酒と車と御朱印の日々

心願成就へ向け飲んで走ってひたすら祈る!信じる者は救われる!

〖御朱印〗富岡八幡宮にあえてお参りしてみた

今回は富岡八幡宮の御朱印をご紹介します。

事件が風化する前にあえてお参りしてみた

f:id:minamimachida0706:20180116233529j:plain富岡八幡宮は東京十社に連なる由緒ある神社であり、いつかお参りに行かなければと思っていた矢先、宮司が敷地内で殺害されるというショッキングな事件が発生してしまいました。そして事件をめぐるマスコミの報道の中で富岡八幡宮が抱え込んでいた様々な影の部分が表面化することになります。

そのような場所にお参りすることが果たしていかがなものか随分と考えたのですが、ともかく一度現地を訪れてみなければ何もわかりません。事件から一ヶ月以上経過した今なら特に不謹慎でもなく、また事件が風化してもいない絶好のタイミングではないかと思い、あえてお参りしてみることにしました。

富岡八幡宮の由緒

富岡八幡宮は菅原道真の末裔といわれる長盛法印が神託によりこの地に八幡神を祀ったのが始まりとされています。

八幡神は源氏の氏神であることから、江戸時代になると源氏を称していた徳川将軍家の保護を受け、「深川の八幡様」として庶民からも親しまれました。

明治になると朝廷より准勅祭社定められるなど皇室との結びつきも強く、東京大空襲によって社殿が焼失した際には昭和天皇が自ら現地を視察しています。

現在の社殿は昭和31年に再建されたものです。

富岡八幡宮の境内

境内案内図

f:id:minamimachida0706:20180116233939j:plain

大鳥居

f:id:minamimachida0706:20180116234027j:plain富岡八幡宮は永代通に面しています。

正面参道

f:id:minamimachida0706:20180116234116j:plain寒さのせいか空気が澄んで引き締まっており、一か月前に殺人事件があった境内とはとても思えない清々しさがあります。事件の影響で閑散としているかと思ったのですが、それなりの参詣客がありました。しかしこの後お参りした深川不動堂との差は歴然としていました。

伊能忠敬像

f:id:minamimachida0706:20180116234303j:plain現在の門前仲町に居を構えていた伊能忠敬は、測量に出る際は富岡八幡宮をお参りして旅の無事を祈願していたそうです。

神輿庫

f:id:minamimachida0706:20180116234359j:plain

f:id:minamimachida0706:20180116234444j:plain二基の御本社神輿を収めています。平成3年に奉納された御本社一の宮神輿は日本一の大きさと豪華さを誇ります。

力持ち碑

f:id:minamimachida0706:20180116234523j:plain神社でよく見る力石と思われます。

拝殿

f:id:minamimachida0706:20180116234616j:plain現在の社殿は昭和31年に造営された鉄筋コンクリート造の「重層型準八幡造り」です。

本殿

f:id:minamimachida0706:20180116234703j:plain

御神木

f:id:minamimachida0706:20180116234744j:plain本殿の奥にあります。

江戸勧進相撲発祥の地である富岡八幡宮

富岡八幡宮は1684年に初めて寺社奉行の許しを得て開催された江戸勧進相撲発祥の地になります。開催地が両国の回向院に移されるまでの約100年間、この地で春と秋の年2場所の相撲興行が定期的に開催され、その間に番付制度が確立しました。

現在でも新横綱が誕生すると境内で土俵入りが行われる他、相撲にまつわる数々の石碑が建っています。

大関力士碑

f:id:minamimachida0706:20180116234841j:plain正面参道すぐ右手にあります。

f:id:minamimachida0706:20180116234914j:plain横綱になることなく引退した大関(陥落していても可)の名前が刻まれています。

強豪関脇力士碑

f:id:minamimachida0706:20180116235020j:plain大関力士碑のすぐ隣にあります。何をもって強豪関脇とするのかよくわかりませんが、後のプロレスラー力道山の名前もありました。

手形・足形

f:id:minamimachida0706:20180116235104j:plain

巨人力士身長碑

f:id:minamimachida0706:20180116235138j:plain

f:id:minamimachida0706:20180116235204j:plainかつての巨人力士の身長が刻まれていますが、名前の知らない力士ばかりでした。

横綱力士碑

f:id:minamimachida0706:20180116235250j:plain明治33年、第12代横綱陣幕久五郎を発起人に建立された歴代横綱を顕彰する碑です。

f:id:minamimachida0706:20180116235339j:plain

f:id:minamimachida0706:20180116235411j:plain

f:id:minamimachida0706:20180116235448j:plainこちらには初代明石志賀之助から稀勢の里までの名前が刻まれています。

境内社(本殿東側)

f:id:minamimachida0706:20180116235911j:plain富岡八幡宮の境内には何と17社におよぶ末社が鎮座しています。

永昌五社稲荷神社

f:id:minamimachida0706:20180116235534j:plain地元の肥料商関係者から絶大な信頼を集めています。

八つの末社

f:id:minamimachida0706:20180116235650j:plain一番左の花本社には松尾芭蕉が祀られています。芭蕉は深川に仮住居を設け、生涯で最も長く暮らしました。

七渡神社・粟島神社

f:id:minamimachida0706:20180116235801j:plain七渡神社は八幡宮が創祀される以前から祀られる地主神で、関東大震災・東京大空襲の災難もくぐりぬけ、このときに弁天池に避難した人は一命を取りとめたといいます。

粟島神社は裁縫上達の神様として信仰を集めています。

境内社(本殿西側)

f:id:minamimachida0706:20180117000020j:plain

f:id:minamimachida0706:20180117000059j:plain向かって右から「大鳥神社・鹿嶋神社」「恵比寿社・大国主社」「金刀比羅社・富士浅間社」

大鳥神社では毎年11月の酉の日に酉の市が開催されます。恵比寿社は深川七福神巡りに含まれています。

富岡八幡宮境内で発生した殺人事件の概要

平成29年12月7日に第21代宮司と運転手が宮司の弟で第20代宮司だった男とその妻に日本刀で襲われ宮司は死亡、運転手は重傷、容疑者の男は共犯者の妻を殺害した後に自殺したというものです。

男は父の引退により第20代宮司となりましたが素行不良により解任され、再び父が宮司に復帰します。しかし高齢となったことから長女を後任の宮司として任命するよう神社本庁に具申していたが、7年の間に3回出された具申を庁側が認めず先延ばしするという「事実上の無視」を続けました。そのため富岡八幡宮は神社本庁から離脱して長女が正式に第21代宮司に就任します。

宮司を解任されたことについて父や姉に対して逆恨みをしていた男は自分の息子を富岡八幡宮の宮司にすることを要求していましたが、姉が正式に宮司となったことで自暴自棄になって犯行に及んだと考えらえています。

世間からは冷ややかな眼で見られている

今回の事件にまつわるマスコミの取材により、神社の金満体質が浮き彫りになりました。宮司を解任された弟は宮司時代に毎晩銀座を飲み歩き、月に100万、200万円を使いこみ、女性にだらしなく複数回離婚しています。また殺された姉も宮司代務者となってからは、新宿歌舞伎町のホストクラブにも足しげく通っていたといいます。実際にお参りしてみた神社が思いのほか清々しい空間であっただけに、裏でこの様なことが行われていたことに対しては残念でなりません。

正月三が日の初詣客の数が激減したというニュースを見ましたが、今回お参りして見ると近隣の深川不動堂との人出の差は歴然としたものがありました。それだけ人々からは冷ややかな眼で見られているという事は間違いないようです。

神社のHPを見るとトップページにデカデカと宮司代務者による「お詫び」が掲載されていますが、一日も早く新体制をスタートさせて信頼回復に努めてもらいたいと思います。

有力神社の宮司職を天下り先として狙う神社本庁

今回問題をさらにややこしくしたのが、長女の正式な宮司への就任具申を7年間に渡って事実上無視し続けた神社本庁の態度にあります。

神社本庁はGHQの命令により解散した神祇院を引き継いで昭和21年に発足しました。約8万社の神社を統括する団体ですが、各神社にはそれぞれの由緒があり、同じ神道でも八幡宮、稲荷神社、天満宮など様々で統一した教義など不可能であり、求められたのは「精神的統合の紐帯」的役割であったといいます。しかし設立から70年近く経過した現在では宮司の人事権を握るまでになっています。

宮司の人事は、氏子などから選出された3人以上の責任役員のうち、代表役員(神社の場合は宮司)を除いた責任役員の推薦(具申)をもとに、神社本庁(正確には「統理」)が任命すると神社本庁庁規、神社規則に定められています。

最初に具申が出された平成22年の段階ですんなりと新宮司が決定していれば今回の事件は全く違った展開になったと思われます。今回具申を7年に渡って事実上無視を続けた理由について神社本庁は回答していませんが、「女性宮司を認めたくないから」とも言われています。

【富岡八幡宮殺人】神社の闇…カネと後継者争いは「ヤクザの世界」 | ビジネスジャーナル

神社の後継者争いに神社本庁が介入してトラブルになっている事例としては全国の八幡宮の総本山として有名な大分の宇佐神宮でも激化しています。今回明らかになったように一部有力神社の宮司ともなればけた外れの金を手にする事が出来るため、神社本庁職員の定年退職後の天下り先として狙われており、今後もこのような介入は激化することが予想されています。

そのため神社本庁からの離脱の動きは年々加速しており、平成17年からの10年間で214もの神社が離脱し、中には石川県の気多大社(平成17年)、京都府の梨木神社(平成25年)などの有力神社も含まれています。(明治神宮も一時離脱した)

約400年の歴史を持つ富岡八幡宮に対し、神社本庁の歴史は70年でしかありません。本来清々しい場所であるはずの神社という場所にそれとは相いれないドロドロとしたものを持ち込もうとしているようにしか見えない神社本庁の姿勢にははなはだ疑問を感じております。

御朱印

御朱印は本殿脇で頂けます。

f:id:minamimachida0706:20180117000528j:plain東京十社の神社にふさわしい御朱印をいただきました。

◆東京十社の神社の一つである根津神社

www.goshuinbukuro.com

◆東京十社の神社の一つである品川神社

www.goshuinbukuro.com

◆東京十社の神社の一つである芝大神宮

www.goshuinbukuro.com

◆東京十社の一つである赤坂氷川神社

www.goshuinbukuro.com

最後までお読みいただきありがとうございます。

スマホでご覧の方はPCでも見ていただきますと写真がよくわまります。

※はてブのところをポチっとしていただきますと励みになります。 

 

グランドキリン「ホワイトエール」は爽やかさが際立っていた

今回はグランドキリン「ホワイトエール」をご紹介します。

ホップにこだわったホワイトエール

f:id:minamimachida0706:20180115225415j:plainグランドキリンはキリンビールが、「一本で満足できるスペシャリティ・プレミアムビール」をコンセプトにワンランク上を目指したプレミアムビールです。日本人の口に合う革新的なビールを生みだすためにラガーや一番搾りといった定番商品ではとてもできないチャレンジをしているのが特色となっています.

f:id:minamimachida0706:20180115225456j:plainホワイトエールの場合はホップにこだわりがあるようです。

ビール造りに不可欠なホップ

ホップはビールの原料としては絶対に欠かせないものの一つであり、苦味、香り、泡にとって大変に重要であり、また雑菌の繁殖を抑えビールの保存性を高める働きがあります。ビールの原料として使われ始めたのは12世紀ごろですが、14~15世紀ごろになってビール造りの主流となりました。

1516年にドイツで定められたビール純粋令においては「ビールは大麦、ホップ、水のみを原料とすべし」と定められるまでになっています。

ビールの製造工程においてはまず麦芽を粉砕し、仕込み釜で温水と混ぜて粥状にします。麦芽の酵素を働かせることによってデンプンやタンパク質を糖やアミノ酸に分解し、粥状のものをろ過して固形分を除きます。ここでできたジュース状のものを麦汁と呼び、これを煮沸してから冷却して発酵タンクへ入れるのですが、麦汁を煮沸する際に加えられるのがホップです。

ホップにネルソンソーヴィンを使用したホワイトエール

ホップは熱を加えると「苦味」が出て香りは飛んでしまいます。逆に熱を加えないと苦味はあまり出ませんが、ビールに華やかな香りをつけることができます。ビール造りでは、この性質を使って苦味と香りを付けます。

f:id:minamimachida0706:20180115225542j:plainグランドキリンホワイトエールにおいて、ホップはネルソンソーヴィンが使用されています。

ネルソンソーヴィンはニュージーランドのネルソン州で主に栽培されているホップで、ビールに白ワインや草原のような香りをつけるという特色があります。

f:id:minamimachida0706:20180115225632j:plainさらに通常ビールで使用する大麦麦芽に加えてホワイトエールでは小麦麦芽も使用しています。小麦麦芽を使用すると、麦の香りや味わいがまろやかに感じられ、また泡持ちがよく独特のこんもりとした甘い泡になります。

グランドキリンホワイトエールを飲んでみた

f:id:minamimachida0706:20180115225654j:plain今回も愛用している350ml用のグラスで飲みます。

f:id:minamimachida0706:20180115225739j:plainまずは勢いよく注ぎます。

f:id:minamimachida0706:20180115225813j:plain泡が落ち着くまで待ちます。

f:id:minamimachida0706:20180115225846j:plain再び勢いよく注ぎます。

f:id:minamimachida0706:20180115225920j:plain再び泡が落ち着くまで待ちます。

f:id:minamimachida0706:20180115230002j:plain最後にそっと注ぎます。いい感じの泡になりました。

大変に綺麗な黄金色で、果実を思わせる香りが漂ってきました。私はワインはほとんど飲まないためこれが白ワインの香りかどうかは分かりませんが、いい香りであることは間違いありません。苦味は弱めで、なめらかな味わいであるため、滑るようにゴクゴク飲むことが出来ます。のど越しや重厚感というよりも爽やかさが際立ったビールであると思いました。

キリンといえばラガーや一番搾りに慣れた方にとって最初は違和感があるかと思いますが、慣れれば大変に美味しいビールだと思います。

◆どこまでもフルーティーだった「梟の森」の記事

www.goshuinbukuro.com

◆強烈な苦味だった「インドの青鬼」の記事

www.goshuinbukuro.com

◆芳醇な味わいの「ブラウマイスター」の記事

www.goshuinbukuro.com

最後までお読みいただきありがとうございます。

未成年の飲酒は法律で禁止されています。健康のため飲み過ぎには注意しましょう。

 

カナディアンクラブはストレートかロックならありだと思う

今回は世界五大ウィスキーであるカナディアンウィスキーの代表的銘柄であるカナディアンクラブをご紹介します。

f:id:minamimachida0706:20180114215457j:plain

カナディアンウィスキーとは

世界のウィスキーの中で、スコッチ、アイリッシュ、バーボン、ジャパニーズと並んでカナディアンウィスキーは世界5大ウィスキーの一つとされています。しかしスコッチやバーボンと比べると日本人になじみがないと思われ、私も酒屋の棚に並んでいるのはこれまで何回も見てきましたが、飲んでみたのは実はこれが初めてです。

生産が本格化したのはアメリカ独立戦争後

カナダで最初に蒸留所が建設されたのは1668年という事ですが、生産が本格化したのはアメリカ独立戦争後にイギリス系の農民がカナダに移住し、そこで穀物の生産を開始した頃であるとされています。当時は過剰生産された穀物を利用し、製粉所が副業としてウィスキーを製造していました。その多くはアメリカに輸出されていましたが、当時は「one day whisky」と呼ばれるような粗悪品だったといいます。

禁酒法が重大な転機となった

アメリカで1920年1月16日から1933年12月5日にかけて施行された禁酒法はアメリカ合衆国におけるウィスキー産業だけでなく、アメリカへの輸出の比重が高かったアイルランドのウィスキー産業にも打撃を与えました。当然のことながらカナダからの輸入も表面上は禁止されていましたが、アメリカとカナダの間の長い国境を完全に監視することは不可能であり、いくらでも密輸が可能でした。このため、この期間中にカナダのウィスキー産業は大きな発展をしました。

禁酒法廃止直後に確固たる地位を築いた

1933年に禁酒法は廃止されますが、良質なウィスキーの生産には長い熟成期間が必要であるため、すぐに出荷をすぐに再開することは不可能です。そのためアメリカのウィスキー産業が完全復活する前にカナディアンウィスキーはアメリカにおいて確固たる地位を築いてしまっていました。

暖房が効いた貯蔵庫で長期熟成されたカナディアンクラブ

カナディアンウィスキーは、ライ麦、大麦、麦芽などを原料とした香り付け用のフレバーリングウィスキーと、トウモロコシを原料とした土台として用いられるベースウィスキーをブレンドした軽快な味わいが特徴です。

その中でもカナディアンクラブは蒸留したての段階で樽詰めし、厳しいカナダの冬でも熟成が進むよう、年間を通し18~19度に温度調節された貯蔵庫で長期熟成されます。

ストレート

f:id:minamimachida0706:20180114215538j:plainいつも飲んでいるウィスキーとは違う、何かのリキュールを飲んでいるような甘さを感じます。

ロック

f:id:minamimachida0706:20180114215618j:plain氷で引き締めることにより異様にスッキリとした味になりました。いつもと違う甘さですが、これはこれでありかもしれません。

水割り

f:id:minamimachida0706:20180114215702j:plain次いで水で割ります。合わせる水は秩父山系の天然水です。

トワイスアップ(1対1で氷を入れない)

f:id:minamimachida0706:20180114215840j:plainかなり軽い味わいになりました。ほのかな、まったりとした後味です。

ハーフロック(1対1で氷を入れる)

f:id:minamimachida0706:20180114215919j:plain味わいが何も残っていません。この飲み方はなしだと思います。

まとめ

飲みなれていないウィスキーであったため違和感が最後まで抜けませんでしたが、ストレートかロックならありなのかなと思います。いずれにせよ1本千円台前半というウィスキーですから、今後もお付き合いすることは多いと思います。

◆アイリッシュウィスキーのタラモアデューの記事

www.goshuinbukuro.com7

◆バーボンウィスキーのジム・ビームの記事

www.goshuinbukuro.com

◆ジャパニーズウィスキーの竹鶴の記事

www.goshuinbukuro.com

最後までお読みいただきありがとうございます。

未成年の飲酒は法律で禁じられています。健康のため飲み過ぎに注意しましょう。

 

 

 

〖戸隠そば〗「そばの実」は薬味の大根おろしが素晴らしかった

今回は戸隠そば「そばの実」をご紹介します。

そばの実は戸隠神社中社から奥社入口へ向かう車道が鏡池方向からの道と合流する場所にあります。昨年10月にも横を通りがかりましたが、ものすごい行列ができていたためにその時は断念しました。

急遽立ち寄ることにした「そばの実」

今回中社から奥社までは神道を通るつもりであったので、当初は別の店を予定していたのですが、積雪がひどくてとても歩ける状態ではなかったため、急遽車道沿いにあるそばの実に下りで立ち寄ることにしたのです。

f:id:minamimachida0706:20180113235135j:plain奥社から急な雪道を一気に下り、そのままの勢いで車道を歩いて到着しましたが、時刻は13:30でお昼時を外れていたため行列もなくすんなりと入店できました。

f:id:minamimachida0706:20180113235303j:plainうずら家同様にこちらにも「そば玉」が下げられています。

王道の戸隠そば

蕎麦が出てくるまでの間に大抵は自家製の漬物が出されるのが戸隠そばのお決まりのようで、今回店員が丁寧に説明してくれたのですが、やっと座れたという安堵感で上の空になっており、完全に聞き流してしまいました。

f:id:minamimachida0706:20180113235202j:plain今回注文したざるそばです。竹で編まれた円形のざるの上に「ぼっち盛り」で盛り付けされた、まさに王道の戸隠そばです。

水を殆ど切らずに出すというのも戸隠そばの特徴のようで、一見すると「伸びてんじゃねえか?」と思いますが、口に入れてみるとまったくそのようなことはありませんでした。

細目ではありますがモチモチとしたコシがあり、そばの味もしっかりと感じることが出来ます。特に薬味に入れた大根おろしが素晴らしく、そばの味わいをさらに引き立てていました。

そば湯も美味しくて大変に満足することが出来ました。

そばに関して味覚音痴ではなかったようで安心した

今回長野を訪れるにあたってはそば屋に関して事前に入念に調査していたため、入ったどの店でも大変においしいそばを食べることが出来ました。実は一番美味かったのは松本の深志神社の近くにある店だったのですが、「ネットに投稿しないでください」という注意書きが店内に2枚も貼られていたため、残念ながら今回ご紹介することを見送っています。

これまで善光寺、諏訪大社、戸隠神社等のお参りで長野を訪れ、その度ごとにそばを食べていたにもかかわらず美味しいと思うものがほとんどなく、自分はそばに関しては味覚音痴なのかもしれないと思いかけていた。それだけに今回世間的に評価の高い店で、自分も同様の感想を持つことが出来たことを嬉しく思っています。

「善光寺商法」という言葉が広がらないことを願う

当ブログで最初にご紹介した信州そばの店は、長野駅からバスで約1時間かかる戸隠山の中腹まで行って見つけることが出来ました。そばの本場という長野のイメージからすると随分違っていたように思います。

こちらでは「善光寺商法」という言葉があると聞いたことがあります。善光寺には全国からお参りのために人々が集まってきます。そのため門前の店は善光寺が勝手にお客様を集めてくれるので、いい場所さえ押さえておけば営業努力など何もしなくても商売繁盛です。このことを地元の人が自虐的に称したのが「善光寺商法」ですが、これではどうしても殿様商売になって品質向上など到底望めません。

私個人の印象として長野駅周辺は比較的まとも(それでも今どき分煙をしていない信じられない店があった)でしたが、善光寺に近づくほどひどくなりました。門前の店がどこも狂ったようになる御開帳の時だけでなく、それ以外の閑散としている時でも同様です。高尾山のとろろそばの店もどこもひどいものばかりでしたから、これはもう門前町にある商店の持病なのかもしれません。

しかし長野といえば信州そばというのは誰もが持っているイメージであり、全国から善光寺にお参りに来る人のほとんどがそばを楽しみにしていると思います。

信州に長くお住まいの方はそれぞれお気に入りの店をお持ちだと思いますが、観光客にとってはそんな時間的余裕はありません。期待を裏切られて地元に帰った人によって善光寺商法という言葉が全国に広がり、大切なブランドイメージが失墜してしまう事を心配しています。(ちなみに私は長野駅前ではもうラーメンしか食べません。)

◆戸隠神社中社まえにある「うずら家」

www.goshuinbukuro.com

◆長野駅前の味噌ラーメンの名店「らぁめんみそ屋」

www.goshuinbukuro.com

◆決して善光寺商法ではなかった出雲そばの羽根屋

www.goshuinbukuro.com

◆真冬の戸隠神社の記事

www.goshuinbukuro.com

最後までお読みいただきありがとうございます。

スマホでご覧の方はPCでも見ていただきますと写真がよくわかります。

※はてブのところをポチっとしていただきますと励みになります。

 

〖戸隠そば〗「うずら家」は最初から最後まで感じのいい店だった

今回は戸隠そばの名店として知られる「うずら家」をご紹介します。

戸隠神社中社のすぐ前にある行列店

うずら家は戸隠神社中社のすぐ前という絶好の場所に位置しています。宝光社~火之御子社の雪道で完全に消耗してしまい、フラフラになって中社にたどり着いたときにちょうど開店時間となりました。

f:id:minamimachida0706:20180112214921j:plain厳冬期であるにも関わらず大勢の客が開店を待っていましたが、店主自ら「おはようございます、早い時間からありがとうございます」と丁寧に口上を述べて客を迎え入れていました。

戸隠そばとは

長野県はそば処として知られていますが、その中でも戸隠のそばは信州そばではなく戸隠そばと呼ばれ、岩手のわんこそば、島根の出雲そばとともに日本三大そばの一つとされています。

始まりは平安時代

戸隠神社は平安時代後期以降、神仏習合の戸隠山勧修院顕光寺として全国にその名を知られ、当時は比叡山、高野山と並び称されるような存在だったといわれています。修行のために集まった修験者の携帯食料としてそばが持ち込まれたことが戸隠とそばのつながりの起源だとされています。

ぼっち盛り

戸隠そばをざるで注文すると、一口ぐらいの量ごとに束ね、5~6束をひとつのざるに並べた独特の盛り方で出てきますが、この盛り方がぼっち盛りです。「ぼっち」は「法師」のことで、「一人ぼっち」は山に一人で籠って修行する「独り法師」からきているという事ですが、戸隠そばのこの盛り方はかつて修験者の食べ物であった時代の名残なのかもしれません。

そば玉

戸隠のそば屋の軒先には「そば玉」が下げられています。

f:id:minamimachida0706:20180112215328j:plain日本酒の蔵元では新酒が出ると目印として「杉玉」を下げますが、「そば玉」は新そばが出た事を知らせる目印になります。

わさびを自分でおろしながら待つ

f:id:minamimachida0706:20180112215407j:plain蕎麦が出てくるまでの間に自家製の漬物が出てくるのも戸隠そばのお決まりのようですが、うずら家ではそれに加えて皮をむいたわさびとおろし金も出され、自分でおろしながら待つことになります。

f:id:minamimachida0706:20180112215432j:plain力を入れると”キメ”が荒くなり”粘り気”も落ちてしまいますので、力を入れずに細かく「の」の字を描くように優しくすりおろしました。

そばが出てくるまで少し待ちましたが、雪道を歩いた後で膝が笑っている状態だったので、いい休憩になりました。

こういうそばを食べたかった

f:id:minamimachida0706:20180112215537j:plainこれぞまさにぼっち盛りで、ざるそばですが海苔はかかっていません。

ツルツルとしたのど越しの良さとともにシコシコとしたコシがあり、私が常日頃から「こういうそばを食べたい」と思っていたそのものの味わいでした。

自分でおろしたわさびは予想以上にいい感じで、少量をそばに付けてつゆに浸してすすり込むと、わさびの辛味がそばの甘さを引き立てます。

そば湯も濃厚すぎず薄すぎずで程よい感じで、食事の締めにとしては最適な味わいでした。

最初から最後まで感じのいい店だった。

会計を済ませて外に出ようとすると店主自ら飛んできて、「今日は早い時間から有難うございました」と丁重に礼を言われました。

最初から最後まで感じのいい店だったと思います。

うずら家

営業時間:10:30~16:00(そばが無くなったら終了)

定休日:水曜日

◆中社と奥社入口の間にある「そばの実」の記事

www.goshuinbukuro.com

◆日本三大そばの一つである出雲そばの「羽根屋」

www.goshuinbukuro.com

◆冬の戸隠神社五社をまわった記事

www.goshuinbukuro.com

最後までお読みいただきありがとうございます。

スマホでご覧の方はPCでも見ていただきますと写真がよくわかります。

※はてブのところをポチっとしていただきますと励みになります。

真冬の戸隠神社五社を長靴で踏破した

今回は真冬の戸隠神社をご紹介します。

紅葉がちょうど見頃だった昨年10月に一度お参りしていますが、どうしても冬季の姿を見てみたくなり、今回改めて宝光社から奥社までお参りし直してきました。

雪景色と神社の取り合わせは美しいと思っていた

大晦日恒例の「紅白歌合戦」が終わると次は「ゆく年くる年」となり、華やかなNHKホールから除夜の鐘が鳴り響く寺院へと画面が一瞬で切り替わります。年越しという重要なタイミングで静寂と荘厳な雰囲気を演出するためなのか、ここで登場するのはいつも雪深い北国の寺院だったように思いますが、このシーンはいつも「いいなぁ」と思って見ていました。

寺院や神社のような古い木造建築物と雪景色の取り合わせは実に美しいものがありますが、10㎝雪が積もれば都市機能が麻痺してしまうような東京でこういうシーンはまず望めません。雪国には雪国ならではの苦労もあるでしょうが、こういうシーンに出くわすとただただ羨ましくなります。

ちょうど冬の青春18きっぷが残り2回分となっており、これを利用してどこか雪国に行きたいと思っていたのですが、そこで思い出したのが戸隠神社です。戸隠山の山麓に点在する風格ある社殿や杉並木が、雪景色と重なるとどうなるか是非見てみたいと思いました。

最大の問題点は靴だった

豪雪地帯である長野県北部に位置する戸隠神社は、冬季には中社以外の社務所が閉鎖され、このあたりを通るバスは全て途中の戸隠スキー場行きとなって奥社までは行かなくなります。当初は「雪景色が見れるなら中社だけでもいいや」と思っていましたが、やはり行けるものなら奥社まで行ってみたいものです。

スキー場を眼下に見下ろすような標高にある奥社まで行くことを考えた時、一番問題だったのが靴です。

f:id:minamimachida0706:20180111193327j:plain登山靴もスノトレも持っていなかった私は実家の物置から引っ張り出してきた長靴を使用することにしました。

f:id:minamimachida0706:20180111193402j:plain普段25㎝の靴を履いているのでこのサイズだとつま先がピチピチになってしまい、果たして長い距離を歩けるか不安がありましたが、もはやこれに頼るしかありません。(結果としてこの靴底のギザギザが絶大な効果を発揮した)

その他に雨合羽や股引、スキー用の帽子等、やはりいつもの旅とは荷物の内容が違ってきます。

いきなり期待以上だった宝光社

戸隠方面へのバスは長野駅前から1時間に1本の頻度で出ており、神社には約1時間で到着します。私は8時半発に乗りましたが、バス2台で対応するほどスキー客で混雑していました。場合によっては座りそこなうという事態もあり得たわけであり、早めに行って並んでいたのは正解でした。

f:id:minamimachida0706:20180111193600j:plain戸隠神社の玄関口にあたるのが宝光社ですが、いきなり期待していた以上の光景を目の当たりにすることになりました。

f:id:minamimachida0706:20180111193635j:plain一番標高の低い場所にある宝光社がここまで雪で埋まっているとは想像していた以上です。

f:id:minamimachida0706:20180111193726j:plain雪が深すぎて踏み固められた場所以外はとても歩けません。

f:id:minamimachida0706:20180111193803j:plainまさにこういう光景が見たくて戸隠まで来たのです。

f:id:minamimachida0706:20180111193842j:plain宝光社名物の270余段の石段は完全に雪の下に埋まっていましたが、長靴はしっかりと雪面をグリップしてくれました。

f:id:minamimachida0706:20180111194005j:plain雪を被った社殿は神々しさが5割増しになったように思います。

「ゆく年くる年」そのものの光景だった火之御子社

戸隠神社ではそれぞれの社が神道(かんみち)と呼ばれる古道で結ばれています。前回来た時は様々な手違いで車道を歩き続けることになってしまったため、今回こそは次の火之御子社まで神道で行こうと勢い込んで向かったのですが、大変なことになってしまいました。

f:id:minamimachida0706:20180111194103j:plain

しっかりと除雪されている車道と違い、神道は手つかずの状態で自然の姿が残されています。相当な厚さで雪が積もっているため人が歩いた跡をたどるしかありません。しかしそれでも一歩進む度に足が雪にめり込み、普通の道を歩くよりも何倍も体力と時間を消耗してしまいます。宝光社でこの様な状況ですから、奥社では一体どうなっているか心配になりました。

f:id:minamimachida0706:20180111194144j:plainかつてはここから奥社を望み、伏して拝む場所だったという「伏拝所」ですが、この時は解説を読む余裕もありませんでした。

f:id:minamimachida0706:20180111194214j:plain足がいっぱいいっぱいになりかかった頃、ようやく火之御子社へ降りていく道にたどり着くことが出来ました。

f:id:minamimachida0706:20180111194251j:plainこうしてたどり着いた火之御子社はまさに「ゆく年くる年」そのものの光景でした。

冬季は奥社と九頭龍社の御分霊も祭られる中社

神道にこだわっていては奥社までたどり着けそうにないため、火之御子社から中社へは車道を歩くことにします。

f:id:minamimachida0706:20180111194407j:plain先ほどまでの悪戦苦闘がまるで嘘だったように歩きやすくなりました。

f:id:minamimachida0706:20180111194457j:plain中社にたどり着いたのが10時半でしたが、この頃から雪がちらつき始めました。雨合羽を着るほどではありませんが、周囲の雰囲気が一層神秘的になってきたように感じます。

f:id:minamimachida0706:20180111194531j:plain伊勢神宮の堀川と火除け橋のように見えた場所が完全に雪で埋まっていました。

f:id:minamimachida0706:20180111194605j:plain

f:id:minamimachida0706:20180111194634j:plain急な石段は通行止めとなり、なだらかな女坂を利用して社殿に向かいます。

f:id:minamimachida0706:20180111195012j:plainさざれ滝も半分凍っていました。

f:id:minamimachida0706:20180111195046j:plain戸隠神社では中社だけは冬季でも社務所が開いています。奥社・九頭龍社の「御分霊」も祀られているため、こちらをお参りすれば奥社・九頭龍社へお参りしたのと同じご利益を受けられるそうです。

石段が雪で埋まっていた奥社への参道

中社でお参りと食事を済ませていよいよ奥社に向かうことにします。

f:id:minamimachida0706:20180111195235j:plain神道には未練があったので様子を見に行きましたが、もはや人が歩いた跡すらありません。

f:id:minamimachida0706:20180111195306j:plainおとなしく最初から車道を歩くことにします。

f:id:minamimachida0706:20180111195349j:plain標高が上がるにつれて雪の量がすごくなり、奥社入口の前回利用したそば屋が完全に雪で埋まっていました。

大鳥居

f:id:minamimachida0706:20180111195453j:plain11時50分ごろに奥社まで続く2kmの参道の入口にある大鳥居に立ちました。

分厚い積雪に覆われた参道

f:id:minamimachida0706:20180111195538j:plain

f:id:minamimachida0706:20180111195604j:plain参道は分厚い積雪に覆われていましたが、宝光社や火之御子社より参詣客が多く、大勢の人の足でしっかりと踏み固められているため比較的楽に歩けました。(クロスカントリースキーで滑っている人までいた。)

隋神門

f:id:minamimachida0706:20180111195703j:plain参道のちょうど中間点にある隋神門ですが、雪景色の中で赤い色が一層映えます。

杉並木

f:id:minamimachida0706:20180111195735j:plain隋神門をくぐると周囲の様子は一変し、絵葉書にしたくなるような光景が広がります。あちこちから「うわぁーっ」という声が聞こえてきました。

CMに登場した杉の祠

f:id:minamimachida0706:20180111195821j:plainJR東日本のCMで吉永小百合が中に入った杉の祠も半分雪に埋まっています。

石段

f:id:minamimachida0706:20180111195936j:plain本来ならこのあたりから上りの石段が始まっているはずなのですが、雪に埋まってただの坂道になっています。

飯縄社

f:id:minamimachida0706:20180111200016j:plain前回は目線の高さに祠があったはずなのですが、積雪で高くなった分だけ見下ろすようになっています。

f:id:minamimachida0706:20180111200104j:plain飯縄社を過ぎたこの辺りから石段の傾斜が急になっていくのですが、もはや雪深い急斜面でしかありません。長靴が雪面をしっかりとグリップしてくれて助かりました。

八水神

f:id:minamimachida0706:20180111200135j:plainこちらにあった小さな滝は完全に凍結しています。

手水舎

f:id:minamimachida0706:20180111200239j:plain屋根の上の雪の厚みが半端ないことになっています。

▲社務所

f:id:minamimachida0706:20180111200325j:plain悪戦苦闘しながらもどうにか社務所が見えるところまでやってきました。

雪の重みに耐えなければならない奥社と九頭龍社

奥社と九頭龍社は大変に雪深い場所に位置しています。そのため九頭龍社では木造の社殿が雪の重みで倒壊しないよう驚きの対策がとられていました。

f:id:minamimachida0706:20180111200433j:plain正面にある引き戸を開けて中に入り、お参りができるようになっています。

f:id:minamimachida0706:20180111200515j:plain奥社への最後の階段を上ります。

戸隠神社の5つの社殿の中で、奥社だけが木造ではありません。屏風型の切り立った崖の下に位置する奥社には他の社にはない自然災害の脅威があり、これまで何度となく雪崩による倒壊を繰り返してきました。そのため昭和53年の雪崩で流失した社殿を再建する際、岩盤に鉄筋コンクリート造の社殿を据付けその中に神殿を納める方式を取らざるを得ませんでした。

f:id:minamimachida0706:20180111200601j:plain宝光社から雪道を歩き続けてようやくたどり着いた奥社は分厚い雪に覆われ、思っていた通りの姿でした。

f:id:minamimachida0706:20180111200636j:plainこれまで雪山といえばスキー場しか知りませんでしたが、奥社から見た戸隠山の眺めは迫力が全く違いました。

下りは本当に怖かった

登ってきた山は下りなければなりませんが、こちらは登り以上に大変でした。

f:id:minamimachida0706:20180111200740j:plain奥社直下の石段が雪まつりの滑り台のようになっています。写真を撮りながら進むのは危険と思われたため、ここでカメラはしまいました。それでもこんな斜面を滑らずに降りることが出来たのですから、長靴の靴底のギザギザの威力は絶大です。

f:id:minamimachida0706:20180111200813j:plain石段ではなく雪深い急斜面となっているため、下りはどうしても勢いがついてしまいます。そのため一歩一歩踏ん張ってしっかりとスピードのコントロールをしなければなりません。

f:id:minamimachida0706:20180111200840j:plain前方に隋神門が見えてきた時は本当に安堵したものです。

f:id:minamimachida0706:20180111200856j:plainこの後再び車道を歩き、中社近くの蕎麦屋に入ったのが13時半、そして中社発14時半のバスで長野駅に向かいました。

苦労しただけにありがたみと達成感があった。

戸隠神社の奥社はたどり着くのに苦労した分だけ全然違うありがたみを感じるものですが、雪のため難易度が増す冬季はそのありがたさもひとしおとなります。

f:id:minamimachida0706:20180111200933j:plain周囲の光景を見渡したときにこみ上げてきた達成感は、この先忘れることは無いでしょう。

真冬にも関わらず奥社の駐車場はほぼ満車状態で、多くの人が雪深い急斜面を昇っていく様子に最初は驚きましたが、冬の戸隠神社にはそれだけ人を惹き付けるだけの魅力があったと思います。

◆紅葉が見頃の頃の戸隠神社の記事はこちら

www.goshuinbukuro.com

www.goshuinbukuro.com

www.goshuinbukuro.com

www.goshuinbukuro.com

www.goshuinbukuro.com

◆日本最古の神社の一つである諏訪大社の記事

www.goshuinbukuro.com

最後までお読みいただきありがとうございます。

スマホでご覧の方はPCでも見ていただきますと写真がよくわかります。

※はてブのところをポチっとしていただきますと励みになります。

 

 

松本城は城もさることながら堀が美しい

今回は松本城をご紹介します。

f:id:minamimachida0706:20180110230850j:plain松本の観光スポットとしては間違いなく人気No.1ではないかと思いますが、松本駅から徒歩10分という交通至便な立地で、誰でも手軽に訪れることができる場所となっています。

江戸時代以前に建設されて現在まで保存されている天守は日本各地に12カ所ありますが、その中で姫路城、犬山城、彦根城、松江城と並んで松本城は国宝に指定されています。

松本城築城の意外な目的

現在残っている天守閣が建設されたのは16世紀末だといわれています。1590年に北条氏を滅ぼして天下統一を実現した豊臣秀吉は最大のライバルである徳川家康を論功行賞で関東に移封しますが、それと同時に石川数正を松本に移封します。

石川数正は徳川家康が今川義元の人質となっていた時代から近侍として仕えていた武将で、多くの合戦に出陣して数々の武功を挙げ、また信長や秀吉との交渉役を務めるなど家康の懐刀のような存在でした。

しかし秀吉と戦った小牧長久手の合戦で講和をまとめた翌年、突如として一族郎党約100人を引き連れて岡崎城を出て徳川家康のもとから出奔し、秀吉を頼りました。この出奔については歴史上未だに謎とされていますが、徳川家の軍事機密を知り尽くした石川が秀吉側についたということは家康にとっては大打撃だったことは間違いないようです。

秀吉が石川を松本に置いたのは関東に入った家康に対する監視役だといわれ、この時に臨戦体制の役目をする城として松本城の築城と城下町の建設が進められ、政治基盤が整備されました。

この働きにより石川は松本藩の藩祖とされています。

国宝松本城に入ってみた

f:id:minamimachida0706:20180110231124j:plain国宝の松本城天守には本丸庭園から入場できます。

f:id:minamimachida0706:20180110231200j:plain築城当時の姿が良好な状態で残されています。

f:id:minamimachida0706:20180110231244j:plain城内では築城当時の鉄砲や甲冑などが展示され、博物館のようになっていました。

f:id:minamimachida0706:20180110231328j:plain

f:id:minamimachida0706:20180110231357j:plainしかし私としては建物の構造の方が気になりました。姫路城の場合には建物を支える2本の大柱がありますが、松本城にはそれがありません。頑丈な木材を縦横に組んでいくことにより建物を支えているようです。

f:id:minamimachida0706:20180110231451j:plain400年以上前の建物ですから、当然のことながらバリアフリーなんて考えはありません。

f:id:minamimachida0706:20180110231529j:plain城主の御座所は四階にあります。

f:id:minamimachida0706:20180110231620j:plain天守閣最上階である六階まで来ました。

f:id:minamimachida0706:20180110231649j:plain

f:id:minamimachida0706:20180110231718j:plainこちらからは雪を被った信州の山々が一望できます。

f:id:minamimachida0706:20180110231757j:plain最上階の天井には松本城を守る神様である二十六夜神が祀られていました。

城内では急な階段や天井が低い場所が幾つもあります。また土足厳禁ですが、冬は床が冷え切っているので足が大変に冷たくなります。この点をあらかじめ知っておいてください。

松本城は堀が美しい

f:id:minamimachida0706:20180110232120j:plain平城である松本城にとっては防御を固めるために掘が重要です。

f:id:minamimachida0706:20180110232440j:plain防御面だけでなく、城を美しく見せるためにも堀は大変に重要です。

松本城の内堀は落ち葉や鯉の糞などが原因の泥が溜まって悪臭が発生していたそうですが、数年前にしゅんせつ作業が行われて大変に綺麗になっていました。

松本城は城もさることながら堀が美しいのではないかと思っています。

◆伝統ある地名を社名に持つ深志神社の記事

www.goshuinbukuro.com

◆すべての願いが叶う「願い事むすびの神」四柱神社の記事

www.goshuinbukuro.com

◆紅葉が見頃だった戸隠神社の記事

www.goshuinbukuro.com

最後までお読みいただきありがとうございます。

スマホでご覧の方はPCでも見ていただきますと写真がよくわかります。

※はてブのところをポチっとしていただきますと励みになります。