今回は横浜の西方寺(さいほうじ)の御朱印をご紹介します。産業道路に面し準工業地帯に隣接した場所に位置していますが、緑に囲まれた境内に江戸時代に建てられた伽藍がきちんと維持されており、周囲とは別世界のような空間となっていました。
西方寺の御朱印
御朱印所
御朱印は客殿の奥にある寺務所でいただけます。
志納金300円
御朱印
ちょうど住職による御詠歌教室の真最中ということで、今回も書置きの御朱印となりました。令和になってこれで3連続の書置きです。
周囲とは別世界だった伽藍
西芳寺は乃木坂46のライブが開催された横浜アリーナのある新横浜から地下鉄で2駅の新羽(にっぱ)駅徒歩5分という場所に位置しています。
私にとって新羽といえばどうしても産業道路に町工場というイメージとなってしまい、実際に行政地図を見ると駅周辺は準工業地域を示す紫色で塗りつぶされています。
しかし実際にお参りしてみると西方寺もまたトラックやバスがひっきりなしに通る産業道路に面していましたが、境内はそのような場所からは切り離され、伽藍と周囲の景観が調和した別世界のような空間となっていました。
平安時代末期に創建された西方寺
西方寺の誕生は鎌倉幕府まだ誕生していない1190年で、現在の極楽寺坂切通しの崖の上の地に創建されたといいます。1259年に忍性が鎌倉に招かれて広大な伽藍を擁する極楽寺を創建するとその内部に移りました。
鎌倉時代末期になると極楽寺坂は鎌倉に侵入しようとする新田義貞軍とそれを阻止しようとする幕府軍の戦場となり、寺も戦禍を被って衰微してしまいます。北条氏が滅亡して足利幕府の時代になると極楽寺も縮小し、西方寺も海路から鶴見川を遡り1495年に現在の新羽に移転しました。
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アクセス
交通
横浜市営地下鉄ブルーライン新羽駅徒歩約5分
地図
西方寺の境内
山門
茅葺屋根の四脚門という大変に珍しい門で、江戸時代末期の1844年ごろに建てられたものです。派手さはありませんが、「只者ではない」という雰囲気を醸し出しています。
鐘楼堂
1708年に建てられたものです。当時の梵鐘は先の大戦中に出された金属供出令により供出してしまい、現在の梵鐘は昭和五十年に再鋳されました。
本堂
1721年に建てられたもので、平成の大修理によって屋根が茅葺きになり江戸時代の姿に復元されました。
観音堂
西方寺が鎌倉から移転してくる以前からこの地にあった十一面観音像を祀っており、「子宝安産」「治水」のご利益があるといわれています。平安時代後期である12世紀頃の特色が顕著な仏像で、12年に一度、子年の春に公開されます。
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