小石川の傳通院(でんづういん)では「南無阿弥陀仏」と独特な書体で記した御朱印を頂けます。増上寺に次ぐ徳川将軍家の菩提所次席でという格の高い寺院で、徳川家康の生母である於大を筆頭として数多くの著名人の墓がありました。
傳通院の御朱印
御朱印所
御朱印は本堂脇の書院でいただけます。
志納金300円
御朱印
「南無阿弥陀仏」と独特な書体で記した御朱印です。
御供物も頂きました。
傳通院の由緒
傳通院の起源は1415年に創建された無量山寿経寺で、聖聡上人(増上寺開山)の請いにより師の浄土宗第七祖了誉が小石川に移り住んだ草庵に開創されました。
1602年に徳川家康の生母である於大が京都伏見城で死ぬと家康は母の遺骨を現在の墓地に埋葬し、寿経寺をここに移転して新たにお堂を建て、法名の「傳通院殿蓉誉光岳智光大禅定尼」から院号を傳通院と改めました。
家康はもともと母を増上寺に埋葬するつもりでしたが、増上寺十二世観智国師より「増上寺を開山した聖聡上人の師である了譽上人ゆかりの地」という言上を受け、伝通院の建立を決めたといいます。
その後は江戸幕府の保護を受けて多くの堂塔や学寮を有して威容を誇り、増上寺に次ぐ徳川将軍家の菩提所次席となって大いに繁栄します。
明治維新によって江戸幕府・徳川将軍家は瓦解するとその庇護は完全に失われ、当時の廃仏毀釈運動の中で塔頭・別院の多くが独立して現在では規模がかなり小さくなっています。
明治以降は墓地が一般に開放され、庶民の墓も建てられるようになっています。
アクセス
交通
東京メトロ丸の内線・南北線「後楽園」駅下車徒歩約10分
都営三田線・大江戸線「春日」駅下車徒歩約10分
地図
周辺の寺社
傳通院の境内
傳通院は善光寺坂に面しています。
信州の善光寺と交流があったことから塔頭の一つである縁受院が明治17年に善光寺に改称し、門前の坂が善光寺坂と呼ばれるようになりました。
山門
東京大空襲により焼失していましたが、平成24年に再建されました。
処静院跡の石柱
幕末の1863年に新選組の前身である浪士隊が傳通院の塔頭である処静院で結成されました。石柱の文字から隊の戒律の厳しさが伝わってきます。
本堂
傳通院は江戸時代の1721年と1725年の2度大火に遭い、さらに明治41年にも火災で本堂が焼失しています。先の大戦の際の東京大空襲では江戸時代から残っていた山門や当時の本堂などが墓を除いてすべて焼失しましたが、昭和24年になって本堂が再建されました。
現在の建物は昭和63年に建てられたものです。
多くの著名人が埋葬された墓地
傳通院の墓地には数多くの著名人が埋葬されています。
於大(徳川家康生母)
千姫(徳川秀忠の長女、豊臣秀頼・本多忠刻の妻)
豊臣と徳川が激しく争った時代の最大の被害者といってもいいかもしれません。
鷹司孝子(徳川家光正室)
公家出身で武家の生活には最後までなじめなかったといいます。
清河八郎
幕末の勤皇志士で浪士隊の創設者。暗殺により首だけ埋葬。「竜馬がゆく」の愛読者としてはどうしても外せません。
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