酒と車と御朱印の日々

「毎日更新」心願成就へ向け飲んで走ってひたすら祈る!悲願は実現する!

「甘酒横丁」には江戸情緒を残す名店が並んでいる

先日は水天宮の御朱印をご紹介しましたが、本日はその近隣に位置する甘酒横丁をご紹介します。

甘酒横丁は人形町通りから明治座に向かって東西に延びる道で、約400mの間に60件以上の店が並んでいます。

この辺りは江戸時代に吉原遊郭(元吉原)が置かれていた場所になります。

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徳川家康が江戸幕府を開くと都市機能の整備のために関東一円から人足が集められ、そのため江戸の人口比率は圧倒的に男が多かったといいます。そのような時代背景のもとに遊郭の設置が陳情され続けた結果、当時はまだ江戸の外れであったこの地に設置することが許可されました。当時このあたりは海沿いの湿地帯で、葦が繁っているような場所であったことから「吉原」と呼ばれたといいます。

 

1656年の明暦の大火の後遊郭は浅草寺裏日本堤(新吉原)に移転しますが、同じ時期に日本橋に魚河岸が開設された関係で、周辺は関係者とその家族が暮らす人口密集地となりました。そのため地域住民に娯楽を提供する目的で芝居小屋や寄席ができます。人形町という地名は芝居小屋の人形師が多く暮らしていたことから名付けられました。

 

明治5年に水天宮が移転してくると新たな繁華街としての整備が進められます。現在の明治座の起源である吉昇座は明治6年に開設されました。

当時の横丁は今よりも南にあり、道幅も狭かったようです。入り口付近に尾張屋という甘酒屋があって大繁盛していたことから当時は「甘酒屋横丁」と呼ばれていました。

関東大震災後の区画整理で現在の道幅となり、呼び名も「甘酒横丁」として地名となり現在に至っています。

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日本橋周辺は戦後オフィス街となって街並みが激変しますが、それでも人形町界隈は江戸情緒が感じられる場所として人気スポットとなっています。

 

「甘酒横丁」交差点が入り口になります。

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個性的な店が立ち並んでいます。

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明治座へ向かう客をターゲットとした老舗の名店も数多くあります。

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かつての甘酒屋である尾張屋があった場所にある「玉英堂」です。

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「甘酒横丁由来の地」という貼り紙を出していました。どら焼きで有名な和菓子店ですが、甘酒は飲めないようです。

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甘酒横丁周辺はいつ行ってもほうじ茶の香りが漂っています。お茶専門店の「森乃園」です。

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閉店した尾張屋から甘酒を引き継いだ豆腐屋の「双葉」です。

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自家製の豆腐やがんもどきが評判の店ですが、店頭で甘酒を飲むこともできます。

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麻布十番の「浪花屋総本店」四谷の「わかば」と並び「たい焼き御三家」と呼ばれる「柳家」です。

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この日も店内はたい焼きを待つ人で一杯でしたが、行列が道路にまで伸びることも珍しくありません。

尻尾まであんが詰まった焼き立てのたい焼きは皮がパリパリしていて大変に美味しいのですが、何しろ熱いので食べるのに注意が必要です。

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人気の鶏肉専門店の「鳥忠」です。鶏肉のそぼろが入った玉子焼きの親子焼きが看板商品です。

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老舗の三味線専門店の「ばち英楽器店」です。三味線の修理も扱っています。

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老舗のそば屋もあります。

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横丁から一本外れますが、すき焼きの名店である人形町今半の本店もあります。

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中村座と市村座の芝居小屋があった人形町周辺は江戸歌舞伎発祥の地とされ、浜町緑道には「勧進帳の弁慶像」が置かれています。

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「名前は知っているけど何をやっているかよくわからない」日清紡の本社は甘酒横丁に面しています。

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甘酒横丁の終点にいちする明治座です。もともとは歌舞伎の殿堂でしたが、現在では時代劇公演や歌謡ショーが中心になっています。

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甘酒横丁にはこれ以外にも個性的な店が並んでおり「下町の散歩道」として楽しめるようになっています。水天宮をお参りした際にも立ち寄ってみてはいかがでしょうか。

 

◆都内の超個性的スポットの記事

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【御朱印】水天宮とブリヂストン創業者の意外な関係とは?

今回は日本橋蛎殻町に鎮座する水天宮の御朱印をご紹介します。

水天宮は甘酒横町で知られる人形町のすぐ近隣に位置しており、勤務先が岩本町にあった時にはよく近くを通りましたが、当時は明治座のそばに仮宮を設けて建て替え工事中でした。三年に渡る工事も終わったようであり、「平将門の首塚」目当てに大手町まで出た機会を利用してお参りすることにしました。地下鉄の駅名になるくらいの神社ですが、お参りするのは今回が初めてです。

半蔵門線の水天宮前駅で下車して地上に上がると、以前とは全く違った光景になっていました。

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近代的ビルと一体化した堂々たる社殿がそこにはありました。

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建て替え後の水天宮は何と最新式の免震構造の建物となっています。「安産祈願を安全に」という事なのだそうです。

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免震構造とは地震の際に地盤の揺れを建物本体に伝わらないようにすることによって建物の被害を食い止めようとするもので、建物と地盤を切り離して間に免振ゴムやオイルダンパーのような素材を挟み込みます。

免震・制震・耐震の違い | THK免震ウェブサイト

車のサスペンションのように地震の振動を免振ゴムが吸収することにより建物の揺れを最小限にするというもので、揺れを吸収させるための隙間を植栽でカバーしています。

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下を覗き込みたい衝動を辛うじて抑え込みました。

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エキスパンションジョイントと呼ばれる金属製のカバーの下は隙間があいています。地震で大きな揺れが発生しても最小限の破損で済ませるための工夫です。

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表参道にあたる正面の階段です。

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階段の両脇には人形が置かれていました。

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これが何の人形かはついにわかりませんでした。

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堂々たる狛犬の像です。

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こんな所でブリヂストンの創業者の名前を見ることになるとは思いませんでした。

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神社に寄進といえば松下幸之助氏の名前ばかり見ていましたが、石橋氏も美術館だけじゃなくてこんな所にも金を使っていたのですね。

 

安産子育河童です。足もと・胸・肩に赤ちゃんの河童がしがみついています。

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境内社の寶生辨財天です。学業・芸能・財福の御利益があるといわれています。

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子宝犬の像です。お産が軽く多産であるいぬにあやかったもので、周囲を取り巻く十二支のうち自分の干支を撫でると安産、子授け、無事成長など様々なご利益があるといわれております。

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水天宮の本殿です。

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東京の水天宮はもともと九州の久留米藩主が代々崇敬してきた久留米水天宮を江戸でもお参りできるように勧請したものです。

全国各地にある水天宮の総本宮は久留米水天宮で、意外なことに源平の壇ノ浦の戦いと関係がありました。

安徳天皇の母である高倉平中宮に使えていた女官の伊勢は壇ノ浦の戦いで生き残って現在の筑後川のあたりに落ちのび、平家一門と共に入水した安徳天皇、高倉平中宮、二位の尼(平清盛の正室)を祀った祠を建てたのが水天宮の起源です。伊勢は後に剃髪して名を千代と改め、周辺の民に請われて行った加持祈祷が霊験あらたかであったため尼御前と称えられ、水天宮は当初尼御前神社と呼ばれていました。

 

1818年に赤羽橋の久留米藩有馬家上屋敷内に勧請された水天宮は人々の信仰が篤く、塀越しにお賽銭を投げる人が後を絶たなかったといいます。そのため時の藩主は毎月5日に限りお屋敷の門を開き、人々のお参りを許しました。

その後も水天宮は有馬家と共にあり、明治4年に青山、翌5年に日本橋蛎殻町に移転して現在に至っています。

 

久留米に総本宮がある神社の分社ということならブリヂストンの創業者が狛犬を寄進したこともよくわかります。今や世界最大のタイヤメーカーとなったブリヂストンですが、基本的には石橋正二郎氏が久留米の地下足袋製造業者からスタートさせた九州ローカルな会社です。工場長の中でも久留米工場長は常に別格扱いです。そして各工場の近隣には九州ラーメンの店があり、どこの事業所でも九州弁を話す者が一番威張っているような会社なのです。

 

本殿から振り返ると表参道である階段の上に建つ超近代的なビルが良く見えました。

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虎ノ門の金刀比羅宮や六本木の出雲大社東京分祀のように、都心部の神社はこのような形でビルと共生することが避けられない時代なのかもしれません。

御朱印はビルの中で頂けます。

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美しい筆跡の御朱印を頂きました。

◆水天宮のお参りを終えたら甘酒横丁を散策してみよう

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◆近代的ビルと共生している虎ノ門金刀比羅宮の記事

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◆分譲マンションのテナントとなっていた出雲大社東京分祀の記事 

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湘南モノレールは下り区間が長い湘南江の島駅発の方が迫力がある

今回は湘南モノレールについて書きたいと思います。

湘南エリアの一大観光スポットである江ノ島への足としては江ノ電と小田急江ノ島線ばかりが脚光を浴びていますが、実はそれ以外に湘南モノレールがあることは意外と注目されていないのではないでしょうか。

【画像集】江ノ島の花火大会で江ノ島電鉄線・小田急線が激混みの一方、湘南モノレールがガラガラ状態 - NAVER まとめ

沿線に鎌倉大仏や江ノ島と言ったメジャーな観光スポットを抱える江ノ電には、ゴールデンウィークや夏休みといった観光シーズンになると大勢の観光客が押し寄せます。特に鎌倉駅では江ノ電に乗車しようとしている人が駅から溢れて行列がロータリーまで延び、乗車するまで1時間以上並ばなければならないような状況となります。

これでは日常の足として江ノ電を利用している沿線住民はたまったものではないため、社会実験として今年のゴールデンウィークに期間限定で沿線住民に優先乗車証明書を交付したことがニュースになりました。それを見た私が思ったのは、「江ノ島だったらモノレールで行けばいいのに」ということです。

 

湘南モノレールについては大船から湘南江の島駅まで通して乗車した記事を掲載しましたが、お陰様で大勢の方からアクセスを頂くことができました。

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その中で私は湘南モノレールを「鎌倉山を猛スピードで駆け抜けるジェットコースターそのもの」と称しました。レールが道路上の上空に設けられているためカーブが多く、また鎌倉山を越えるために普通の鉄道ではありえないくらいアップダウンも激しいものがありました。

湘南江の島駅のホームがかなり高い位置にあるため、大船から乗車した場合は坂を上りの距離の方が下る方より長かったように思います。そのため坂を下る時間の長い反対方向ではどうなるか、腰越の小動神社にお参りした帰りに試してみました。

湘南モノレールの湘南江の島駅は地上5階建ての駅ビルの5階に位置しています。エスカレーターが利用できるのが2階から4階までで、それ以外は階段を上らなければなりません。

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この「駅が空中にある」という点が湘南モノレールの最大の弱点で、現在道路から駅までのエレベーターを整備するなどのバリアフリー化が急ピッチで進められています。

 

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最も急がれる湘南江の島駅も来年の4月までには完了する予定となっています。PASMO・Suica等のICカードについても来年導入を目指し対応中のようです。

 

湘南江の島駅をスタートするといきなりトンネルです。思わずのけぞってしまうような加速なのは相変わらずでした。

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目白山下駅です。

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しばらくは道路に沿ってカーブしながら鎌倉山を上ります。

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このあたりが頂点で、ここから先は下りの方が多くなります。

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片瀬山駅付近でお腹をこすりそうな感覚になるのは上りも下りも同じです。

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このような急カーブも車体を傾けてスピードを落とさず曲がります。

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このあたりは高さもかなりあります。

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西鎌倉駅です。

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前方に急カーブが見えます。

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そのカーブを抜けているところです。車体が傾いているのがおわかりいただけますでしょうか。

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道路から離れ、最高速が出るポイントに突っ込んでいきます。

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最高速が出るポイントと思われる鎌倉山トンネルです。

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このあたりの速度は70㎞くらいだったと思いますが、京急の快速特急よりもスピード感があります。

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トンネルを出ました。

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スピード感が伝わりましたでしょうか。

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もはやこの辺りは都市交通というより完全に遊園地のジェットコースターです。

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道路に合流しました。

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右に左にカーブしながら坂を下り続けます。「ブレーキ壊れてないだろうな」と心配になります。

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一転して街中に入りました。

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湘南深沢駅です。

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ここでカメラの電池が切れるという予想外のハプニングが発生しました。しばらく充電をさぼっていた報いです。いろいろ試しましたがどうにもならないため、ここからはスマホで再開です。あれこれやっている間に湘南町屋駅は過ぎてしまいました。

鎌倉山はほぼ下りていますが、微妙なカーブとアップダウンが続きます。

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車では何でもないカーブですが、モノレールだと結構なGを感じます。

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富士見町駅が空中楼閣のように見えてきました。

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写真中央部の少し下に4.5mの高さ制限の標識が見えます。

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大船駅に近づくと再びカーブがきつくなりました。

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終点の大船駅です。

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江ノ電の場合は海岸線に出る時に江の島が視界に飛び込んでくる鎌倉発の方が面白いと思っていますが、湘南モノレールの場合は下りが長い湘南江の島発の方が大船発より面白いように感じました。

湘南モノレールは2015年5月に三菱グループから公共交通機関の経営を幅広く手掛けるみちのりホールディングスに経験が譲渡されました。マンションでいえばディベロッパーから管理会社に引き渡されたようなもので、自然な流れのように思われます。

こういう超個性的な路線というものは私は大好きです。江ノ島までの観光客の足として、江ノ電にとって代わるだけの存在になるかどうか、その手腕が楽しみです。

 

◆大船から湘南モノレールに乗った記事 

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 ◆江ノ電は鎌倉発の方が面白いという記事 

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 ◆江島神社の御朱印の記事 

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【御朱印】来宮神社は高級ホテルの日本庭園のような空間だった

今回は熱海の来宮神社の御朱印をご紹介します。

焼津千手大観音で7冊目の御朱印帳がスタートしましたが、せっかく静岡県に進出したのですから焼津だけで帰るのはあまりにも芸がありません。東海道線は必ず熱海で乗り換えがあります。そこで以前からいつかは行こうと思っていた来宮神社にお参りすることにしました。

来宮神社の最寄りは熱海駅と丹那トンネルの間に位置する来宮駅ですが、伊東線の駅であるため熱海から一駅だけ戻らなければなりません。伊東線のホームに入線してきたのはバリバリのリゾート列車でした。

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乗車時間三分だけの距離のためにこんな電車に乗るというのも妙な気分です。

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来宮駅からは丹那トンネルの坑口が見えます。開業当時の東海道線は国府津から沼津まで現在の御殿場線を通っていましたが、伊豆半島を貫く丹那トンネルの開通により現在のルートとなっています。

約7800mの距離を掘り抜くのに16年もかかった大変な難工事でしたが、トンネルが開通したことでそれまでよりも輸送力が大幅にアップしました。

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来宮神社には駅から徒歩5分で着きます。うっそうとした緑に囲まれた参道にはハイカラな神々しさがあり、若いカップルが大勢お参りに来ていました。鳥居の正面にはスマホ用のスタンドまであります。田舎の寂れかけたような神社の姿を想像していたのですが、全然違っていました。

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境内の案内図も大変におしゃれです。

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入ってすぐ左にあるのが京都の伏見稲荷神社から勧請した来宮稲荷神社です。

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参道の右手には秩父から勧請してきた三峰神社があります。

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御神木の大楠に次ぐ第二大楠です。

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うっそうとした森の中を一直線に伸びる参道です。神社の参道というより高級ホテルの日本庭園というようなものを感じました。

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御神水です。閑散時は自由にお水取りをしていいようです。

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本殿右奥の来宮弁財天です。

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来宮神社の本殿です。

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710年に熱海の漁師の網に木像がかかり、その際に波の音の来ない楠木の祠に像をまつるよう五十猛命のお告げがあったというのが神社の起源です。木像を御神体としたことから「木の宮」と称えたといいます。

 

本殿の左手奥にあるのが国指定天然記念物の大楠です。推定樹齢2000年以上、樹高約20m、幹周り約24mで、本州最大、日本全体でも第2位という巨木です。

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幹の周りを1周すると寿命が1年伸びる、願いをひっそり唱えながら幹を回ると願い事が叶うといった言伝えがあります。

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テレビでも再三にわたって紹介されました。

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御朱印所も何やらホテルのフロントを思わせるような雰囲気です。

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芸術品を思わせる神輿が展示されていました。

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かつて新婚旅行のメッカとして全盛時代を迎えていた熱海もバブル崩壊後は衰退の一途をたどりました。しかし様々な取り組みがなされた結果、熱海は再びかつての輝きを取り戻しつつあります。

来宮神社もその一環として平成22年から場内整備をつづけているようです。

専門業者によるプロデュースのもとに参道や施設を整備し、更には御神木である大楠の周りに85個と境内に75個の計160個のLEDを鳥かごや浮き球に仕込み、境内全体「木霊」に木霊を表現するプロジェクトも進めています。神社は明るい時間に来るものというイメージがありますが、こちらでは夕方から23時までライトアップしているそうです。

何やら一貫したコンセプトで整備を進めたような雰囲気を最初に鳥居をくぐった時から感じていたのですが、その理由がよくわかりました。

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シンプルでありながらもかっこよさのある御朱印をいただきました。

※後日ライトアップされた様子を見に夜行ってみましたが、昼間よりもさらに神秘的な雰囲気が増していました。夜にも見どころがある神社というものは初めてです。

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 4枚目は昼間見逃した「五色の杜」です。

 

◆同じ静岡の焼津千手大観音の御朱印

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◆街と神社が一体となって発展しているのは伊勢神宮も同じ

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【御朱印】焼津千手大観音には日本一の高さの千手観音がある

今回は焼津千手大観音として知られる大覺寺全珠院の御朱印と御朱印帳をご紹介します。

前回お参りした放生寺で中尊寺金色堂からスタートした6冊目の御朱印帳が表裏共に完全に埋まり、7冊目をどこの御朱印帳にするか悩んでいました。御朱印帳の選び方についてはこれまでに何回か書いてきましたが、基本的に大型サイズで、表裏の両面に御朱印を頂くために墨が裏まで染みないような厚めの紙でなければなりません。

御朱印帳に関しあれこれ情報を集めた結果、7冊目は焼津千手大観音の御朱印帳としました。すこし遠方ですが、青春18きっぷを使用するにはちょうど良い距離です。

 

青春18きっぷについてはその内詳しく書こうと思っていますが、簡単に言うと11,850円でJR全線の普通列車1日乗り放題を5回楽しめるというものです。(9月10日まで)

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私は当初下車したら前途無効かと思っていたのですが、日付が変わらない限り何度でも途中下車できます。私の自宅から焼津ですと藤沢からJRに乗ることになりますが、藤沢~焼津の往復運賃が5,180円のところ2,370円で済むことになります。

 

この辺りは新幹線では何回も通りましたが、伊豆半島を貫く在来線の丹那トンネルを昼間に抜けるのは考えてみれば人生で初の体験でした。

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熱海までは雨模様だった天気がトンネルを抜けた途端に晴天となるのですから、なるほどほとんどの窓でカーテンが降ろされているはずです。それにしてもこの区間の電車の混み方は予想以上で、熱海の乗り換えでトイレに行っている間に島田行の席が全て埋まってしまい、その上熱海で乗車した客のほとんどが静岡まで降りませんでした。

 

焼津千手大観音は焼津駅から少々距離があります。観光名所の焼津さかなセンターが近くにあるのでバスに乗る場合はこちらの停留所を利用します。

しかしバスは1時間に1本程度しかなく、これを逃してしまった私は結局タクシーを利用しました。今になって地図で調べると2.4㎞程度の距離ですから十分に歩ける距離です。

焼津千手大観音こと大覺寺全珠院の入り口です。実にモダンで綺麗なお寺です。

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参道脇には広島の原爆死没者慰霊碑を模した祈りの碑が置かれていました。

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全珠院方丈です。

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千手大観音殿です。手前に回向柱が立てられています。

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焼津千手大観音は850年に創建された大覺寺が起源ですが、998年に善修庵に引き継がれ1553年に全珠院に改められて現在に至っています。本尊の千手観音は平成15年に開眼したもので、高さ4.2m仏頭1.8mは京都三十三間堂の千手観音を750年ぶりに上回る日本一の大きさです。

撮影は問題ないという事なので1枚写しました。回向柱から延びたひもがしっかりと観音様の手に結び付いていました。

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さていよいよ7冊目の御朱印帳を手に入れることにします。大型サイズで黄色とピンクの2種類ありましたが、御朱印袋の色に合わせてピンクにしました。

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裏表紙とあわせるとこうなります。

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法要が終わったばかりのバタバタした中で頂きました。

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大変に力強いご朱印をいただきました。

 

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粗末に扱うと祟られる。「将門の首塚」に現代も残る強烈な怨念

今回は平将門の首塚をご紹介します。

大手町の超近代的高層ビル群の中で新たに地上40階、高さ200mのビル工事が進行中ですが、その建設現場の一角にうっそうと木が繁る空間が食い込んで区画が凹型になっています。これさえなければ綺麗な地型になるのですから、超一等地になんでこんなものを残したのだろうと感じるような光景です。

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実はこれが「将門の首塚」と呼ばれる東京都指定旧跡の「将門塚」なのです。

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これまで御朱印を集めながら各地の神社やお寺を紹介してきましたが、その中で平将門の乱といわれる承平・天慶の乱に関連した寺社が幾つも登場し、将門がいささか気になる人物となっていました。当ブログでこれまでご紹介してきた中で将門に触れたものとしては「下谷神社」「武蔵一宮氷川神社」「成田山新勝寺」(乱の鎮定を祈願)「九重神社」(将門が砦を築いた)「神田明神」(将門を御祭神として祀る)とこれだけあります。

 

平将門は崇徳天皇、菅原道真と並び、非業の死を遂げた日本三大怨霊の一つとされています。

平安時代中期から歴史に登場する武士団のなかで、桓武平氏は清和源氏と並ぶ一大勢力でしたが、その中で将門は桓武天皇の五代後の子孫になります。下総国、常陸国に広がった平氏一族の抗争が、やがては関東諸国を巻き込む争いへと進んだのが承平・天慶の乱ですが、将門はその際に国府を襲撃して印鑰を奪い、京都の朱雀天皇に対抗して「新皇」を自称し、東国の独立を標榜したことによって遂には朝敵となりました。しかしその後わずか2か月たらずで藤原秀郷、平貞盛らにより討伐されてしまいます。

将門の首は平安京へ運ばれ、晒し首となりました。獄門が歴史上で確認される最も古く確実な例が、この将門です。

しかしその首は3日後に空高く舞い上がり、故郷に向けて飛んでいきます。その首が落ちたと言われる場所はいくつかありますが、最も有名な場所が今回ご紹介している大手町の将門塚です。

この地は神田明神が創建された場所なのですが、村人が恐れて塚を築いて首を埋葬したといわれます。

 

その後この周辺で天変地異が相次いだことから将門の祟りではないかと人々が畏れ、時宗の真教上人が将門に「蓮阿弥陀仏」の法名を贈って首塚の上に自らが揮毫した板碑を建立し、傍らの神田明神に将門の霊を祀ったところ、天変地異はようやく鎮まったといいます。

首塚の前に真教上人が揮毫した板碑が立てられています。

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首塚です。内部で蝋燭がともされていました。

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隣地のビル建設工事期間中、首塚は防護ケースで覆われています。

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徳川幕府の時代になり神田明神は移転してこの地は大名屋敷になります。しかし首塚はその中に残り、明治になって大蔵省の庁舎が建てられても敷地内に残りました。関東大震災で首塚は倒壊しましたが、その結果誕生したのが「首塚を粗末に扱うと祟る」という伝説です。

●2年間で関係者が14人死亡、最後は庁舎が全焼した大蔵省

大正12年、関東大震災で倒壊した庁舎の再建に乗り出した大蔵省は首塚をつぶしてその上に仮庁舎を建設したのですが、僅か2年の間に大蔵大臣を始めとする14人もの関係者が亡くなりました。その他にも怪我人・病人が続出したことから、大蔵省は仮庁舎を取り壊し、首塚を現在の形に再建せざるを得なくなります。

昭和15年、落雷による火災で大蔵省の庁舎が全焼した際も「首塚を粗末にしているから」という声が再び上がり、大蔵省は鎮魂祭を盛大に行って塚に「故蹟保存碑」を建立しました。

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●作業員が事故死したGHQ専用駐車場工事

昭和20年、空襲で焼失した大蔵省の跡地にGHQ用の駐車場を造成しようとした際、ブルドーザーがひっくり返り作業員が死亡する事故が起こりました。関係者がGHQに陳情に赴き、「昔の大酋長の墓」と説明してようやく工事の中止を了承させたといいます。

●行員が次々病気に、最後は銀行としても破綻した日本長期信用銀行

高度経済成長の時代になり大蔵省は首塚の部分だけ残して周囲の土地を売却し、首塚の参道にあたる場所には日本長期信用銀行が建てられました。すると今度は塚に面した部屋の行員が次々と病気になるという事態が生じます。神田明神の神官がお祓いをして騒ぎは収まりましたが、最終的には長銀そのものが破綻してしまいました。

 

その後周辺には次々とビルが建てられますが、「単なる迷信」と軽んじて工事に臨んだ現場では事故が続発します。

その結果、隣接するビルでは「塚を見下ろすことのないよう窓は設けていない」「塚に対して管理職などが尻を向けないように特殊な机の配置を行っている」といった伝説が発生しました。

ちなみにブレイク前の爆笑問題の太田光が番組企画で首塚にドロップキックをしたところ、その後しばらく全く仕事がなかったといいます。

現在隣地でビル工事を実施している三井不動産は「神聖で大切な場所と認識している」とコメントしました。首塚を覆う防護ケースもその表れでしょうか。普通の工事現場ではここまでの近隣対応はしません。

 

様々な経緯を経て将門の首塚は現在まで残り、「荒ぶる神は願い事も叶う」ということでお参りする人の数は多いようです。首塚の敷地内は清掃が行き届き、香華が絶えません。

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敷地内の石のベンチは願い事が叶った方から奉納されたものだそうです。

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塚の周囲には蛙の置物が数多く置かれていますが、これは将門の首が京都から飛んで帰ってきたことから「カエル」ということにかけたものです。

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左遷先から元の部署に「帰る」、行方不明になった子供が「帰る」といったことを願って奉納されました。 

 

賽銭箱に納められる浄財は年間で約80万円になるという事で、隣接する三菱東京UFJ銀行内に「平将門」名義の口座を開設して管理し(本人確認はどうするのだろう)、これによって清掃や整備を行っています。

 

現代のような科学万能の時代になっても、まだこのような摩訶不思議なものが残されているというのは実に興味深いものがあります。だからこそいつの時代になっても人々はお寺や神社にお参りすることを欠かさないのでしょう。

尚、将門の乱の際に乱の鎮定を祈願したのが成田山新勝寺です。ですから将門の荒ぶる魂に願い事をしようと思う人は成田山にお参りすることは避けた方が良さそうです。念のため。

 

◆将門の乱に際し、鎮定を祈願した寺や神社の記事

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 ◆かつて将門が砦を築いた場所に建つ九重神社 の記事

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 ◆朝敵の将門を「郷土の勇士」として祀る神田明神の記事

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【御朱印】放生寺も冬至に「一陽来福」札の授与を行っている

今回は早稲田の放生寺のご朱印をご紹介します。

放生寺は1642年に良昌浄人が穴八幡宮の創建に尽力し、その別当寺(神社を管理するための寺)として隣地に創建された寺院です。

 

穴八幡宮から早稲田大学側の階段を下りると放生寺への坂道が延びていました。

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向かい側の早稲田大学戸塚キャンパスはちょうどオープンキャンパスを開催中でとにかくものすごい人出でした。

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境内に入るとまず弘法大師の像があります。

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敷石の下には四国八十八ヶ所の全ての霊場の砂が敷いてあり、左から「南無大師遍照金剛」と唱えながら時計回りにまわると四国八十八ヶ所全てまわった時と同じ功徳を受けられるといいます。

 

神変大菩薩像です。山岳信仰の第一人者であり、山野を駆け巡って御修行されたことに由来し、今日では特に足腰の弱い方をお救い下さると言われております。

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水かけ地蔵です。まるで大地のように、何度踏まれても怒ることなく、決して屈することなく、大きな慈悲心で全てのものを救っていこうとする力を持った菩薩です。

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お参りの手順が丁寧に説明されていました。

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放生寺の本堂です。

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放生寺の本尊の聖観世音菩薩像は融通虫封観世音とも呼ばれ、起源は定かではありませんが江戸の時代より夜泣きや疳の虫の祈祷霊験あらたかな寺として多数の老若男女がお参りしています。

 

毎年体育の日に開催される「放生会」の際に使用される池です。

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放生とは捕らえられた魚介、鳥、動物などを殺生をしないで池、川、山林に放す法事であり、仏教儀式としての放生会は、中国天台宗の開祖智顗(ちぎ)が、漁民が雑魚を捨てている様子を見て憐れみ、自身の持ち物を売っては魚を買い取って放生池に放したことに始まるとされています。創建当時は穴八幡宮の境内に放生池がありましたが、1920年代に埋め立てられてしまいました。

 

法要の前にまず立川流真打で医学博士でもある立川らく朝による「健康落語」があります。

落語会の後、法要に移り、常日頃食膳を賑わし命の源を養う要素となった魚介、鳥、動物等に感謝の心を顕して塔婆を供えて供養し、それらの霊を慰め 法会終了後は感謝の気持ちを持って境内の放生池に魚を放します。

 

穴八幡宮とは元々不可分であったため、神仏習合の江戸時代に始まった「一陽来復」の札の授与は穴八幡と放生寺の双方で行われています。ただし放生寺の札は「一陽来」と1文字異なっていますが、これは観音経偈文の「聚海無量(ふくじゅかいむりょう)」に因んでいます。

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穴八幡宮のお守りは商売繁盛・金運UPなど、お金を融通に関するご利益があるのに対し、放生寺は、商売繁盛以外にも、近年では人間関係の融通に効果があると言われています。

 

放生寺のご朱印は本堂内で頂けます。

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オーソドックスなご朱印を頂きました。

 

◆隣接する穴八幡宮の記事

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◆放生寺と同様に不思議な雰囲気だった上行寺の記事

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