神田明神では干支をデザインした書置きの御朱印を頂けます。だいこく様・えびす様と共に平将門を祭神として祀る神社で、商売繁盛で有名な境内には様々な見どころがあります。
是非こちらもご覧下さい
干支をデザインした書置き御朱印
御朱印所


神田明神の御朱印所は文化交流館内の授与所です。こちらでは書置きの御朱印を頂けます。
受付時間 9:00~16:00
初穂料 500円
御朱印

お参りした日はまだ巳年の平成7年であり、ヘビをデザインした書置き御朱印を頂きました。
過去に頂いた御朱印

2022年10月15日付です。

2018年12月27日付で、この時だけ全く別のタイプでした。

2015年月9日付で、この時期は御朱印帳に直書きして頂けました。![]()
神田明神の由緒
東京都千代田区外神田二丁目の神田神社は一般的には神田明神として知られています。社伝によれば創建は730年で、現在の千代田区大手町に大己貴命が祀られたことが起源とされています。この地は伊勢神宮の御田(神田)があった場所であり、そのため神社は「神田ノ宮」と呼ばれました。

大己貴命はまたの名を大国主命といい、縁結びの神様であるだいこく様として知られています。
935年に大反乱を起こして敗死した平将門の首が京都から持ち去られ、この地に葬られました。その後この地で天変地異が頻発し、1309年に傍らの神田明神に将門の霊を祀ったところようやく鎮まったといいます。
1600年の9月15日の神田祭の日に関ケ原の戦いが行われ、縁起の良い祭礼として徳川家康から今後絶やすことなく行うよう命じられます。江戸幕府が開かれると創建の地である大手町から江戸城の表鬼門守護の場にあたる現在の地に遷されました。
「神田明神」と名乗り始めたのはこの頃で、明治になってから「神田神社」に改称されました。(それでも一般的には「神田明神」と呼ばれています。)

1874年に実施された明治天皇の行幸に際し、朝敵だった将門は祭神から外されて代わりに少彦名命(えびす様)を勧請して合祀します。しかし1984年に再び将門を祭神として祀りました。
日枝神社や根津神社等とともに「東京十社」の一つとなっています。
神社創建の地にある「将門塚」についてはコチラ
アクセス
交通
中央線・総武線・丸の内線御茶ノ水駅徒歩約5分
京浜東北線・山手線・日比谷線秋葉原駅徒歩約7分
千代田線新御茶ノ水駅徒歩約5分
銀座線末広町駅徒歩約5分
地図
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東京十社の神社(記事は下に続きます)
「商売繁盛の神様」の見どころ
えびす様を祀ることから神田明神は「商売繁盛の神様」として知られており、毎年1月4日の仕事始めにはスーツ姿のビジネスマンで境内が埋め尽くされます。

その際は神社が面する本郷通りにまではみ出して何重もの列ができるほどです。私も勤務先が岩本町にあった頃は神田明神参拝で1年がスタートしており、これだけで半日潰れるほど混雑していました。
社号標・大鳥居

参道の天野屋は江戸時代より現在まで6代続く老舗です。店舗の地下6mに「土室」があり、こちらでつくり出された糀を使用した「明神甘酒」で知られています。
随神門

関東大震災で焼失していましたが、松下幸之助氏の寄進により1975年に再建されました。
拝殿

神田明神のかつての社殿は関東大震災で焼失しましたが、1934年に当時としては画期的な鉄骨鉄筋コンクリート(SRC)、総朱漆塗の社殿が再建されました。

この社殿は東京大空襲による火災にも耐え抜き、国の登録有形文化財に指定されています。
本殿

神田明神文化交流館

700人収容の多目的ホール「神田明神ホール」や物販・飲食スペースなどを備えており、2018年12月15日に竣工しました。これにより境内の雰囲気が一変したように思います。
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