子の権現(ねのごんげん)として有名な大鱗山雲洞院天龍寺は「関東ふれあいの道」の中で「奥武蔵の古刹を訪ねるみち」の途中にある寺院で、「足腰守護の神仏」として知られており、特に重さ約2tで日本一の大きさの鉄のワラジは有名です。御朱印は素朴の極みです。
子の権現の御朱印
御朱印所
御朱印は本坊で頂けます。本坊は江戸時代末期の建物で、屋根は茅と杉の皮で何層にも葺かれています。
志納金300円
御朱印
「天」の横棒部分に紙が貼りついてしまいました。飯能エリアに共通して素朴な御朱印でした。
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足腰守護の象徴である鉄ワラジ
子の権現は古来より足腰守護の神仏として人々の信仰を集めてきました。
信仰の象徴である鉄ワラジは重さが約2tあり、日本一の大きさといわれています。足腰守護の神仏として知られる子の権現では履物を奉納して願をかける習わしがありますが、その象徴的な存在となっています。
鉄のワラジの横には巨大な下駄が奉納されていました。
願掛けワラジです。二足のうち一方に願い事を記入して境内に掛け、もう一方を自宅に祀ります。
子の権現は榛名山と同様に自転車で山を上るヒルクライムの聖地となっているようで、そのため自転車用のラックもありました。
子の権現の由緒
子の権現の創建者である子の聖は子の年である832年の子の月・子の日・子の刻に生まれました。湯殿山で徳を積んだ後、911年に草ぶきの家をこの地に建てて十一面観音を祀ったことが天龍寺の起源となっています。山を登る途中で悪鬼の仕業により下半身に火傷を負ったため、それにより下半身の病に苦しむ人を救おうと誓ったといいます。そのため子の権現は足腰守護の神仏として知られるようになりました。
子の聖の死後、弟子の恵聖上人が子の聖を大権現と崇め、子の聖大権現社を建立しました。
アクセス
交通
西武秩父線西吾野駅徒歩約90分
地図
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子の権現の境内
子の権現は西武秩父線「吾野」「西吾野」駅より徒歩90分の山道に位置しています。竹寺からは豆口峠経由で2.9㎞となっていますが、私の足だと50分くらいで到着しました。
二本杉
子の聖が開山の際に箸として使った杉の枝を地面に挿し、それが成長したと伝えられていて、樹齢約1000年といわれています。
参道の茶店の奥に鳥居があります。神仏習合の名残でしょうか。
黒門
仁王像
邪悪なものを退治して仏法を護る仁王像です。露座の仁王像は大変に珍しいものです。
本堂
旧本堂が昭和56年に落雷で焼失し、2年後再建されたものです。
閻魔堂
地蔵尊
スカイツリー眺望処の鐘は連打してはいけない
地蔵尊の奥にスカイツリー眺望処があるようなのでさらに登ります。
奥の院
鐘楼
自由に鐘を撞くことができますが、連打は厳禁となっています。
鐘の連打は山火事の合図なのだそうです。
見晴台の標高はスカイツリーとほぼ同じ640mで、天気が良ければスカイツリーを含め、東京湾や筑波山まで見えるそうです。
これは西武ドームでしょうか。
人生初の登山が子の権現だった
かつて東久留米に住んでいた私にとって子の権現は人生で初めて登った山と言ってもいいと思います。小学校1年の夏には四国へ引っ越しているので、恐らく小学校入学前後の時期であることは間違いないようです。男坂と呼ばれる鎖場を通った記憶があるので、正丸駅から登ったのだと思いますが、そんな年齢でよくぞここまで上がってきたものだと思いました。
記憶の中にかすかに残っていた子の権現はもう少し大きかったのですが、大人になって再び来てみると随分と記憶と違っていました。
お骨は骨壷や骨袋に納め、耐久性に優れた厨子にて保管。フロントにて参拝受付を頂きますとお選びいただいた参拝室まで厨子が自動で運ばれます。
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◆徒歩50分の場所にある竹寺の記事
◆子の権現から吾野駅に向かう途中にある浅見茶屋
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