酒と車と御朱印の日々

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【御朱印】常栄寺(ぼたもち寺)の見開き御朱印を見ながら日蓮も無茶をするものだと思った

昨日も述べましたように鎌倉で布教を開始した日蓮は法華経のみが釈迦の真の教えであると説き、幕府や他の宗派を徹底的に批判します。
当時の最高権力者であった北条時頼に提出した「立正安国論」において日蓮は、「人々が正法である法華経を信じず、念仏や禅といった邪法を信じていることが原因で相次ぐ災害が発生している。」と主張しました。これにより日蓮は鎌倉幕府も仏教の他の宗派も敵に回します。その結果住まいを焼き討ちされ、また幕府により伊豆に流されることになります。


赦免されて伊豆から戻った7年後の1271年は全国的な大干ばつの年で、春から6月まで一滴の雨も降りませんでした。そこで開催されたのが極楽寺の良観と日蓮との雨乞い対決で、負けた方が相手の弟子になるという約束だったといいます。良観が14日祈祷し続けて一滴も降らなかったのに対し、日蓮が法華経を唱えると三日三晩降り続けたということで日蓮の圧勝でした。
現代のバラエティー番のように「泣きのもう一回」という訳にはいきません。こんな大人げない対決をしていては当然のことながら相手の恨みを買うことになります。良寛は連名で日蓮を幕府に訴え、捕らえられた日蓮は処刑されることになりました。


龍ノ口刑場へ引き回される日蓮に対し、最後の供養として胡麻のぼたもちを差し出した老女がいました。彼女はかつて源頼朝が由比ヶ浜を遠望するために作らせた桟敷を管理していたので桟敷の尼と呼ばれています。その後怪奇現象が相次ぎ日蓮の処刑が直前で中止となったため、「首つなぎのぼたもち」と呼ばれるようになり、尼は日蓮を救ったとして信仰の対象となりました。江戸時代になって尼の住居跡に建てられたのが現在の常栄寺(ぼたもち寺)です。
処刑を免じられた代わりに日蓮は佐渡に流され、再び鎌倉に戻ってからの活動については本覚寺でご紹介した通りです。

 

 個人の住居跡を寺にしたという事で、常栄寺は閑静な住宅街に位置しています。

f:id:minamimachida0706:20170218223920j:plain何の前触れもなくいきなり視界に飛び込んできます。

f:id:minamimachida0706:20170218224017j:plainこれまでまわってきたどの寺社とも異なる雰囲気に少々面食らいました。

f:id:minamimachida0706:20170218224101j:plain本堂です。

f:id:minamimachida0706:20170218224155j:plainお寺の境内と言うより個人宅の庭という雰囲気でした。

f:id:minamimachida0706:20170218224237j:plain常栄寺は江北氷川神社、安楽寺と同様に見開き御朱印で知られています。

  日蓮にぼたもちをささげた桟敷の尼のエピソードを和歌にしたものです。

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「これやこの 法難の祖師に萩のもち 棒げし尼が すみにしところ」と書かれています。
書いて下さった女性が内容について丁寧に説明してくださいました。
ちなみに12時から1時の間御朱印はお休みです。恐らく書けるのはこの方お一人だけでしょうからご都合により外出された場合もお休みになると思います。併せてご注意ください。


ぼたもちといえば餡です。小豆を煮た餡が作られるようになったのは鎌倉時代の終わりごろですが、砂糖で味付けするようになったのは江戸時代になってからのようです。日蓮に差し出されたのは胡麻のぼたもちだったといいますが、祖師が処刑されるという事で取るものも取り敢えず作ったのでしょうから決して美味しいものではなかったはずです。しかし心がこもっていたからこそ後の日蓮の奇跡につながったのではないでしょうか。

 

 ◆命を取り留めた日蓮が復活の拠点とした本覚時の記事

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 ◆同じ見開き御朱印を頂ける安楽寺と江北氷川神社の記事

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