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〖中目黒〗正覚寺の御朱印と日蓮宗の意外な歴史

今回は中目黒の正覚寺の御朱印をご紹介します。山手通りと駒沢通りが交差する交通の要所に位置しており、広大な敷地に堂々たるお堂が立ち並ぶ大寺院です。

正覚寺の由緒

正覚寺は1619年に創建された日蓮宗の寺院です。仙台の伊達家との関係が深く、4代藩主綱村の生母である三沢初子が本寺住職4世日猷、5世日登両上人に深く帰依し、客堂や庫裡等は初子の邸宅が寄進されて建てられたといわれています。

創建当初は碑文谷法華寺(現在の円融寺)の末寺でしたが、元禄の頃発生した不受不施問題により天台宗に改宗したことから本山を身延山久遠寺に改めています。

東横線中目黒駅徒歩4分で、山手通りと駒沢通りが交差する交通の要所に現在でも広大な寺領を構える寺院です。

日蓮宗の意外な歴史「不受不施問題」とは

不受不施派は日蓮宗の一派で、日蓮宗の協議である法華経を信仰しない者からの布施は受けないし教えを説くこともしないというという思想が特徴となっています。

1959年に豊臣秀吉が方広寺大仏殿千僧供養会を実施する際に仏教の各宗派に出仕を命じますが、このとき日蓮宗は出仕を受け入れ宗門を守ろうとする受布施派と出仕を拒む不受不施派に分裂します。

両派の間では激しい論争が繰り広げられますが、時の支配者側にとって都合の悪い不受不施派は以後徹底的に弾圧され、江戸時代末期に至るまでキリスト教と並んで禁制宗派とされました。不受不施派は「不受不施派寺請禁止令」などにより幕府から受布施派になるか天台宗に改宗するかを迫られたといいます。

弾圧下においても秘かに信仰を守ってきた一定数の信者がおり、明治9年に日蓮宗不受不施派が明治政府に宗派再興を許可された際には信者が2~3万人存在していたとされています。

日蓮の教えの元に一致結束というイメージのあった日蓮宗ですが、意外な歴史がありました。

正覚寺の御朱印

御朱印所

本堂右手にある寺務所
御朱印は本堂右手にある寺務所でいただけます。

志納金 お気持ちで。(書置きだったからかもしれない)

御朱印

「南無妙法蓮華経」のお題目を書いた御朱印お昼で担当者が外出中だったため書置きとなりました。御首題帳ではなかったのですが、「南無妙法蓮華経」のお題目を書いた御朱印を頂きました。

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正覚寺の境内

表門

表門山手通りに面しています。

本堂

本堂

祖師堂

祖師堂11代将軍徳川家斉が江戸城中で深く帰依していたという日蓮聖人木像が安置されています。

鬼子母神堂

鬼子母神堂伝教大師作と伝えられている鬼子母神像が祀られていますが、現在は改修工事の真っ最中でした。

三沢初子像

三沢初子像正覚寺の開基である三沢初子像は昭和9年に建立されました。

御成門

御成門駒沢通りに面しており、全盛時の姿を思わせるまことに堂々たる門です。

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