大手町の将門塚は平安時代に発生した大反乱の中で殺された平将門の首を祀った場所で、「粗末に扱うと祟る」という伝説がスーパーゼネコンをビビらせる一方、「荒ぶる魂は願い事も叶う」とご利益を求めてお参りする人も絶えません。
- スーパーゼネコンもビビる将門塚の祟り
- 平将門の乱とは
- 神田明神が創建された地である「将門塚」
- 「粗末に扱って祟られた」伝説の数々
- ご利益を求めお参りする人は今でも絶えない
- 竣工後に訪れてみた
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スーパーゼネコンもビビる将門塚の祟り
大手町の超近代的高層ビル群の中で新たに地上40階、高さ200mの再開発である「OH -1計画」が進行中ですが、その建設現場の一角にうっそうと木が繁る空間が食い込んで区画が凹型になっています。
実はこれが東京都指定旧跡の「将門塚」で、「粗末に扱うと祟る」という伝説が遺されています。
現在周辺では三井物産と三井不動産より大手町一丁目2番地区での開発事業が進行中で、工事中塚は防護ケースで覆われています。
周辺の工事が進行すると単に塚だけをカバーするだけでは不十分なようで、現在では塚全体を防護する工事も進行中です。
私はマンション関係の仕事をしていた時期が長く、工事現場はいくつも見てきましたが、隣接地に対してここまで配慮した現場というのは初めてです。
近代的なビルが立ち並ぶなかでこれまで見たことの無い光景であり、スーパーゼネコンの鹿島建設をここまでビビらせる将門の怨念恐るべしです。
ちなみに事業者である三井不動産は、首塚に関しては「神聖で大切な場所と認識している」とコメントしているそうです。
三井不動産は神様に優しい
平将門の乱とは
平氏一族の抗争が巨大化した「平将門の乱」
平安時代中期から歴史に登場する武士団のなかで、桓武平氏は清和源氏と並ぶ一大勢力でした。この時期に下総国、常陸国に広がった平氏一族の抗争が、やがては関東諸国を巻き込む争いへと進んだのが「平将門の乱」と呼ばれる承平・天慶の乱です。
京都の天皇に対し「新皇」を自称して朝敵に
桓武天皇の五代後の子孫である将門は乱の中で国府を襲撃して印鑰を奪い、京都の朱雀天皇に対抗して「新皇」を自称し、東国の独立を標榜したことによって遂には朝敵となりました。しかしその後わずか2か月たらずで藤原秀郷、平貞盛らにより討伐されてしまいます。
日本三大怨霊の一つである将門の霊
将門の首は平安京へ運ばれ、晒し首となりました。獄門が歴史上で確認される最も古く確実な例が、この将門です。
しかしその首は3日後に空高く舞い上がり、故郷に向けて飛んでいきます。そのため将門は崇徳天皇、菅原道真と並び、非業の死を遂げた日本三大怨霊の一つとされています。
その首が落ちたと言われる場所はいくつかありますが、最も有名な場所が今回ご紹介している大手町の将門塚です。
神田明神が創建された地である「将門塚」
この地は神田明神が創建された場所なのですが、村人が恐れて塚を築いて首を埋葬したといわれます。
その後この周辺で天変地異が相次いだことから将門の祟りではないかと人々が畏れ、時宗の真教上人が将門に「蓮阿弥陀仏」の法名を贈って首塚の上に自らが揮毫した板碑を建立し、傍らの神田明神に将門の霊を祀ったところ、天変地異はようやく鎮まったといいます。
首塚の前に真教上人が揮毫した板碑が立てられています。
首塚の内部では蝋燭がともされていました。
「粗末に扱って祟られた」伝説の数々
徳川幕府の時代になり神田明神は移転してこの地は大名屋敷になります。しかし塚はその中に残り、明治になって大蔵省の庁舎が建てられても敷地内に残りました。関東大震災で塚は倒壊しましたが、その結果誕生したのが「塚を粗末に扱うと祟る」という伝説です。
2年間で関係者が14人死亡、最後は庁舎が全焼した大蔵省
大正12年、関東大震災で倒壊した庁舎の再建に乗り出した大蔵省は首塚をつぶしてその上に仮庁舎を建設したのですが、僅か2年の間に大蔵大臣を始めとする14人もの関係者が亡くなりました。その他にも怪我人・病人が続出したことから、大蔵省は仮庁舎を取り壊し、塚を現在の形に再建せざるを得なくなります。
昭和15年、落雷による火災で大蔵省の庁舎が全焼した際も「首塚を粗末にしているから」という声が再び上がり、大蔵省は鎮魂祭を盛大に行って塚に「故蹟保存碑」を建立しました。
作業員が事故死したGHQ専用駐車場工事
昭和20年、空襲で焼失した大蔵省の跡地にGHQ用の駐車場を造成しようとした際、ブルドーザーがひっくり返り作業員が死亡する事故が起こりました。関係者がGHQに陳情に赴き、「昔の大酋長の墓」と説明してようやく工事の中止を了承させたといいます。
行員が次々病気に、最後は銀行としても破綻した日本長期信用銀行
高度経済成長の時代になり大蔵省は首塚の部分だけ残して周囲の土地を売却し、首塚の参道にあたる場所には日本長期信用銀行が建てられました。
すると今度は塚に面した部屋の行員が次々と病気になるという事態が生じます。神田明神の神官がお祓いをして騒ぎは収まりましたが、最終的には長銀そのものが破綻してしまいました。
番組企画で首塚にドロップキックをして仕事が絶えた太田光
その後周辺には次々とビルが建てられますが、「単なる迷信」と軽んじて工事に臨んだ現場では事故が続発します。
その結果、隣接するビルでは「塚を見下ろすことのないよう窓は設けていない」「塚に対して管理職などが尻を向けないように特殊な机の配置を行っている」といった伝説が発生しました。
ちなみにブレイク前の爆笑問題の太田光が番組企画で首塚にドロップキックをしたところ、その後しばらく全く仕事がなかったといいます。
ご利益を求めお参りする人は今でも絶えない
「荒ぶる魂は願い事も叶う」
様々な経緯を経て将門塚は現在まで残り、「荒ぶる神は願い事も叶う」ということでお参りする人の数は多いようです。将門を「中央の圧政に抵抗し、弱きを助け強きを挫く地元の勇者」と評価する人は多く、神田明神では御祭神として祀っています。
塚の敷地内は清掃が行き届き、香華が絶えません。
敷地内の石のベンチは願い事が叶った方から奉納されたものだそうです。
塚の周囲には蛙の置物が数多く置かれていますが、これは将門の首が京都から飛んで帰ってきたことから「カエル」ということにかけたものです。
左遷先から元の部署に「帰る」、行方不明になった子供が「帰る」といったことを願って奉納されました。
三菱東京UFJ銀行に「平将門」名義の口座
賽銭箱に納められる浄財は年間で約80万円になるという事で、隣接する三菱東京UFJ銀行内に「平将門」名義の口座を開設して管理し(本人確認はどうするのだろう)、これによって清掃や整備を行っています。
竣工後に訪れてみた
OH-1計画の工事は2020年2月23日に竣工しました。
首塚は以前と同じ姿で、塚を覆っていたケースも工事中の時と同様に残されていました。
塚をお参りする人の姿は以前より多くなったように思います。(2020年10月4日現在)
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