こんにゃく閻魔として知られる小石川の源覚寺では「蒟蒻閻魔」と「毘沙門天」を始めとする6種類の御朱印を頂けます。こんにゃくをお供えすることから呼ばれるようになった名前で、閻魔堂には現在もこんにゃくが山積みになっています。
こんにゃく閻魔の御朱印は6種類
御朱印所
源覚寺の御朱印所は本堂前にあります。
こちらではなんと6種類の御朱印を頂けるようです。「蒟蒻閻魔」と小石川七福神の「毘沙門天」の2種類は直書きで、それ以外は書置き対応です。
志納金500円~1000円
まだ平成だった2019年2月にお参りした際には「えんぱんつ」を販売していました。
コロナ禍を経て久しぶりにお参りしてみると、「えんまマスク」が登場していました。
御朱印
今回は「蒟蒻閻魔」の御朱印のみ頂きました。
過去に頂いた御朱印
コロナ前の平成31年2月10日付です。
蒟蒻閻魔
毘沙門天
こんにゃく閻魔の由緒
伝通院三世の隠居の地として創建された源覚寺
源覚寺は増上寺の18世住職にもなった定誉随浪上人伝通院三世の隠居の地として1624年に創建されました。江戸時代にこの地域の大半は伝通院の寺領であったといい、小石川という地名も伝通院の前の川に小石や砂が多かったことからついたという説まであります。
本尊として阿弥陀如来像を祀り、そのほかに鎌倉時代の作と伝わる閻魔の木像を寺宝としています。
その後「明暦の大火(1657年)」「お薬園火事(1762年)」「戸崎町火事(1774年)」「富坂火事(1884年)」と4回も火災に遭いますが本尊や閻魔像は被害を逃れ、関東大震災や東京大空襲においても無事でした。
閻魔の木像が「こんにゃく閻魔像」と呼ばれる
寺宝の閻魔の木像は「こんにゃく閻魔像」と呼ばれています。18世紀の中ごろに一人の老婆が眼病を患い、源覚寺の閻魔大王像に日々祈願していたところ老婆の夢の中に閻魔大王が現れて「満願成就の暁には私の片方の眼をあなたにあげて治してあげよう」と告げました。満願の日に老婆の眼は治りますが代わりに閻魔像の右目が割れて黄色く濁ってしまい、以来この老婆は感謝のしるしとして自身の好物であるこんにゃくを断って閻魔大王に供え続けたといいます。
これにより閻魔像は「こんにゃく閻魔」と呼ばれ、眼病治癒のご利益で人々の信仰を集めています。
アクセス
交通
三田線・大江戸線春日駅もしくは丸ノ内線・南北線後楽園駅徒歩約3分
立地
源覚寺は東京ドームから文京区役所の脇を通る千川通り(都道436号線)の「こんにゃくえんま前」交差点に面しています。水道橋駅から東京ドームシティの脇を抜ける白山通り沿いではありません。
地図
近隣の寺社
こんにゃくが山積みされた閻魔堂が印象的な境内
寺号標と門
汎太平洋の鐘
1690年に鋳造されたものですが、昭和12年に当時日本領だったサイパン島の南洋寺に搬出されました。先の大戦によるゴタゴタの中で行方不明になりましたが、昭和40年にテキサスで発見され昭和49年に源覚寺に変換されています。
南洋群島物故者慰霊像
先の大戦においてサイパンなど南洋諸島で犠牲になった人たちを追悼する菩薩像です。
塩地蔵
1624年の開山以前からこの地にあって人々の信仰を集めていたと伝えられるもので、地蔵尊の自身治したい部分に相応する箇所に塩につけるとご利益があるといいます。
本堂
源覚寺の旧本堂は関東大震災や東京大空襲の災害からも逃れましたが、老朽化が進行したため昭和54年に現在の建物に建替えられました。
閻魔堂
鮮やかな朱色が印象的な現在の建物は2003年に再建されたもので、祀られている「こんにゃくえんま像」は鎌倉時代運慶派の仏師の作と推定されています。
えんま像の写真の前には現在でも大量のこんにゃくが供えられています。(近隣にこんにゃくを販売するような店がないため、お参りの際は自宅周辺で購入しておいたほうがいいようです。)
こんにゃくの原料であるこんにゃく芋が置かれていました。
伊勢原の日向薬師でも見られた寺院によくある彫刻で、一見すると象のようですが伝説上の生き物である「獏」という説もあるようです。体は熊、鼻は象、目は犀、尻尾は牛、足は虎に似せて造られており、中国においては邪気を払う動物と考えられていたといいます。
境内社
境内社の毘沙門天は小石川七福神のひとつになっています。
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