鎌倉宮では3種類の通年御朱印の他に月ごとの限定御朱印があり、8月は何と合計12種類ありました。後醍醐天皇の皇子で足利直義に殺された護良親王を祭神として祀っており、明治天皇の勅令により創建された神社です。
御朱印は12種類もらえる
御朱印所
鎌倉宮の御朱印は社殿向かって右手奥の社務所で扱っています。
社務所は門をくぐった先にあります。鎌倉宮の御朱印は全て手書きで、印刷やコピーではありません。
通年の御朱印は3種類、8月限定の御朱印は9種類あります。通年の御朱印は全て見開きタイプです。①~⑨は直書きと書置きの両方、⑩~⑫は書置きのみです。
初穂料 通年600円
限定500円
御朱印
今回は①の御朱印を頂きました。前回頂いた御朱印とはずいぶんと印象が違っています。
過去に頂いた御朱印
平成28年3月18日付で、御朱印に獅子頭のお守りが描かれています。
鎌倉宮の歴史
鎌倉宮は後醍醐天皇の皇子である護良親王を祭神として祀る神社で、明治天皇の勅令により1869年に創建された神社です。
護良親王は6歳の時の仏門に入り、その後2度にわたり天台座主になるほどの人物でしたが、父である後醍醐天皇が鎌倉幕府に対する討幕運動を開始すると自らも還俗して合流します。楠木正成らとともに各地で鎌倉幕府軍と戦い、また討幕を促す令旨を各地に送ることにより足利高氏(当時)、新田義貞らを味方に引き入れました。
鎌倉幕府討幕後に開始された建武の新政において護良親王は征夷大将軍に任じられますが、その後討幕の功労者であった足利尊氏や父である後醍醐天皇とも反目するようになり、最終的に足利方によって捕らえられてしまいます。
護良親王は尊氏の弟の直義の管理下に置かれ、鎌倉幕府再興を図る勢力との戦いで発生した大混乱の中で1335年に殺害されてしまいました。
明治維新により徳川幕府からから政権を取り戻した明治天皇は同様に武家政権からの天皇親政を実現した建武の新政と護良親王に思いを寄せ、護良親王終焉の地に神社造営の勅命を発して鎌倉宮と名付けました。
アクセス
交通
横須賀線鎌倉駅より大塔宮行バス 終点大塔宮バス停下車1分
地図
周辺の寺社
境内の見どころ
最大の見どころは拝観入口の先にある土牢ではないかと思います。
大鳥居
鶴岡八幡宮の前から東に延びる金沢街道を「岐れ路」の交差点で斜め左方向に曲がると正面に遠望できます。
手水舎
小さな獅子頭で埋め尽くされています。
厄割石
杯に大きく息を吹きかけ、石に向かって投げて割ることで体の悪いものを祓います。
拝殿
拝殿の正面には「獅子頭守(ししがしらまもり)」の巨大像があるということでしたが、この日は見当たりませんでした。
本殿
村上社
1333年に護良親王が吉野城に籠って幕府軍と戦いましたが、落城に際して親王の鎧を纏って身代わりとして戦い、敵を食い止めて親王が落ち延びる時間をかせいだ村上義光を祀っています。
村上義光の像は欅の大木に掘り上げたもので、「撫で身代わり」と呼ばれています。現在では自らの身体の悪い部分と同じ箇所をさするように撫でると回復するというご利益があると言われています。
拝観入口
こちらから先は拝観料が発生します。現在の拝観入口は社務所側にあります。
南方社
護良親王の娘で常に身の回りの世話をしていた南御方を祀っています。
菊の御紋
明治天皇の勅命で創建した神社というだけあって土牢の正面には菊の御紋がありました。
御構廟
護良親王の殺害後、首が置かれた場所とされています。
土牢
護良親王がおよそ9か月間幽閉され、殺害された場であるとされています。実際には建物の中に幽閉されていたという説もあって真偽は定かではありませんが、生々しいことだけは確かです。
このブログのイチオシ記事
「評価に値する」と思われたらワンクリックお願いします。読者登録とブックマークを頂けるともっと嬉しいです。