御朱印とうどんを極めたい!!

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〖鎌倉〗八雲神社の御朱印とご利益・境内の見どころ

鎌倉の八雲神社ではどっしりとした、いかにもご利益のありそうな御朱印を頂けます。厄除のご利益で有名で、「鎌倉最古の厄除の杜」とまで呼ばれています。アクセスとしては妙本寺から南に向かい、「ぼたもち寺」として知られる常栄寺の前を通り抜けた先の住宅街の中にあります。

八雲神社の御朱印

御朱印所

八雲神社の社務所

御朱印は社殿向かって右奥の社務所で頂けます。

初穂料500円

御朱印

どっしりとした八雲神社の御朱印

どっしりとした、いかにもご利益のありそうな御朱印です。

過去に頂いた御朱印

八雲神社のどっしりとしたいかにも御利益がありそうな御朱印

平成29年5月12日付です。

歴史と厄払いのご利益

八雲神社は1083年に新羅三郎義光が京都の祇園社(現在の八坂神社)から勧請したと伝えられています。

当時の鎌倉では疫病が流行して人々が困っており、義光が「厄除神」として知られた祇園社を勧請して祈願したところ疫病が鎮みました。

「鎌倉最古の厄除けの社」と記された看板

そのため八雲神社は厄払いのご利益で有名です。

新羅三郎義光は八幡太郎と呼ばれた源義家の弟で、後三年の合戦で苦戦する兄を助けるために奥州に向かう途中鎌倉に立ち寄りました。

平安時代後期になると藤原氏が全てを掌握した摂関政治が引き続きおこなわれていましたが、その一方地方において天災・飢饉・疫病等が発生しても貴族はただ祈祷を行うことしかできなかったといいます。平将門の反乱が発生しても政府の追討軍が到着したのは既に一族の手により将門が殺された後であったことに象徴されるように、中央には反乱を鎮定する能力がもはやありませんでした。そのためこの時期は中央の貴族に代わり地方の武士が力を持ち始めた時代でした。

室町時代の14世紀末には義光の子孫である佐竹氏の祠が合祀されて「佐竹天王」とも称され、江戸時代には「祇園さま」とも呼ばれていたといいます。

明治になって祭神の須佐之男命が詠んだ最古の和歌「「八雲立つ 出雲八重垣妻籠に 八重垣作る その八重垣を」に因み、八雲神社と改称しました。

1923年の関東大震災で社殿が倒壊し、現在の建物は昭和になって再建されたものです。

アクセス

八雲神社は妙本寺から南に向かい、「ぼたもち寺」として知られる常栄寺の前を通り抜けた先の住宅街の中にあります。

交通

横須賀線鎌倉駅徒歩約9分

地図

八雲神社の境内

一之鳥居

一之鳥居

閑静な住宅街の中にいきなりこのような空間が現れます。どうやら周辺の人々の憩いの空間となっているようです。

二之鳥居

二之鳥居

拝殿

八雲神社の拝殿

本殿

八雲神社の本殿

寶蔵庫

寶蔵庫

毎年7月に開催される八雲神社の大祭は地名から「大町まつり」と呼ばれています。その時繰り出される4基の神輿を安置した「寶蔵庫」です。「自由拝観」という看板が目を引いています。ドアを開けて中に入れるのでしょうか。

「窓より拝観してください」という注意書き要するに窓から自由に中を覗いていいという事のようです。まつりの時は乳幼児を抱いて神輿の下をくぐる「神輿くぐり」により子供の無事な成長を祈願します。

新羅三郎手玉石

新羅三郎手玉石

境内の御神木の下にあります。これくらいの石を手玉に取れるくらい力持ちだったという事でしょう。

境内社

於岩稲荷社、稲荷神社、諏訪神社

拝殿の左側に鎮座する境内社です。左から於岩稲荷社、稲荷神社、諏訪神社です。

三峯神社と御嶽神社

拝殿の右奥の境内社です。三峯神社と御嶽神社です。

忘れてはいけない見晴台

祇園山ハイキングコースの案内八雲神社は祇園山ハイキングコースの入り口となっています。

見晴台の標識ハイキングコースの山道を5分程度上がると見晴台に出ることが出来るのです。

見晴台からの眺望材木座から由比ヶ浜、稲村ケ崎まで一望できます。空気が澄んでいれば長谷の山越しに富士山や丹沢が見えるそうです。少し険しい道を登らなければなりませんが、素晴らしい眺望を楽しむことができます。八雲神社まで来たからにはぜひ見晴台まで上がることをお勧めします。

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