茂林寺では「本尊釈迦牟尼仏像」と「分福」の2種類の御朱印を頂けます。「分福茶釜」ゆかりの寺であり、巨人軍初Vの原点となった伝説の地としても知られています。
御朱印は2種類頂ける
御朱印所
茂林寺の御朱印は本堂横の受付で頂けます。こちらでは「本尊釈迦牟尼仏像」と「分福」の2種類の御朱印を頂けます。どちらも書置き対応でした。
受付時間9:00~16:00
志納金300円
御朱印
本尊釈迦牟尼仏像
分福
過去に頂いた御朱印
平成28年10月19日付です。
「分福茶釜」ゆかりの茂林寺
茂林寺の開山は大林正通で、1426年に館林に小庵を建て、1468年に正通に深く帰依した赤井正光が現在の地に堂宇を建立したのが始まりです。正通が館林を訪れた際に同行していたのが「茂林寺の釜」の話の中心となる守鶴和尚です。
1570年に茂林寺で千人法会が催された際、大勢の来客を賄う湯釜が必要となりました。その時、守鶴が持ち込んできた茶釜は、不思議なことにいくら湯を汲んでも尽きることがありませんでした。守鶴はこの茶釜を福を分け与える「紫金銅分福茶釜」と名付け、この茶釜の湯で喉を潤す者は、開運出世・寿命長久等、八つの功徳に授かると言います。
あるときに守鶴が昼寝をしている様子を別の僧が覗くと、股からタヌキの尾が生えていて、正体がばれてしまいました。不思議な茶釜も狸の術によるものだったのです。
正体を知られた守鶴は寺を去ることを決意し、最後の別れの日、守鶴は幻術により屋島の戦いや釈迦の入滅を人々に見せたといいます。
アクセス
交通
東武伊勢崎線茂林寺前駅徒歩約7分
たぬきが名物の茂林寺だけあり、寺が面した道路にはこのような標識がありました。
地図
近隣の寺社
たぬきだらけの境内
寺号標
茂林寺の参道には小さいながらも土産物屋が連なっています。
商品としてはやはりたぬきということになります。ただし商売になっているかどうかはわかりません。
惣門
1468年に建立されたもので、黒門とも呼ばれています。
たぬき像
総門から続く参道には合計21体のたぬき像が並び、参詣客を出迎えています。
山門
赤門と呼ばれる山門で、1694年に建立されました。見る者を圧倒する迫力がありました。
聖観音像
上野国館林村大窪荘の高瀬善兵衛の娘が元禄元年(一六八八)病没し、その供養の為に江戸神田鍋町の太田久右衛門(藤原正儀)が鋳造し、高瀬善兵衛が元禄三年三月二二日に寄進したものです。
守鶴堂
茂林寺では「茂林寺の釜」の話の中心となる守鶴を崇啓しており、守鶴堂をたててこちらに祀っています。
本堂
1468年に建立されたもので、本堂内の一室には守鶴和尚が持ち込んだという茶釜が保存されています。
山門と本堂は大変に印象的でした。北関東のそれほど目立たない田舎町にこれだけ見事な建築物があったことに驚かされました。
強運の象徴であるたぬき
分福茶釜は江戸時代の昔話です。昔話には様々な動物が登場しますが、「カチカチ山」を例外としてタヌキは大抵善人として扱われています。
タヌキは「他を抜く」として縁起物とされ、信楽焼のタヌキの置物は強運の象徴とされています。
不屈のG魂誕生の地
少年時代に熱烈な巨人ファンであった私にとって(現在は全然違う)、茂林寺と言えば創設間もない東京巨人軍(現読売ジャイアンツ)が猛練習をした場所というイメージがあります。
1936年(昭和11年)9月5日から茂林寺前駅のすぐ西側にあった分福球場で行われたキャンプは「茂林寺の反吐吐き練習」と言われ、巨人軍初Vの原点となった伝説のキャンプとされています。
茂林寺前駅の隣の館林駅の駅前には「不屈のG魂誕生の地」と刻まれた石碑が建てられています。
「巨人軍の歴史に燦然と輝く伝説の球場が館林駅から一つ南の茂林寺前駅の西側にあった。昭和十一年九月五日からの秋季キャンプは血のにじむ地獄のキャンプと言われ、「暁の千本ノック」で徹底的に選手を鍛え直し、巨人軍初Vの原点となった「球場」としていまも語り継がれている。七十三年前、巨人軍の歴史に一度だけ強烈に登場し今は完全に姿を消した、伝説とロマンの「分福球場」を館林市民として後世に語り継ぐことは多くの野球少年に夢と希望を与えるものである。ここに巨人軍七十五周年を記念し、当時の巨人軍選手の偉業を讃え記念碑を建立する。」と記されています。
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