酒と車と御朱印の日々

心願成就へ向け飲んで走ってひたすら祈る!信じる者は救われる!

〖御朱印〗浄土真宗の東本願寺(浅草)でもいただけた

今回は浅草の東本願寺の御朱印をご紹介します。

かっぱ橋道具街に隣接して巨大な寺院があることには以前から気付いていましたが、「本願寺」という名前が入っていることで、「じゃあ浄土真宗だ」ということでしばらく放置してしまっていました。

血脈と法脈が影響する浄土真宗の宗派

本願寺の正式名称としては「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」となっています。

浄土真宗本願寺教団は戦国時代に各地で一向一揆をおこすなど巨大な力を持っていましたが、豊臣秀吉や徳川家康による宗教政策によって東西に分裂しました。現在では京都の西本願寺を本山とする本願寺派と東本願寺を本山とする真宗大谷派という2つの大きな宗派を始めとする「真宗十派」と言われる宗派があります。

 

その他にも数多くの宗派がありますが、真宗大谷派の内部で発生した「お東騒動」と呼ばれる紛争により、1988年に独立して結成されたのが東本願寺派です。

浄土真宗では僧侶に肉食妻帯が公然と許されており、師弟関係によって発生する法脈に加えて血縁関係による血脈が影響します。浄土真宗における宗派のややこしさはこの点が関わっているように思えてなりません。

東本願寺の歴史

東本願寺は1591年に神田に創建し、その後京都の東本願寺の別院となりました。1657年の明暦の大火により焼失し、浅草に移転して浅草本願寺と呼ばれるようになります。

境内は1万5000坪の広さを誇り、その姿は葛飾北斎の富嶽三十六景にも描かれています。その後火災による焼失と再建を繰り返し、関東大震災による焼失の後、昭和14年に現在の鉄筋コンクリート造の本堂が竣工しました。

昭和40年に浅草本願寺から東京本願寺に改称し、平成13年より現在の名称となっています。

東本願寺の境内

正門

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本堂

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鉄筋コンクリート造の巨大な建物で、自動ドアを通って中に入ると、巨大な空間の正面に安置されている黄金の阿弥陀如来座像が目に飛び込んできます。

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身障者用エレベーターもしっかりと設置されていました。

蓮如上人像

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当時の民衆の成長を背景に講と呼ばれる組織を築くことにより、本願寺を急速に発展・拡大させた功労者です。

親鸞聖人像

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浄土真宗の開祖です。

御朱印

一般的に浄土真宗では御朱印はしないというイメージが出来上がっています。

京都の東本願寺(真宗大谷派)のHPでは朱印をしない理由として「一度朱印をもらえば、二度とお参りすることはない。」「大事なのはお参りすることではなく、お参りして教えに出遇うこと。」「お寺を回ったというような達成感に腰を落ち着けてしまうのではなく、教えを聞き続けようと立ち上がる必要がある。」と述べられています。

しかし浄土真宗の寺院でも御朱印を頂けるところはあり、今回も本堂内の御朱印所で頂くことが出来ました。「御朱印をしない」ということを方針としているのは本願寺派と真宗大谷派の寺院に限られているようです。

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「光雲無碍(こううんむげ)」と書かれています。これは、仏の光明が雲のように世界をおおい、あまねく照らすという意味なのだそうです。

◆浄土真宗でも御朱印を頂けた大宮の安楽寺の記事

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◆すぐ近隣にある矢先稲荷神社の記事

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〖御朱印〗矢先稲荷神社は天井絵の「馬乗絵百体」が素晴らしい

今回は浅草の矢先稲荷神社の御朱印をご紹介します。かつてこの地にあった浅草三十三間堂の鎮守として創建され、現在も当地の産土神として人々の崇敬を集めています。

浅草三十三間堂の鎮守として創建

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京都の三十三間堂では長さ約121mある本堂西側の軒下を南から北に矢を射通す「通し矢」が人気となっていましたが、徳川三代将軍家光はこれをうけて1642年に浅草にも三十三間堂を建立し、その鎮守として稲荷神を祀ったのが神社の起源です。

f:id:minamimachida0706:20171121224702j:plain浅草三十三間堂では京都にならい堂(青い屋根の細長い建物)の西縁を矢場とし、北側に的を設けました。神社がその的の先(矢印部分)にあったことから「矢先」の名が冠され、矢先稲荷神社と呼ばれるようになりました。

当時流行した「通し矢」とは

三十三間堂では弓の射技練成のために行われていた通し矢は、勝てば武士としての名誉となることから大いに流行しました。距離(全堂、半堂、五十間など)、時間(一昼夜、日中)、矢数(無制限、千射、百射)を組み合わせて様々な競技が行われ、京都や江戸だけでなく東大寺でも行われています。

この内一昼夜にどれだけの本数を射通したかを競う大矢数が花形種目で、東大寺の通し矢で総矢数11,500本中、8,685本を射通したというのが最高記録のようです。

浅草三十三間堂は1698年の大火で焼失し、その後深川に移転します。一方その鎮守であった矢先稲荷神社は町民の要望もあって現在の地に再建されました。

矢先稲荷神社の境内

大鳥居

f:id:minamimachida0706:20171121224818j:plain鳥居に架かる扁額が陶製というのは初めてです。

拝殿

f:id:minamimachida0706:20171121224902j:plain先の大戦の空襲で焼失し、現在の建物は昭和35年に再建されたものです。

本殿

f:id:minamimachida0706:20171121224956j:plain拝殿の奥にある御祭神を祀る本殿です。

御神宝の天井絵「馬乗絵百体」

社殿が再建された際、弓術と縁の深い馬術の絵馬を新しい社殿の格天井に揮毛したいという氏子崇敬者の思いから、神武天皇の御代から昭和にいたる日本馬乗史を描いた100枚の絵馬が奉納されています。

歴史上の有名な人物が馬に乗っている絵を中心に時代ごとに並んでおり、このうちのいくつかは映画「ラストサムライ」の公式ガイドブックに使用されたそうです。

拝殿に上がって鑑賞することができます。(裸足はダメなようです)

f:id:minamimachida0706:20171121225152j:plain本殿にレンズを向けなければ天井絵馬は撮影可能です。

f:id:minamimachida0706:20171121225226j:plain縁の部分にそれぞれの絵の時代が書かれています。

f:id:minamimachida0706:20171121225306j:plain中央で崖を駆け下りているのが鵯越の義経、その隣が屋島の戦いの那須与一でしょうか。

f:id:minamimachida0706:20171121225356j:plain下段中央は1932年のロサンゼスルスオリンピックの馬術競技で金メダルを獲得した西竹一大佐と愛馬ウラヌス号で間違いないと思います。

f:id:minamimachida0706:20171121225448j:plain中央で石段を昇っているのは愛宕神社の石段を馬で上った曲垣平九郎でしょう。その左斜め上は乃木将軍に思えます。

f:id:minamimachida0706:20171121225529j:plain武士や軍人といった以外の人々と馬とのつながりも描かれています。

このほかに織田信長、豊臣秀吉、徳川家康はもちろん、伊達政宗、武田信玄、上杉謙信といった武将もいるようなので、次回はもう少しじっくりと鑑賞してみたいと思います。

御朱印

現在社務所の工事中のため、御朱印は社殿脇のプレハブの建物で頂けます。

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丁寧に書いた御朱印をいただきました。左下の印は馬でしょうか。このほかに七福神の一人である福禄寿の御朱印も頂けます。

◆この日は酉の市だった

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花園神社の酉の市で縁起熊手を買ってみた

今回は花園神社の酉の市をご紹介します。

新宿の総鎮守として人々の崇敬を受ける花園神社は大和吉野山から勧請されてきたもので、徳川家康が江戸に入った1590年には既に存在していたという歴史のある神社です。

甲州街道の宿場町として内藤新宿が開かれたのが1698年ですから、それより100年以上前から街の鎮守であったのです。

関東三大酉の市の一つである花園神社

毎年11月の酉の日に開催されるお祭りである酉の市は、鷲や鳥にちなむ神社の年中行事となっています。

f:id:minamimachida0706:20171119225842j:plain本殿に大鳥神社を合祀している花園神社の場合は、境内に約1000灯の奉納提灯がともり、縁起熊手を売る露店が約60店、その他約280店の屋台が出店する関東三大酉の市の一つとされています。

f:id:minamimachida0706:20171119230055j:plainこれまで全く気にも留めてこなかった酉の市ですが、御朱印に興味を持って神社や寺院のことを調べているとあちこちで何らかの記述を目にすることになります。一体どれくらい盛り上がるものなのか一度見てみようという事で、今年初めて出かけてみることにしました。

関東三大酉の市の中でまず浅草の鷲神社で限定御朱印を頂き、次いで花園神社で縁起熊手を買おうという計画です。

鷲神社の酉の市については既にご紹介しました。最寄りの入谷駅から日比谷線と大江戸線を乗り継いで花園神社に向かいます。

花園神社の酉の市に行ってみた

f:id:minamimachida0706:20171119230208j:plain酉の市開催中の花園神社では靖国通り側の参道は出口専用となっており、明治通り側から入ります。

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f:id:minamimachida0706:20171119230304j:plain大鳥居から拝殿に向かう参道沿いには普通のお祭りの縁日のような屋台が並んでいました。この点に神社の敷地内は縁起熊手の露店のみだった鷲神社との違いを感じます。

見世物小屋

f:id:minamimachida0706:20171119230332j:plain花園神社の酉の市の名物として有名な「見世物小屋」は拝殿に向かって参道の左手奥にありました。

f:id:minamimachida0706:20171119230431j:plain普段見ることの出来ない品や芸、獣、などを見せる小屋ですが、時間が早かったためまだ開いていませんでした。しかし見るからに怪しそうです。

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火を吹いたりヘビを食べたりというような大変に珍しい内容で、いつ無くなっても不思議はない興行というのがもっぱらの評判です。これだけを目当てに三の酉の時に行ってみようかとも思っています。

露店の番号の意味

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参道から一歩脇に入ると鷲神社と同様に縁起熊手を売る露店がびっしりと並んでいます。

f:id:minamimachida0706:20171119231206j:plainどの店にも番号がはいった提灯が下がっていましたが、神社の社務所に近い露店から1番、2番と古いお店順からナンバリングされているそうです。数字が少ない程歴史の古い露店で、いわゆる老舗にあたります。

縁起熊手を買ってみた

この手のお祭りは眺めているだけではつまらないので、実際に縁起熊手を買ってみようと思っていました。

熊手には値札が無い

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露店に並んでいる熊手には値札が一切つけられておらず、いくらくらいするものなのか見当もつきません。店員に聞いてみるしかないようです。

最初は小さく、少しずつ大きく

初めての酉の市で注意しなければならないこととしては、「最初から大きな熊手は買わない」ということに尽きるのだそうです。「福をかき込む」縁起熊手ですから、前の年より多くの福をかき込むということで、毎年少しずつ大きくしていくのが良いようです。小さく始めてコツコツ積み重ねてきたからこそ、大きな熊手を手にすることに価値があるということでしょう。

そうかといってもあまり安っぽいものは嫌ですからあちこち見て回らなければなりません。

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最終的に9番の店の店頭にあった小さい熊手が目に入りました。

f:id:minamimachida0706:20171119231526j:plain一番手前の列の熊手が1500円ということでこちらを購入することにします。縁起物の稲穂を刺してもらったのでカバンに入れるわけにもいかず、そのまま手に持って帰りました。

上級者の流儀

熊手を買う時は値段交渉をして、値切った分だけ御祝儀として店に置いてくるのが酉の市の流儀なのだそうです。店も儲かり、客もお大臣気分を味わって両方ハッピーということです。手締めをしてもらいたければ1万円以上の熊手というのが目安のようです。

超初心者の私にはそんな余裕はなく、「これ下さい」で終わりました。

ブログを発展させて来年は一回り大きな熊手を買いたい

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現在この記事を書いている横の南向きの壁に熊手は掛けられています。このブログを一層発展させて来年はもう一回り大きな熊手を手にしようと思っております。

◆花園神社の御朱印の記事

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◆鷲神社の酉の市の記事

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◆関東三大酉の市の大國魂神社の記事

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〖御朱印〗酉の市の鷲神社では金ぴかの御朱印をいただける

今回は鷲神社の酉の市限定御朱印をご紹介します。

今年は本日が二の酉

酉の市とは毎年11月の酉の日に開催されるお祭りで、多くの露店で「縁起熊手」を売る賑やかな光景はTVのニュースなどでも取り上げられ、今や年末の風物詩となっています。

「酉の日」とは、毎日に十干十二支を当てて定める日付け法で「酉」に当たる日のことを指し、これは12日おきに巡ってきます。11月は30日なので、巡り合わせにより、11月の酉の日は2回の年と3回の年があるのですが、今年は一の酉が6日、二の酉が18日、三の酉が30日と3回あります。

新宿の花園神社、府中の大國魂神社、浅草の鷲神社が関東三大酉の市とされていますが、ちょうど二の酉である本日、そのうちの鷲神社と花園神社をはしごしてきました。

酉の市の歴史

鷲や鳥にちなむ神社の年中行事である酉の市ですが、もともとは近隣の農民の収穫祭が起源だったと言われています。秋の収穫物や実用の農具が並んだ近郊農村の農業市だったものが、吉原遊郭に隣接した鷲神社のような江戸市中の場所へ移行するに従い、縁起熊手を扱う現在のような祭へと変遷してきたのです。

鷲神社では1750年頃には既に相当な賑わいであったことが記録に残っており、それよりも相当以前から年中行事として行われていたと考えられます。これだけ古くから続く鷲神社の酉の市は大正十二年の関東大震災の年も、戦時中や終戦の年も開催され、中止になった年は一度もないそうです。

酉の市の鷲神社は普段とどう違うのか?

鷲神社は酉の市と何の関係もない今年の5月に初めてお参りしましたが、この時は参詣客もほとんどおらず、敷地だけがだだっ広い閑散とした神社であるという印象が残っています。二の酉と週末が重なった今回は果たしてどのようになっているか興味津々で向かいました。

f:id:minamimachida0706:20171118233343j:plain国際通りを浅草方面から進むと、もうかなり遠方からでも混雑ぶりがわかります。

大熊手

f:id:minamimachida0706:20171118233530j:plain国際通りに面して大熊手を飾った門があるのですが、お参りの列が門の外まで続いていました。「最後尾」という看板を見るのは横田基地の友好祭の時以来です。

f:id:minamimachida0706:20171118233619j:plain門の内側では神職の方が大麻(おおぬさ)を振って参詣客を迎えていました。

f:id:minamimachida0706:20171118233706j:plain5月とはまるで違う光景です。

明神鳥居

f:id:minamimachida0706:20171118233828j:plainお参りの列がびっしりと社殿まで続いていました。

f:id:minamimachida0706:20171118233918j:plain参道の両側には熊手を売る露店が隙間なく並んでいます。

f:id:minamimachida0706:20171118233958j:plain商談が成立した手締めがあちこちで行なわれていました。

f:id:minamimachida0706:20171118234050j:plain5月の頃の様子からは想像もつかない光景です。

叉木

f:id:minamimachida0706:20171118234155j:plain社殿まであと少しです。

f:id:minamimachida0706:20171118234239j:plain比べてみると酉の市の際はあらゆるスペースを有効活用していることがよくわかります。

社殿

f:id:minamimachida0706:20171118234407j:plain社殿の前には初詣の時の明治神宮のごとく遠くから賽銭を投げ込むための空間ができていました。

f:id:minamimachida0706:20171118234507j:plain昇殿参拝している方も多く、5月には正面にいた「なでおかめ」も今回は引っ込んでいます。

神楽殿

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通常の時期の御朱印所である神楽殿周辺です。

f:id:minamimachida0706:20171118234711j:plainセルフサービスの冷たいお茶どころではありません。

裏の鳥居

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熊手を売る露店が隙間なく並び、余分なスペースなど一切ありませんでした。お祭りに付き物の「タコ焼き」「お好み焼き」「ベビーカステラ」といった屋台は全て神社の敷地外に並んでいたように思います。

f:id:minamimachida0706:20171118234836j:plain5月の時のようなのんびりとした雰囲気はまったくありません。

有名人の名前が並ぶ露店

露店に並ぶ熊手には既に売約済の物も多く、そこには客の名前を記入した札が下がっていましたが、中には地元の政治家や芸能人、あるいは意外な団体の名前もありました。

露店にとっては集客のための手段であり、有名人にとっては大勢の人に自分の名前を売り込む機会なのでしょう。

地元選出の議員

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尾上松也

f:id:minamimachida0706:20171118235140j:plain一番左のダウンジャケットを着ている人の頭の上に「尾上松也」という札が見えます。元AKB前田敦子の元カレの歌舞伎俳優ですね。

萬田久子

f:id:minamimachida0706:20171118235241j:plain真ん中より左手の青い帽子をかぶっている人の上に「萬田久子」という札が見えます。

ボートレース江戸川

f:id:minamimachida0706:20171118235330j:plainボートレース江戸川の特大熊手です。

サンリオピューロランド

f:id:minamimachida0706:20171118235420j:plainこの日見た中で一番巨大だったサンリオピューロランドの熊手です。

限定御朱印

f:id:minamimachida0706:20171118235740j:plain酉の市の限定御朱印は社務所内で受け付けていました。(期間中は書置きのみ)

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金色に輝く御朱印を頂きました。

◆通常期の鷲神社の記事

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◆関東三大酉の市の他の2社の記事

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「インドの青鬼」の苦味は目がしょぼしょぼしてくるほど強烈だった

今回は長野県のビールメーカー「ヤッホーブルーイング」が発売する「インドの青鬼」をご紹介します。

ビール売り場に挑発的な缶が並んでいた

ハロウィンが終わり、街にイルミネーションが輝く季節となりました。キリンの「秋味」がいつの間にかビール売り場から姿を消し、今ではサッポロの「冬物語」が並んでいます。そんな時ふと立ち寄ってみたビール売り場の一角に、一度見たら忘れられない挑発的なデザインの、何やら見慣れない商品が置かれていました。これが「インドの青鬼」です。

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「インディアン・ペールエール」とは?

「インドの青鬼」は、インディア・ペールエール(IPA)というスタイルの個性派ビールです。IPAは中程度かそれよりもやや高いアルコール度数を持ち液色は銅のような明るい琥珀色でホップの風味が強くて苦味があるという特徴があります。上面発酵でしっかりとした味わいがあり、グビグビと飲めて喉越しも軽快なのがペールエールの特徴ですが、インドのペールエールは何故苦味が強いのでしょうか。

 

18世紀末のイギリスはインドを統治する為に沢山の人を派遣していましたが、インドの水が悪くて飲むと危険だった為、代わりにビールが求められていました。しかし普通のビールでは英国からインドまでの長く過酷な輸送には耐えられません。そこで、長い輸送に耐えられるようアルコール度数を高め、更に劣化防止効果のあるホップを大量に入れたビールが造られました。更に、輸送の途中で劣化するのを防ぐ為に、輸送用の樽の中にもホップを投入しました。

その結果、苦味の強烈なビールが出来上がり、のちに「インディア・ペールエール」と名付けられたのです。

試しに飲んでみた

f:id:minamimachida0706:20171117222640j:plain「インドの青鬼」の缶にも「驚愕の苦味と深いコク」と書かれていますが、それが一体どのようなものなのか試しに飲んでみることにしました。

f:id:minamimachida0706:20171117222706j:plainいつものように愛用の350ml用グラスで飲みます。

f:id:minamimachida0706:20171117222757j:plainまずは勢いよく注ぎます。

f:id:minamimachida0706:20171117222836j:plain泡が落ち着くのを待ちます。このあたりで早くも香りが漂ってきました。

f:id:minamimachida0706:20171117222915j:plain再び勢いよく注ぎます。

f:id:minamimachida0706:20171117222942j:plain泡が落ち着くのを待って、最後にそっと注ぎます。

 

一般的なビールより明らかに色が濃い。そして臭いに鈍感な私ですが、50cmくらい離れていても香りを感じます。

飲んでみるととにかく苦い。普通苦味というものは舌の上にまとわりついてくるように感じるものですが、分厚い苦味が口の中全体にファーッと広がる感覚です。飲んでいて目がしょぼしょぼしてくるような味と香りです。

強烈ではあるがどこかに爽快感もあり、これがホップの香りなのかと思います。

つまみで舌をリフレッシュさせながらゆっくり飲むビールである

爽快感があると言っても同じペールエールの「プレミアムモルツ香るエール」や「鎌倉ビール 星」のようにグビグビ飲めるようなものではなく、つまみを味わいながらゆっくりと飲むようなものに感じられました。

メーカーのHPでは「ピッタリなおつまみ」としてカレーとか麻婆豆腐が挙げられていますが、あの苦味にスパイスの刺激が加わったら舌がおかしくなるように思います。私としてはカマンベール風味のチーズで舌をリフレッシュさせながら飲むのが一番合っているように思います。

◆同じペールエールであるビールの記事

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未成年の飲酒は法令で禁止されています。健康のため飲み過ぎには注意しましょう

 

〖御朱印〗宮益御嶽神社は渋谷唯一の酉の市が行われる

今回は渋谷の宮益御嶽神社の御朱印をご紹介します。

宮益御嶽神社は1570年頃に創建され、「宮益坂」の地名の由来となった歴史のある神社であり、現在では渋谷区で唯一酉の市が開催される場所となっています。

「宮益坂」の地名の由来となった神社

渋谷という街は渋谷川が台地を削ってできた谷底に位置しており、周囲に坂が多いことはよく知られています。

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f:id:minamimachida0706:20171115225820j:plain東京メトロ銀座線の渋谷駅は東急百貨店東横店西館の地上3階部分にホームがありますが、線路は高架で明治通りを跨いだ後、坂の中腹に掘られたトンネルの中に潜っていきます。

f:id:minamimachida0706:20171115225853j:plainこの辺りは江戸時代から大山詣のための大山街道が通っており、三軒茶屋の一つ手前の休憩所として賑わっていました。当時は今よりも坂の勾配が急で、交通の難所でもあったようです。

御嶽神社は当時から坂の途中に位置しており、「お宮さんの御利益にあずかりたい」ということで元禄時代にこのあたり一帯の町名が「宮益町」となり、また大山街道の坂道も「宮益坂」と呼ばれるようになりました。

 

1923(大正12)年の関東大震災の後、由緒ある地名を愛する人々の反対運動を押し切って宮益町は「渋谷上通り2丁目」と改称されました。現在では渋谷区渋谷1丁目という味もそっけもない地名となっていますが、それでも宮益坂という名前は現在まで残っています。

渋谷区唯一の酉の市

宮益御嶽神社は渋谷区で唯一酉の市が開催される場所となっています。

酉の市とは毎年11月の酉の日に開催されるお祭りで、多くの露店で「縁起熊手」を売る賑わいは、年末の風物詩となっています。

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「酉の日」とは、毎日に十干十二支を当てて定める日付け法で、「酉」に当たる日のことを指し、これは12日おきに巡ってきます。11月は30日なので、巡り合わせにより、11月の酉の日は2回の年と3回の年があるのですが、今年は一の酉が6日、二の酉が18日、三の酉が30日と3回あります。

 

三の酉まである年は火事が多いという俗説がありますので皆様くれぐれも「火の用心」をよろしくお願いします。

宮益御嶽神社の境内

f:id:minamimachida0706:20171115230126j:plain宮益御嶽神社は昭和20年の空襲により社殿・社務所・神楽殿・御神輿・獅子頭等を焼失し、現在の社殿は昭和55年に渋谷区商工会館併設により再建されたものです。

一の鳥居

f:id:minamimachida0706:20171115230348j:plainビルとマンションに囲まれた渋谷ならではの立地です。

二の鳥居

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ブルーシートは二の酉のためのものと思われます。

三の鳥居

f:id:minamimachida0706:20171115230502j:plain小さな神社ですが、鳥居の数が多いことに驚かされます。

狛犬

f:id:minamimachida0706:20171115230702j:plain社殿正面の狛犬は全国的にも珍しい日本狼です。こちらは複製で、延宝年間(1673~1681年)に造立されたというブロンズ製の実物は社務所内に保管されています。

社殿

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宮益不動尊

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f:id:minamimachida0706:20171115230902j:plain左から「庚申石像」「不動尊石造」「勢至菩薩石像」です。

明治天皇休憩所跡

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明治3年4月17日、駒場野練兵場で行われた国内初の観兵式統覧のため明治天皇が行幸した際、宮益御嶽神社は往復とも着替えのための休憩所となりました。

 

御朱印は拝殿に向かって左手の授与所でいただきますが基本的に平日のみで、酉の市以外はすべて書き置きです。

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狛犬を強調した御朱印を頂きました。

◆渋谷の地名の起源でもある金王八幡宮の記事

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◆「関東三大酉の市」の内の2社の記事

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〖御朱印〗金王八幡宮が位置する渋谷の語源は賊の名だった?

今回は渋谷の金王八幡宮の御朱印をご紹介します。

渋谷警察署の裏側に位置する金王八幡宮は「渋谷にこんな場所があったのか」と驚かされるような緑に満ちた空間で、周辺のオフィス街で働く人々の憩いの場となっています。

f:id:minamimachida0706:20171114231940j:plainしかしそれだけではなく、渋谷という地名の由来となった場所であり、台地を渋谷川が削ってできた谷を堀として利用した渋谷城の城址でもあります。

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源頼朝や徳川家光などの天下人ともゆかりのある金王八幡宮は、青山・渋谷の総鎮守として今でも人々の崇敬を集めています。

「渋谷」の起源は賊の名前だった?

八幡太郎義家として知られる源義家の部下であった河崎基家は、後三年の役での功により武蔵谷盛荘七郷(現在の渋谷、代々木、赤坂、飯倉、麻布など)を賜り、ここに城を築きます。これを八幡宮の御加護と信じた義家が1092年に基家の居城内に八幡宮を勧請したのが金王八幡宮の起源です。

基家の子の重家は御所の警備に当たっていた時、侵入した賊を生け捕りにします。賊の名は「渋谷権介盛国」といい、重家はこの功によって堀河天皇より賊の名字である渋谷の姓とその所領だった「相模国高座郡渋谷荘」(小田急江ノ島線の高座渋谷駅周辺)を賜りました。このことにより実家のある武蔵谷盛荘も渋谷と呼ばれることになり、その居城も渋谷城と呼ばれるようになりました。

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現在でも境内には渋谷城の砦の石が1点だけ保存されています。

社名の由来となった金王丸とは?

金王八幡宮の社名は渋谷重家の子の渋谷金王丸に由来します。

重家にはしばらく子がなかったため、八幡宮に祈願を続けたところ、妻の胎内に金剛夜叉明王が宿る霊夢を見て、実際に子を授かる事ができました。そこで金剛夜叉明王の上下の二字を頂き金王丸と名付けました。

金王丸は源義朝、頼朝の二代にわたって仕え、頼朝と義経の対立に際して頼朝の命により義経の館に討ち入りますが、逆に義経と郎党に討たれ六条河原で晒し首にされました。

勇将らしい立派な最期を遂げた金王丸の名声により、当八幡宮を金王八幡宮と称するようになりました。

金王八幡宮の境内

神門

f:id:minamimachida0706:20171114232240j:plain神門および社殿は1612年の建立です。

神楽殿

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金王丸御影堂

f:id:minamimachida0706:20171114232425j:plain保元の乱出陣の折、自分の姿を彫刻し母に残した木像が納められ、更に金王丸が所持した「毒蛇長太刀」も保存されております。

金王桜

f:id:minamimachida0706:20171114232513j:plain金王丸の死後、八幡宮に立ち寄った頼朝が金王丸の名を後世に残すよう厳命し、鎌倉の館の桜をこの地に移植させたものです。江戸三名桜の一つとされた金王桜はその後現在に至るまで実生により植え継がれています。

社殿

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徳川家光が三代将軍に決定した1612年に家光の乳母春日局と教育役であった青山忠俊によって造営されました。権現造りで江戸初期に様式を現在に伝える貴重な建築物です。

三代将軍については秀忠の次男の忠長が継ぐという風説が流れ、春日局と青山忠俊は家光が継ぐよう八幡宮に祈願を重ねていました。

金王八幡宮の境内社

御嶽神社

f:id:minamimachida0706:20171114232649j:plain「開運」「商売繁昌」の神として、特に客商売を営む人々の信仰を広く集めています。

玉造稲荷神社

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農耕をはじめ諸産業に御神徳があり、屋敷神としても多く祀られています。

道路の反対側にある豐榮稲荷神社

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金王八幡宮の道路を挟んだ向かいには豐榮稲荷神社があります。渋谷家の始祖である河崎基家の曾孫によって現在の渋谷駅の近くに創建され、昭和27年に豐澤稲荷神社を合祀し、昭和36年に現在地に移転しています。

正面鳥居

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奉納鳥居

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社殿

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庚申塔

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御朱印

金王八幡宮と豐榮稲荷神社の御朱印は共に金王八幡宮の社務所で頂けます。

f:id:minamimachida0706:20171114233225j:plainオーソドックスな御朱印を頂きました。

◆渋谷周辺の神社の御朱印

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