神田明神として知られる神田神社の御朱印は書置きです。商売繁盛の神様としてあまりにも有名ですが、縁結びや厄除けのご利益もあります。平安時代に乱を起こして朝敵とされた平将門を御祭神として祀っています。
神田明神の御朱印は書置き
御朱印所
神田明神の御朱印所は文化交流館内の授与所です。
受付時間 9:00~16:00
初穂料300円
御朱印
現在は全て書置き対応となっています。
過去に頂いた御朱印
平成30年12月27日付
平成30年1月より新しいタイプの御朱印となっていました。
見開きで右側に紙の御朱印が貼られ、左側に神田神社の神紋が押されています。
平成27年5月9日付
この時期は御朱印帳に直書きして頂けました。
オリジナル御朱印帳
神田明神の御朱印帳は赤と青の2種類です。サイズは小型のみで紙質は普通です。
価格1000円
ご利益は商売繁盛だけじゃない
神田明神には一般的に商売繁盛の神様というイメージがありますが、神田明神のご利益はそれだけではありません。
大己貴命(縁結び)
だいこく様として知られ、またの名を大国主命という縁結びの神様です。境内のだいこく様像は石造りとしては日本一の大きさです。
少彦名命(商売繁盛)
えびす様として知られる商売繁盛の神様です。境内のえびす様像はイルカやタイやトビウオといった海の仲間に守られて大海原をわたるえびす様を表現しています。
平将門命(除災厄除)
神田明神では平安時代に乱を起こして朝敵とされた平将門を御祭神として祀っています。民衆を守るために時の政権と命がけで戦ったという事で除災厄除けの神とされています。
天慶の乱で殺された将門の首は平安京の都大路の獄門台で晒されますが、三日後に東方に飛び去り神田明神の周辺に落ちたといいます。
村人が首塚を築いて埋葬しますが、その後も天変地異が頻発したため、1309年に傍らの神田明神に将門の霊を祀ったところようやく鎮まったといいます。
村人が塚を築いて埋葬した平将門の首塚は現在も大手町の中心部に残されていますが、こちらは神田明神発祥の地です。
アクセス
交通
中央線・総武線・丸の内線御茶ノ水駅徒歩約5分
京浜東北線・山手線・日比谷線秋葉原駅徒歩約7分
千代田線新御茶ノ水駅徒歩約5分
銀座線末広町駅徒歩約5分
地図
東京十社
雰囲気が一変した境内
神田明神の名で知られる神田神社は730年に伊勢神宮の御田(神田)があった現在の千代田区大手町に創建されて神田ノ宮と称したことが起源となっています。1600年の9月15日の神田祭の日に関ケ原の戦いが行われ、縁起の良い祭礼として徳川家康から今後絶やすことなく行うよう命じられます。江戸幕府が開かれると創建の地である大手町から江戸城の表鬼門守護の場にあたる現在の地に遷されました。
2018年12月に神田明神文化交流館がオープンしたことで境内の雰囲気が一変しました。
大鳥居
本郷通りに面しています。
隋神門
関東大震災で焼失していましたが、松下幸之助氏の寄進により昭和50年に再建されました。
社殿
神田明神のかつての社殿は関東大震災で焼失しましたが、昭和9年に当時としては画期的な鉄骨鉄筋コンクリート(SRC)、総朱漆塗の社殿が再建されました。この社殿は東京大空襲による火災にも耐え抜き、国の登録有形文化財に指定されています。
神田明神は商売繁盛の神様としてのイメージが強く、毎年1月4日は初詣に訪れた周辺の経営者やサラリーマンにより境内が埋め尽くされます。
神田明神文化交流館
700人収容の多目的ホール「神田明神ホール」や物販・飲食スペースなどを備えており、2018年12月15日に竣工しました。これにより境内の雰囲気が一変したように思います。
境内社
神田明神では氏子地域から多くの神社が境内社として遷座されてきており、社殿を取り巻くように祀られています。
魚河岸水神社
日本橋に魚市場があったころに徳川家の武運長久と大漁安全を祈願するため創建されました。
小舟町八雲神社
大伝馬町八雲神社
江戸神社
702年に現在の皇居内に創建された江戸最古の地主神です。
浦安稲荷神社
三宿・金刀比羅神社
末廣稲荷神社
合祀殿
籠祖神社(猿田彦神、塩土老翁神)をはじめ、神田明神本殿に合祀されていた八幡神社(誉田別命)や富士神社(木花咲く耶姫命)、天神社(菅原道真命、柿本人麻呂命)、大鳥神社(日本武尊)、天祖神社(天照大御神)、諏訪神社(建御名方神)を合祀しています。大鳥神社では毎年11月の酉の日に酉の市が開催されます。
祖霊社
神田明神を尊崇した氏子・崇敬者の先祖を祀っています。
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