御朱印とうどんを極めたい!!

思うところがあってブログタイトルをリニューアルしました。今後とも一層の御贔屓をお願い申し上げます。

〖鋸山〗日本寺の2種類の御朱印と圧巻の迫力だった大仏と百尺観音

日本寺では2種類の華麗な書体の御朱印を頂けます。石材の産地として知られた鋸山全体を境内としており、岩を削って彫り出した大仏や百尺観音の迫力は圧巻でした(2022年8月13日改定)

御朱印は2種類頂ける

御朱印所

御朱印所である大仏広場の授与所

日本寺の御朱印は大仏広場の授与所で頂けます。こちらでは「大悲圓通閣」と記された御朱印の他に、「薬師瑠璃光如来」と記された東国花の寺百ヶ寺霊場の御朱印も頂けます。

志納金

300円(御朱印帳あり)

400円(御朱印帳なし)

御朱印

歴史ある寺院にふさわしい、日本寺の華麗な書体の御朱印

今回は「大悲圓通閣」の御朱印のみ頂きました。歴史ある寺院にふさわしい華麗な書体の御朱印です。

我が国の国名を寺号とする寺院

日本寺は千葉県を代表する観光地である鋸山全体を境内とする曹洞宗の寺院で、我が国の国名を寺号とする歴史の深い寺院です。

東大寺の造立で名高い行基により「日本国の平和と繁栄を祈る寺」として725年に開かれたとされており、その際に聖武天皇より「日本寺」と書かれた勅額が下賜されました。最盛期には七堂十二院百坊を有する規模を誇り、良弁、空海、慈覚といった名僧が滞在したという記録が残されています。

その後に日本寺は一旦は荒廃しますが、源頼朝が鎌倉幕府を開くとすぐに復興に力を尽くし、鎌倉後期から南北朝時代にかけての動乱期が終わると今度は足利尊氏の支援を受けました。また江戸時代後期の1779年から1798年にかけて石工・大野甚五郎英令と門弟27人が1553体の石仏を刻んで境内に安置し、これらは千五百羅漢像として現在まで残されています。

明治になると神仏分離令に基づく廃仏毀釈の影響を受け、また昭和14年には火災により堂宇や国宝級の寺宝をことごとく焼失してしまいました。現在では登山者の失火とされていますが、実際は寺で開催された宿泊研修に参加した者のたばこの不始末が真相のようです。

南房総安房地域の日刊紙 房日新聞: 企画・エッセイ

日本寺へのアクセス

都内からは東京湾フェリーが便利

久里浜の東京湾フェリー

どのようなルートを利用するにせよ日本寺をお参りするにはまず金谷に着かなければならず、都内の方の場合は久里浜から東京湾フェリーを利用するのが便利です。

東京湾フェリーの後部甲板からの眺め

久里浜から金谷まで約40分の快適なクルージングが楽しめます。

海から見た富士山

海から見た富士山というのもなかなかいいものです。

表参道

日本寺に表参道から入る場合は内房線の保田駅が最寄です。

保田駅からの眺望。山の上にロープウェイの山上駅

稜線上に小さく見える白い点がロープウェイの山上駅で、最終的にはここまで登らなければなりません。

すれ違う人もまばらな道

すれ違う人の姿もまばらなこのような道をひたすら歩きます。

案内看板

駅に置いてあったエリアマップは大雑把すぎてほとんど参考にならず、案内看板だけが頼りでした。

表参道の入口

表参道の入り口です。

鋸山ロープウェイ

鋸山の山麓と山上を結ぶロープウェイ

鋸山を訪れる場合はロープウェイを利用するのが一般的です。

ロープウェイのゴンドラから見た麓駅

ロープウェイの山上駅

山麓駅から約5分の空中散歩で楽に山上駅まで到着します。

東京湾周辺の名所

www.goshuinbukuro.com

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日本寺の境内

日本寺公式HPでは境内は5つのエリアに分けられています。

通行止め区間を示す地図

令和元年9月に千葉を襲った台風15号の被害により、令和2年2月時点で赤線を引いた部分が通行止めとなっています。

※公式HPによると復旧したようです。

表参道エリア

弘法井

大木の根元に湧く弘法井

弘法大師井戸が金剛錫で突き刺したら水が湧き出たという伝説の井戸で、今でも水をたたえています。

仁王門

階段の上にある仁王門

元禄時代の1694年築です。

仁王門の左手の金剛力士像

仁王門の右手の金剛力士像

阿と吽の金剛力士像は中尊寺や浅草寺の開山として知られる慈覚大師作として伝えられています。

観音堂

一部ブルーシートで覆われている観音堂

1700年の建物です。

心字池

「心」をかたどった形である心字池

「心」をかたどった形であることから名付けられました。

中腹エリア

頼朝蘇鉄

頼朝蘇鉄

石橋山の戦いで大敗した源頼朝は房総半島に逃れて再起を図り、必勝祈願で日本寺をお参りしています。その際に頼朝自ら手植えした蘇鉄だとされています。

乾坤稲荷

乾坤稲荷の鳥居と洞

薬師本堂

本尊の薬師瑠璃光如来像を祀る薬師本堂

昭和14年の大火によって焼失し、平成19年に再建されました。本尊の薬師瑠璃光如来像が安置されています。

大国堂

石段の上に建つ大国堂

昭和14年の大火によって焼失し、平成17年に再建されました。弘法大師作と言われる大黒天が祀られています。

印象深かった大仏広場

大仏

1783年に大野甚五郎英令が27人の門徒と3年かけて彫刻したもので、自然の風雪による崩壊で荒廃しましたが、昭和41年に4カ年にわたって修復されました。

高さが31.05mの大仏

高さが31.05mで13.35mの鎌倉大仏、18.18mの奈良の大仏と比べてもはるかに巨大で、柔和な表情と相まって印象深いものがありました。(単純な高さ日本一は120mの牛久大仏)

お願い地蔵尊

お願い地蔵尊

様々な願いがかなえられると尊崇を集めており、小さなお地蔵様が無数に奉納されていました。

台風被害が甚大だった羅漢エリア

立ち入り禁止エリアの案内看板

令和元年9月に千葉を襲った台風15号の被害は甚大で、約5カ月経過した時点でも羅漢エリアの大半は立ち入り禁止となっていました。

※公式HPによると復旧したようです。

大仏広場から山頂エリアまでの階段

大仏広場から山頂エリアまでの間はひたすら階段を上がらなければなりません。

通天関

とんでもない上り階段の途中にある通天関

通天閣ではありません。大仏から山上展望台へ続くとんでもない上り階段の途中にあります。

西国観音

洞窟内に多くの石仏が並ぶ西国観音

百尺観音の迫力が圧巻だった山頂エリア

山頂展望台

山頂展望台

地獄のような階段を上りきるといきなり空が開け、山頂の展望台が登場します。

山頂展望台からの東京湾の眺望

こちらからはまさに東京湾を一望する眺望を楽しむことができます。(うっすらとですが六本木ヒルズやレインボーブリッジまで見えた)

富津市の東京湾観音

富津市の東京湾観音もくっきりと見ることができました。

地獄のぞき

地獄のぞきに並ぶ人々

山の下から見上げた地獄のぞき

こちらは鋸山で最も有名なスポットではないでしょうか。

地獄のぞきの下り傾斜と手摺

私は別に高所恐怖症というわけではありませんが、ここまでくると股間が縮こまるような感覚がありました。

地獄のぞきの真下

真下を見下ろすとこんな感じです。

百尺観音

昭和35年から6年の歳月をかけて石切場跡に彫られたもので、航海、航空、陸上交通の安全を守る本尊として崇められています。

石切場跡に彫られた百尺観音

タリバンに破壊されてしまったバーミヤン大仏を思わせるものがあり、この巨大な彫刻がいきなり目の前に出現すると迫力に圧倒されるものがありました。大仏よりも印象深かったように思います。

台風15号の傷跡が生々しかった

昨年9月に関東地方を襲った台風15号は特に千葉県に甚大な被害をもたらしましたが、約5カ月が経過して私自身はそのことをすっかり忘れておりました。

屋根をブルーシートで覆った家

金谷周辺を歩いていると屋根をブルーシートで覆った家が数多くあり、災害がまだ全然終わっていないことを思い知らされました。屋根瓦が飛ぶなどの被害を受けた家があまりにも多く、一方で業者が不足しているため修理を依頼しても1年待ち、2年待ちという状況のようです。

だからと言って私にできることなど何もありませんが、少なくともこのことをしっかりと記憶しておきたいと思います。

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