酒と車と御朱印の日々

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【御朱印】龍口寺は江ノ電で最もスリリングなカーブの横に建っている

江ノ電に乗っていて最もスリリングな区間は腰越から先の路面電車区間ですが、その中でも江の島駅に入る直前に交差点をカーブしながらクロスする区間は電車の側だけでなく車にとっても特にスリリングな場所になります。この重要な交差点に面して建っているのが龍口寺です。

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この場所はもともとは龍ノ口法難で日蓮が処刑されかかった場所でした。

日蓮は法華経のみを正法とし、国に災いが絶えないのは人々が法華経を信じず浄土宗などの「邪宗」を信じているからだと仏教の他の宗派を攻撃していました。1271年には極楽寺の良寛坊忍性と「負けた方が相手の弟子になる」という無茶な条件で雨乞い対決をして圧勝しますが、これによりさらに他宗派からの恨みを買うことになります。

敗れた良寛坊忍性は幕府要人に取り入って様々な画策をするのですが、幕府も「立正安国論」の中で日蓮に批判されていたこともあり、日蓮を逮捕し龍ノ口の刑場で処刑しようとしました。しかし処刑は直前で中止となり、最終的に日蓮は佐渡に流されることになります。

 

日蓮の死後の1337年、弟子の日法がこの地を法難の霊蹟とし、自作の日蓮の像と刑場で座らされていた石を祀ったのが龍口寺の起源とされています。

 

刑場の跡地になります。

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鎌倉時代の初期から名前が登場する刑場ですが、戦の後の首実検もこのあたりで行われたと言います。義経の首も腰越で検分されたといいますから、ここで首実検が行われたのかもしれません。元寇に際し、元からの降伏勧告の使者を処刑したのもこの刑場でした。

 

龍口寺の入り口にあたる仁王門です。

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1864年建立の山門です。

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1601年にこの地の住人で日蓮宗の篤い信者だった島村采女が土地を寄進し、それにより諸堂が整って本格的な寺としての体裁が整いました。

 

1832年建立の大本堂です。日蓮の像と敷皮石を安置していることから敷皮堂とも呼ばれています。

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明治43年建立の五重塔で、神奈川県内では唯一の木製の五重塔です。(川崎大師の五重塔はコンクリート製のようです)

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日蓮宗の寺院では御朱印は「御首題」といい「南無表法蓮華経」と独特な書体で書きますが、これはあくまで法華経に対する信仰の証となります。そのため原則として頂けるのは日蓮宗の寺院の御首題のみの「御首題帳」に対してだけであり、それ以外の宗派の寺院や神社の御朱印が入っている場合は「妙法」という御朱印を頂けます。

ただしこれはあくまで原則であり、実際は書き手の方の考え方次第という事です。私の場合は既に他の宗派も混ざっているので御首題ではなく御朱印になります。昨年の8月に大本堂の中で頂きました。

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日蓮宗特有の書体の御朱印を頂きました。

 

◆刑場の連行される日蓮にぼたもちをふるまった常栄寺(ぼたもち寺)の記事 

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◆一生に一度は行ってみたい「お伊勢参り」の記事

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