飲むという1日で最も大切な時間を過ごすのに4日も不味いウィスキーで我慢するのは辛いものがあります。これまで飲んだ1000円以下のウィスキーにロクなものが無かったので、1000円以上というのがウィスキー選びの一つの基準となっていたのです。

 

当ブログ開設以降、スコッチ・バーボン・アイリッシュ・ジャパニーズとウィスキーに関してこれまで31種類ご紹介してきました。気軽に飲める1000円台のウィスキーとしては酒屋の店頭に並んでいるもののほとんどご紹介しつくした感があり、ここらでひとつ冒険をしてみようと思い飲んでみることにしました。

まずはストレートで飲みます。

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ゴテゴテした部分のない素朴さ満開のボトルで、何となく親しみやすさを感じました。飲んでみるととろりとした柔らかな舌触りで、アルコールのピリピリとした刺激はありません。とにかく「柔らか」という一言です。

ちなみにグラスは富士山麓グラスです。

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次にロックで飲みます。

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氷を入れて冷やすと梅酒を思わせる甘さが感じられるようになりました。さらさらした舌ざわりです。

 

次に水で割ります。水はトップバリュー天然水です。

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まずはトワイスアップです。

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ストレートの時の柔らかさとロックで感じた甘さを兼ね備えています。上質な和菓子のような甘さです。

 

最後にハーフロックです。

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氷を入れて冷やすことにより味わいが全体的にシャープになりました。

元々『オークマスター』と言うのはキリンに吸収される前のメルシャンが軽井沢蒸留所のモルトを使ってブレンドしていた酒で、安価な割には本格的なウィスキーでもあった事から人気のあるブランドであったと言います。

今回の「オークマスター樽薫る」も昔の名前に負けないだけの本格的味わいではないかと思います。安い価格帯のウィスキーには一度飲んでそれっきりになったものばかりなのですが、これでまた少し選択の幅が広がったように思います。

 

◆コストパフォーマンスに優れているブラックニッカリッチブレンドの記事

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◆1000円台のウィスキーでは最強ではないかと思うティチャーズの記事

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未成年の飲酒は法律で禁止されています。健康のため飲み過ぎには注意しましょう。

 

横田基地の「日米友好祭」で最新鋭輸送機の機長席に座った

今回は本日と明日の2日間開催されている横田基地の「日米友好祭」をご紹介します。(台風がやってくる明日どうなるかわかりませんが。)

横田基地は福生市から武蔵村山市にかけて5市1町に跨がっていて、沖縄以外に置かれた米軍基地としては最大の規模になります。在日アメリカ軍の司令部も置かれた横田基地は、東アジアを代表するアメリカ軍基地であるといえます。

もともとは旧日本陸軍立川飛行場の付属施設で福生飛行場と呼ばれていましたが、戦後アメリカ軍に接収されて拡張工事が行われ、1960年頃に現在の規模になりました。

終戦間際にアメリカ陸軍が作成した地図において当時の北多摩軍村山町の字名であった「Yokota」が飛行場近くに記載されていて、そのため横田基地と呼ばれるようなったと言われています。

天気が心配で行くかどうか迷ったのですが、外国の軍事基地中に入る機会というものはそうむやみにあるものではないので、まだ台風が九州の向こうにいる本日行ってきました。

 

横田基地の最寄りは青梅線の牛浜駅ですが、混雑するため拝島駅を利用するよう呼びかけられていました。改札を出ると案内看板と地図が置かれており、これには助けられました。

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友好祭は9時開会となっていましたが、早く行かなければ大変なことになることを厚木基地のイベントで思い知らされていたため、入場口である第5ゲートには8時10分頃到着しました。予想はしていましたが既に行列ができています。

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行列がどこまで続くか見当もつきません。

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「牛浜北通り入口」の交差点で行列が左折します。

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最後尾に到達するまでに15分かかりました。

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基地に入ることができたのはその25分後です。

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入口では手荷物検査があります。入場には国籍を証明する写真付き身分証明書が必要とされていたため、免許証に加えて本籍地を明示した住民票を用意していたのですが、この日は提示は求められませんでした。

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日本の中の外国と言ってもいい米軍基地の内部に入りました。厚木基地の時に感じたような「外国だぁ~」という雰囲気は横田には特にありません。

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まず展示されていたのは「世界最高の輸送機」と言われるC-130です。厚木基地のイベントの際に海上自衛隊のC-130Rの内部を見学しましたが、コックピットは入り口から覗き込んだだけでした。今回は何と操縦席に座れるようです。

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このタイプは厚木基地の近くに住む私の自宅からしょっちゅう見ることができます。

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貨物室内部です。

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人員を輸送する場合の座席です。座り心地はいいものではありません。

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「世界最高の輸送機の唯一の弱点」とされるトイレは折りたたまれていました。

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いよいよコックピットに入ります。ここからは未知の世界です。

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これがC-130のコックピットです。

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遂に操縦席に座ることが出来ました。飛行機の操縦席に座るなどこういった機会を利用しない限り絶対に無理な体験だと思います。

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足もとのペダルは恐らく機体を左右に傾ける際に使用するのだと思います。

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手前にスロットルレバー、奥に脚の出し入れをするレバーがあります。

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操縦席の周囲の至る所にスイッチがあります。

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操縦席からの視界です。

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今回はタイヤに触ることもできました。グッドイヤー製です。

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操縦席に座れるという事で舞い上がってしまい、ついつい写真を撮ることに夢中になってしまいました。

 

展示されている飛行機はほとんどが輸送機で、予定されていた最新鋭の爆撃機B-1Bは来ていないようです。

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銃器類も展示されていました。

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米兵が持っているこの銃を私も持ってみましたが、かなり重いものでした。

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上空をブルーインパルスの編隊が飛んでいきました。

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航空自衛隊の空中給油機KC-767です。

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お尻から突き出した部分を延ばして空中で給油します。

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自衛隊機のタイヤはブリヂストン製でした。

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大型長距離輸送機C-17の巨体が展示されていました。

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私の自宅からも何回か目撃したことのある飛行機で、どでかい機体とゆっくりとしたスピードが印象に残っていて、あれは何者だと常々思っていたのですが、ついに正体が判明しました。

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左が貨物室内の物販に並ぶ列、右がコックピット見学の列です。

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C-17は世界最大級の大型貨物の長距離空輸能力と、世界でもトップクラスの短滑走距離での離着陸能力を兼ね備えた輸送機です。貨物室内部の様子はこうなっています。

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人員輸送用の座席です。C-130よりはしっかりとしていますが、やはり座り心地はいいものではありません。

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長距離を飛ぶ輸送機ということで、トイレもしっかりとしたものでした。(中は見ていませんが)

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コックピットから貨物室が覗けるようになっています。

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なんと天井部分にも出入り口があります。

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1時間半並んでようやくコックピットに入ることができました。

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操縦席に座ることが出来ました。今度は左側の機長席です。C-130より電子化が進んでいます。

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操縦席からみたスロットルレバーです。

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機長席からの眺めです。

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コックピットの後部にはベッドが2段設置できるようになっていました。

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貨物室を覗いてみます。

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機体上部の出入り口に出てみます。

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大型輸送機という事になるとタイヤの役割も重要です。C-17はミシュランのタイヤを履いていました。

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北朝鮮情勢の切迫に伴い横田に飛来してきた無人偵察機のグローバルホークです。

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迎撃ミサイルPAC3の発射機もありました。これが活躍するような事態にならないことを願います。

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敷地内には数多くの屋台が出店しており、どこも大行列となっていました。

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地面にシートを敷いてそこに座って食事をしている光景が至る所であり、この点が厚木基地のイベントと大きく違っていました。

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厚木基地は航空ショーで横田基地は市民の祭りと言っていいのかもしれません。

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しかしコックピットに入るために並ぶのは我慢できる私ですが、屋台に長時間並ぶことは我慢できません。お目当ての佐世保バーガーは断念して拝島駅に戻りました。

 

厚木基地のイベントよりもより近い距離で飛行機を見ることができましたが、残念ながら私がいた時間帯は離発着はありませんでした。

 

「性能のいい機械は見た目も美しい」というのが私の持論ですが、快適さを犠牲にしてでも性能に特化した軍用機には特有の美しさがあります。当然のことながら戦場に投入される兵器ですからいろいろご意見はあると思いますが、こういったものに熱中するのは男としての本能であるとご理解いただきたいと思います。

 

在日米軍の重要拠点である横田基地は、横須賀基地と並んで北朝鮮の攻撃対象となっていることが予想されます。ヒートアップする一方の米朝関係が平和裏に落着し、このような楽しいイベントが今後も継続することを願います。

 

◆厚木基地のイベントの記事

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◆世界最高の輸送機であるC-130の記事

www.goshuinbukuro.com

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〖御朱印〗秩父御嶽神社で待っていたのは地獄の階段上りだった

今回は秩父御嶽神社の御朱印をご紹介します。

西武秩父線の線路沿いに位置する秩父御嶽神社は、小殿バス停と吾野駅を結び竹寺や子の権現を経由する自然歩道である「奥武蔵の古刹を訪ねるみち」のフィナーレのような場所となっています。

小殿からひたすら続いた山道をどうにか踏破し、浅見茶屋で食事と休養もできました。最後に秩父御嶽神社のお参りをサクッと終わらせてこの日四つ目の御朱印を頂き、休暇村奥武蔵で風呂に入って汗を流してから帰るというのが当初の計画です。

秩父御嶽神社の一の鳥居です。

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どうやら豊かな自然に囲まれた神社のようです。

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旧日本海軍元帥で日露戦争の際の連合艦隊司令長官だった東郷平八郎と関係の深い神社であると聞いていたため、原宿の東郷神社のような姿をイメージしていましたが、予想とはかなり違っていました。ちなみに御朱印所はこちらの左手にあります。

 

子の権現に奉納されていた巨大な下駄がこちらにもありました。

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秩父御嶽神社の境内案内図です。この延々と続く階段は一体何でしょう。どうやら当初の目論見とは違った状況になってきたようです。

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いよいよ階段が始まりました。これまで延々と山道を歩いてきた足にはかなり応えますが、この程度の階段が平らに見えるような光景を後程目にすることになります。

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階段が少し急になりました。

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東郷元帥の銅像が見下ろしてきます。

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日露戦争における日本海海戦の大勝利により東郷元帥は神のごとき存在となりましたが、全国20カ所以上から出された銅像建立の願いに対し、自身の生前の銅像建立を未だかつてどこにも許していませんでした。そのため秩父御岳神社を開いた鴨下清八は何度も自宅を訪れて銅像建立の許可を求めるだけでなく、東郷元帥と親交のある陸軍予備役中将堀内文次郎を通して説得したといいます。

それ以降秩父御岳神社の境内は東郷公園と呼ばれ、日露戦争の遺品が展示されています。

旅順軍港に布設され、日本海軍の進入を防いだ水雷です。旅順港を巡る攻防に際し、連合艦隊は戦艦2隻を触雷で失いますが、それがこの水雷だったのでしょうか。

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ロシア艦隊主砲の砲弾です。

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戦艦三笠の甲板です。

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司令長官が乗る旗艦だった三笠は日本海海戦において艦隊の先頭にいたため敵の砲弾が集中し、甲板がハチの巣状になりました。三笠は現在横須賀で記念艦として保存されています。

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さらに急になった階段が続きます。

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この階段を上がってしばらく進むと嘘のような光景が出現しました。

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ここは本殿遥拝処と呼ばれる場所です。

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どうやらお参りを断念し、ここから本殿を遥拝して帰ってしまう人もいるようです。しかしそれでは「お参りをした証」という御朱印の趣旨に反することになるので、何としても登ると覚悟を決めました。人生において幸運のきっかけというのはどこに転がっているかわからないものです。それにしても真下に立って上を見ると階段は壁のようでした。

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全長9.5㎞の山道を歩いてきた後だけに相当きついものがありました。ちょうど鳥居のあたりで早くも両足が悲鳴を上げるような状態となり、一旦途中で小休止です。愛宕神社の出世の石段でも香川のこんぴらさんの石段でも途中で止まるなどということなどなかった私にとって、こんなことは初めての経験でした。

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階段を上りきるとまた次の階段か待っています。

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途中にはこのような札が立てられていました。

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残り200段の所から見上げると、上がった先にさらに次の階段が待っていることがわかります。傾斜が急なうえにつま先上がりになっている段がいくつもあり、その度に後ろによろけそうになりました。ここでは手すりをしっかりと握って上らないと危険です。

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これが最後であることを願って上ります。

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まだ50段もあります。

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どうやらこれが本当に最後のようです。

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秩父御嶽神社の本殿です。

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秩父御岳神社は明治27年に百姓の長男であった鴨下清八が創建した神社です。母が危篤となって医者も見放す状態となったため、御嶽教の信徒となって修行したところ奇跡的に回復しました。神徳を信じた鴨下は福寿山を開き、木曽御嶽山を勧請して秩父御嶽神社を創建したのです。

 

本殿に向かって右側には、「幸の鐘」という梵鐘があります。

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晴れていればこの地点からスカイツリーが見えるそうです。

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さて上ってきたのですから今度は下らなくてはなりません。急な階段で体を支えられる自信がなかったため、下りはもっぱらう回路を利用しました。

 

御朱印は麓の社務所で頂けます。応対してくれた女性職員に「その御様子だと本当に上まで行かれたようですね」と言われました。

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神職がお祓い中ということで書置きの御朱印を頂きました。

 

◆「奥武蔵の古刹を訪ねるみち」沿いにある寺院

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◆日本海海戦の間、東郷長官が立ち続けた場所

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