瑞泉寺では力強い書体の御朱印を頂けます。庭造りの名手である夢想国師が創建した歴史のある寺院で、岩庭と呼ぶべき庭園は国の特別名勝・史跡に指定されているなど、境内は見どころで満ちています。
瑞泉寺の御朱印
御朱印所
御朱印は庫裏で頂けます。
受付時間9:00~17:00
志納金:「お気持ちで」
但しお釣りは出ないそうなので財布の中にはなにがしかの小銭は入れておきましょう。
御朱印
大変に力強い御朱印です。
瑞泉寺の歴史
庭造りの名手である夢想国師が創建
瑞泉寺は1327年に夢窓国師により創建された寺院です。
夢窓国師はこの時代を代表する高僧で、円覚寺、浄智寺、南禅寺といった寺院の住職を歴任し、その間に天龍寺、恵林寺といった寺院を開きました。鎌倉時代には最後の執権である北条高時の尊崇を受け、鎌倉幕府が倒れると後醍醐天皇や足利尊氏からも帰依されました。
また庭づくりの名手としても知られており、瑞泉寺の庭園の他永保寺、恵林寺、天龍寺、苔寺の庭園が現在では国の特別名勝・史跡に指定されています。
鎌倉公方足利家の菩提寺
足利尊氏による室町幕府開府後、嫡男の義詮は鎌倉において関東を統治しますが、尊氏と弟の直義の骨肉の争いが激化する中で京都に呼び寄せられることになります。代わりに次男の足利基氏を鎌倉府として送り込みますが、これが鎌倉公方足利家の起源です。第4代の持氏が幕府と対立して永享の乱を起こして敗れるまで瑞泉寺は菩提寺となりました。
江戸時代には徳川光圀がこの地に滞在し「新編鎌倉誌」を編んだといいます。
アクセス
交通
横須賀線鎌倉駅よりバス大塔宮行 終点大塔宮下車徒歩約10分
徒歩の場合、鶴岡八幡宮から金沢街道を東に進み、岐れ道交差点で斜め左の荏柄天神社方向に曲がります。突き当りにある鎌倉宮から覚園寺と反対方向に進んでください。二階堂エリアの寺社を満喫することができてお勧めします。鎌倉駅から約35分です。
地図
超個性的な鎌倉の寺社
瑞泉寺の境内
瑞泉寺の参道
金沢街道から分岐した道を進み、鎌倉宮を抜けた一番奥に瑞泉寺は位置しています。
四季折々の「花の寺」として知られていますが、参道の脇に梅が一直線に植えられていました。花が咲いたらさぞ綺麗でしょう。
夢窓国師は紅葉ヶ谷が三方の山に囲まれたこの地を選択しました。そのため山門まで急な階段を登らなければなりません。
階段の周囲は新緑がまばゆいばかりになっていました。
吉田松陰の記念碑です。下田で密航を企てる直前に叔父である竹院和尚に会いに来たとされています。瑞泉寺の境内
境内配置図
山門
大宅壮一文学碑
多くの文人が訪れたという瑞泉寺の境内には幾つもの文学碑が残されていますが、大宅壮一氏の有名な「男の顔は履歴書である」が刻まれた碑です。
本堂
地蔵堂
紅葉谷
「三方を山に囲まれ、わずかに開けた西の空に富士山を望む」という光景です。天気が良ければこの先に富士山が見えるのでしょう。
寺のある一帯は紅葉ヶ谷(もみじがやつ)と呼ばれる谷戸(やと)に位置しています。
500年の眠りから覚めた庭園
彫刻的手法により制作された岩庭
天台山、錦屏山を背景とした鎌倉石の岩盤を地形・地質に応じて削り出して作ったものです。滝・池、中島等すべて彫刻的手法により制作されたまさに岩庭と呼ぶべき庭園です。
500年放置したら埋まってしまった
瑞泉寺の庭園に関する記事を見ると必ず「荒廃していたものを発掘復元した」とあります。これほどの庭園が荒廃し、全域にわたって埋没してしまうということは何か事件か大災害のようなものがあったのか、いろいろ調べましたがそれらしいものはありませんでした。
どうもこういった遺跡のようなものは手入れを怠って放置すると、案外簡単に地中に埋まってしまうものだそうです。永享の乱の後鎌倉公方足利家が滅びてから約500年放置したということでしょうから、その間に発掘をしてみなければならないくらい埋まってしまったということのようです。
500年の眠りから覚めた瑞泉寺の庭園は一見の価値があります。
紅葉が見頃の時期の瑞泉寺
瑞泉寺は紅葉の名所でもあります。
拝観受付付近
山門付近
本堂付近
庭園付近
覚園寺~鎌倉宮~瑞泉寺エリアは鎌倉で一番最後に紅葉が見頃になるエリアです。
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