秩父御嶽神社には東郷元帥の銅像や日露戦争の遺品も残されており、御朱印にも「東郷公園」と記されています。本殿に向かって延々と続く368段の階段が特色で、パワースポットとしても注目を集めています。
- 秩父御嶽神社の御朱印
- 秩父御嶽神社の由緒
- アクセス
- 秩父御嶽神社の境内(本殿遥拝所まで)
- 遥拝所から本殿まで延々と続く368段の階段
- パワースポットとして注目の福寿山頂上
- 日露戦争の遺品
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秩父御嶽神社の御朱印
御朱印所
御朱印は一の鳥居をくぐった先の左手にある社務所で頂けます。
初穂料300円
御朱印
神職がお祓い中ということで書置きの御朱印を頂きました。
秩父御嶽神社の由緒
秩父御岳神社は明治27年に百姓の長男であった鴨下清八が創建した神社です。母が危篤となって医者も見放す状態となったため、御嶽教の信徒となって修行したところ奇跡的に回復しました。神徳を信じた鴨下は福寿山を開き、木曽御嶽山を勧請して秩父御嶽神社を創建したのです。
秩父御嶽神社は旧日本海軍元帥で日露戦争の際の連合艦隊司令長官だった東郷平八郎と関係の深い神社でもあります。境内には東郷元帥の唯一生前に建立された銅像があります。
日露戦争における日本海海戦の大勝利により東郷元帥は神のごとき存在となりましたが、全国20カ所以上から出された銅像建立の願いに対し、自身の生前の銅像建立を未だかつてどこにも許していませんでした。そのため秩父御岳神社を開いた鴨下清八は何度も自宅を訪れて銅像建立の許可を求めるだけでなく、東郷元帥と親交のある陸軍予備役中将堀内文次郎を通して説得したといいます。
それ以降秩父御岳神社の境内は東郷公園と呼ばれ、日露戦争の遺品が展示されています。
「悪気退散」「除災招福」のご利益があるといわれています。
アクセス
交通
西武秩父線吾野駅徒歩約25分
地図
秩父御嶽神社の境内(本殿遥拝所まで)
秩父御嶽神社の一の鳥居です。
どうやら豊かな自然に囲まれた神社のようです。
原宿の東郷神社のような姿をイメージしていましたが、予想とはかなり違っていました。ちなみに御朱印所はこちらの左手にあります。
子の権現に奉納されていた巨大な下駄がこちらにもありました。
秩父御嶽神社の境内案内図ですが、途中から一直線に続く階段は一体何でしょう。そうはいっても御朱印のためにはともかく進むしかありません。
いよいよ階段が始まりました。それなりに大変そうな階段ですが、下りの時はここが平らに見えました。
階段が少し急になりました。
東郷元帥の銅像が見下ろしてきます。生前に建てられた唯一のものです。
銅像の横からさらに急になった階段が続きます。
この階段を上がってしばらく進むと嘘のような光景が出現しました。
本殿遥拝所
目の前の壁のような斜面の上を石段が一直線に伸びています。
ここは本殿遥拝処と呼ばれる場所です。
どうやら心が折れてお参りを断念し、ここから本殿を遥拝して帰ってしまう人もいるようです。しかしそれでは「お参りをした証」という御朱印の趣旨に反することになるので、何としても登ると覚悟を決めました。
地獄の階段上り
遥拝所から本殿まで延々と続く368段の階段
全長9.5㎞の山道を歩いてきた後だけに相当きついものがありました。ちょうど鳥居のあたりで早くも両足が悲鳴を上げるような状態となり、一旦途中で小休止です。これまで各地で長い石段は何回も上ってきましたが、途中で止まるなどということなどなかった私にとってこんなことは初めての経験でした。
階段の上に次の階段が見えます。
何とか上りきるとまた次の階段が出現します。
こんな札を見ても何の励ましにもなりません。
残り200段の所から見上げると、上がった先にさらに次の石段が待っていることがわかります。傾斜が急なうえにつま先上がりになっている段がいくつもあり、その度に後ろによろけそうになりました。ここでは手すりをしっかりと握って上らないと危険です。
これが最後であることを願って上ります。
これを見ると少し励みになりました。
どうやらこれが本当に最後のようです。生涯でもっともきつい石段上りとなりました。
パワースポットとして注目の福寿山頂上
本殿
幸の鐘
頂上からの眺望
晴れていればこの地点からスカイツリーが見えるそうです。
さて上ってきたのですから今度は下らなくてはなりません。急な下り階段で体を支えられる自信がなかったため、帰りはもっぱらう回路を利用しました。
日露戦争の遺品
秩父御岳神社の境内は東郷公園と呼ばれ、日露戦争の遺品が展示されています。
水雷
旅順軍港に布設され、日本海軍の進入を防いだ水雷です。旅順港を巡る攻防に際し、連合艦隊は戦艦2隻を触雷で失いますが、それがこの水雷だったのでしょうか。
砲弾
ロシア艦隊主砲の砲弾です。
戦艦三笠の甲板
司令長官が乗る旗艦だった三笠は日本海海戦において艦隊の先頭にいたため敵の砲弾が集中し、甲板がハチの巣状になりました。
三笠は現在横須賀で記念艦として保存されています。
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