冨士山下宮小室浅間神社(ふじさんしもみやおむろせんげんじんじゃ)では花の絵が散りばめられた御朱印を頂けます。一般的に小室浅間神社と呼ばれており、征夷大将軍坂上田村麻呂にまつわる大変に歴史のある神社です。毎年9月19日に実施される流鏑馬神事で有名な神社で、境内には当日使用する馬を飼育する「神馬舎」もあります。
小室浅間神社の御朱印
御朱印所
御朱印は拝殿前の授与所で頂けます。
初穂料300円
御朱印
花の絵が散りばめられています。新型コロナウィルス感染拡大中という社会情勢の中、御朱印は全て書置き対応という寺社が圧倒的ですが、こちらでは御朱印帳に直書きして頂けました。これ以外にも何種類かあるようです。
坂上田村麻呂にまつわる歴史
社伝によれば小室浅間神社の創建は平安時代初期とされています。征夷大将軍坂上田村麻呂の東征に際して793年に吉田の地で富士山を遥拝して戦勝を祈願し、戦勝後の807年に神恩に感謝して社殿を造営したことに始まるといいます
もともとはただ「宮」とだけ呼ばれていたようです。後に富士山北側の山麓に数多くの浅間神社が祀られ、その中では富士山麓の下手にあったことから「下の宮」と呼ばれるようになり、そこから冨士山下宮と名称が定まったと言われています。
明治になって小室浅間神社と改称し、現在に至っています。古くから富士山北麓の地域の守り神であり、総鎮守として人々の信仰の中心にありました。
流鏑馬神事
小室浅間神社は毎年9月19日に実施される流鏑馬神事で有名です。
当日は神社参道に交差する形で敷設されている「本町中村馬場」を神馬舎で飼育されている馬が疾走し、神職の装束姿の乗り手が矢を放ちます。(案内図下段の「ハートの御神木」のすぐ上にある、参道に直角に交差している水色のラインが馬場。)
武芸としての流鏑馬と違って馬の足跡で占いをすることが目的で、矢が的に当たることは重要視されていません。
アクセス
交通
富士急行下吉田駅徒歩約4分
富士急行河口湖駅より車で約9分
※公共交通機関の本数が少なく、河口湖周辺の寺社を巡る場合は車をお勧めします。このあたりには魅力的な神社が数多くあり、1社だけお参りして帰るのはもったいない。
地図
周辺の寺社
神場も飼育している境内
神社の都合により境内の建物の文化財申請を行っておらず、そのため国宝や重要文化財等とは無縁です。しかし拝殿や本殿等、地域の歴史・文化を語るうえで貴重な建物が数多く存在します。
一之鳥居
ハートの御神木
2014年に参道の桜の木にハート型の瘤が出現し、それ以降「縁結びの御神木」として注連縄を張ってお祀りしています。
大鳥居
2004年に発生した新潟県中越地震の数日後に倒れ、2010年に再建されました。
拝殿
16世紀末の建物であるとされ、それ以降修繕や増改築が何度も実施されています。
本殿
1757年に造営が開始され、10年後の1767年に完成しました。
神馬
日本中央競馬会から奉納された、流鏑馬で使用する神馬を飼育しています。
大塔宮護良親王桂之古跡
後醍醐天皇の皇子である大塔宮護良親王の首が葬られている場所とされています。
鎌倉幕府倒幕の功労者である護良親王は建武の新政で征夷大将軍に任じられますが、足利尊氏との政争に敗れ謀反の罪で捕らえられ、尊氏の弟である直義により鎌倉に幽閉されました。後に直義の家臣の渡辺義博により暗殺されて首を刎ねられますが、その際に護良親王の形相が余りにもすさまじかったために渡辺は首を捨ててしまいます。親王の側室がその首を持って落ち延び、この地にあった御神木の桂の木の根元に葬ったと記録に残されています。
境内社
神馬社
神馬舎で天寿を全うした歴代御神馬を祀っています。
日枝社
「見ざる、聞かざる、言わざる」の三猿の像を祀っています。
室宮恵比寿社
五社神社
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