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〖御朱印〗満福寺は頼朝と義経の最初の攻防の地だった

今回は腰越の満福寺の御朱印をご紹介します。

こちらをお参りして御朱印を頂いたのは当ブログを立ち上げる直前の昨年8月でした。いつかご紹介しようと思っていたのですが、昨日同じ腰越の小動寺をご紹介しましたので、今日がちょうどいいタイミングだと思います。

 腰越は京都から鎌倉入りする際の重要なルート上にあり、古来より宿場町として繁栄した街ですが、現在では江ノ電が専用軌道から路面電車区間になる場所として知られています。

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満福寺は真言宗の寺院で744年に聖武天皇の勅命で行基が建立したと伝えられています。

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行基は後に東大寺の大仏造営の実質的な責任者となるほどの高僧ですが、東国で流行していた疫病を抑えるためにこの地で薬師如来像を刻んでお祀りしました。

 

御霊神社と同様に山門の直前に江ノ電の線路が敷かれています。

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満福寺の山門です。

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満福寺の本堂です。

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満福寺は源義経ゆかりの寺として知られています。1185年に源平合戦において活躍した源義経は、念願の平家討滅を成し遂げたにも関わらず兄である頼朝から鎌倉入りを拒絶されこの地で足止めされます。腰越滞在中に義経一行が宿舎としたのが満福寺でした。

この時に兄である頼朝に対して自分の心情を綴った手紙が有名な腰越状ですが、それを書いたのもここ満福寺です。

 

「義経・腰越状」の石碑です。義経が口頭で書状の中身を伝え、弁慶がそれを書き写すというシーンです。

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弁慶の腰掛石です。弁慶の出身地である和歌山県田辺市にもこういったものがあるようです。

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弁慶の手玉石です。怪力と言われた弁慶が手玉に取った石のようです。

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腰越状についてはWikipediaに全文が現代語訳されて掲載されているので今回じっくりと読んでみましたが、自分の勲功を誇り勘気を被っていることに対する不満を綴っている内容で、頼朝が自分のどこに怒っているのか全く理解できていないように思いました。

 

一の谷の戦いの後京都滞在中に義経は後白河法皇より左衛門少尉、検非違使に任じられましたが、頼朝の許可なく官位を受けたことはまだ官位を与えることが出来る地位にない頼朝の存在を根本から揺るがすものでした。

また義経の性急な壇ノ浦での攻撃で、安徳天皇や二位尼を自害に追い込み、朝廷との取引材料と成り得た宝剣を紛失したことは頼朝の戦後構想を破壊するものでした。

そして主として西国の武士団を率いて戦果をほぼ独り占めしてしまうような勲功をあげてしまったことは、頼朝の権力基盤である東国武士団の不満を噴出させてしまうものだったのです。会って話せばわかってもらえるというようなものではありません。

 

義経は軍事においては天才的作戦家でしたが、それしか能のない男であったという事でしょう。京都に帰るよう命じられると「関東に於いて怨みを成す輩は、義経に属くべき」という捨て台詞を残したそうですから、頼朝が怒るのも無理はありません。満福寺は頼朝と義経の最初の攻防の地であったと言ってもいいでしょう。

ちなみに満福寺には腰越状の下書きと言われるものが残っているそうです。

 

その後の義経は様々な経緯を経て最終的に平泉の藤原秀衡にかくまわれるのですが、秀衡の死後後を継いだ泰衡に襲われて現在の高館義経堂の地で自害しました。その首は鎌倉に送られて首実検されたのち、藤沢の白旗神社に御祭神として祀られたということです。

 

御朱印は寺務所で頂けます。

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美しい筆跡の御朱印を頂きました。

 

◆義経が最後に頼った奥州藤原氏の栄華を今に伝える中尊寺の記事

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◆義経最期の地である高館義経堂の記事

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◆同じく目の前を江ノ電が走る御霊神社の記事

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