瀬田玉川神社では版木押しタイプの2種類の御朱印を頂けます。約500年にわたって瀬田・二子玉川エリアの氏神であり続けている神社で、武蔵野台地・国分寺崖線上の小高い丘の上にあるため、アクセスを間違えると無駄に坂道を上ったり下りたりしなくてはならなくなります。
瀬田玉川神社の御朱印
こちらでは瀬田玉川神社と飛地境内末社の瘡守稲荷神社の2種類の御朱印を頂けます。
御朱印所
瀬田玉川神社の御朱印所は社殿向かって右手にある社務所です。
初穂料 500円
御朱印
瀬田玉川神社
主祭神の少彦名命にちなみ、御朱印にもひょうたんを描いた印が押されています。
瘡守稲荷神社
瀬田玉川の御朱印は寺社名の書かれた印章を押す「版木押し」タイプです。
瀬田玉川神社の由緒
社伝によれば瀬田玉川神社の創建は16世紀中ごろとされています。当時この地は小田原の北条氏の勢力下にあり、瀬田城の城主であった長崎氏の下屋敷で邸内社として創建されたのが起源であったといいます。
豊臣秀吉による小田原征伐により1590年に北条氏が滅亡すると長崎氏は土着して帰農し、この地の名主となります。そして1626年に子孫である長崎四郎左衛門嘉国という人物が土地を寄進し、現在地に遷座しました。
さらに1695年に長崎氏の子孫によって拝殿が造営されています。
この地は武蔵野台地・国分寺崖線上の小高い丘の上にあり、崖上の神社という意味で御嶽神社と呼ばれてきましたが、明治になって近隣の神社数社を合祀した際に玉川神社とかいしょうしました。
現在では瀬田・二子玉川エリアの氏神として多くの人に崇められています。
アクセス
交通
田園都市線二子玉川駅より徒歩約15分
玉川病院を目印にしてはいけない
地図上では日産玉川病院に隣接しているように見えますが、病院を目印にして進むと大幅な遠回りになり、無駄に坂道を上ったり下りたりしなくてはならなくなります。
まずは丸子川にかかる治大夫橋(じだいゆうばし)を渡った場所にある「NTT瀬田前」交差点を目指してください。
川を渡って交差点を直進し、坂を上っていると左手に社号標が出現します。
地図
瀬田玉川神社の境内
このあたりは地盤の安定した日当たりのよい高台であり、玉川高島屋で日常の買い物ができるような人々が集結している「高級住宅街」と言っても良いエリアです。
そんな場所に意外なほど広々とした境内が開けていました。
大鳥居
神楽殿
拝殿
1966年(昭和41年)9月の台風26号により樹齢約800年の松が倒れるなど境内が大被害を受けました。これを契機として社殿と社務所の新築に取りかかり、1968年(昭和43年)に竣工しました。
本殿
稲荷神社
社殿と社務所を結ぶ渡り廊下をくぐった先にあります。
稲荷神社の横には正体不明の小祠もありました。
飛地境内末社の瘡守稲荷神社
御朱印所である社務所の窓に瘡守稲荷神社までの道順が貼りだされています。
瘡守稲荷神社は瀬田玉川神社から北方向に約5分歩いた場所に位置しています。
かつて娯楽を求めて二子玉川に人々が集まり、遊郭が増えたことにより伝染病が広がりました。そこでこの地に住む人々を皮膚病や性病のような「瘡」から守るために創建されました。
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