大須観音として有名な北野山真福寺宝生院では力強く「大悲殿」と記した御朱印を頂けます。日本三大繁華街にある日本三大観音の一つで見どころが多く、名古屋で必見の観光スポットとなっています。
大須観音の御朱印
御朱印所
大須観音の御朱印は本堂内右側の階段を下りた場所にある寺務所で頂けます。
志納金 300円
御朱印
大変に力強い書体で「大悲殿」と記されています。
日本三大観音の一つである
大須観音(おおすかんのん)は名古屋を代表する繁華街のシンボル的存在の寺院で、私も名前だけは昔から知っていました。名古屋市中区大須にある大須観音ですから古くからこの地にあった寺院だと思っていたのですが、実は現在の岐阜県羽島市桑原町大須が発祥の地で、後醍醐天皇により岐阜に創建された北野天満宮の別当寺として1333年に創建された真福寺と塔頭の宝生院が起源となっています。
江戸時代になると名古屋城の築城のため徳川家康により名古屋の大改造が行われます。1610年に万松寺が現在の地に移転したのに続き、宝生院も1612年に現在の地に移転しました。大須観音が移転してきたのでこのあたりの地名が大須となったといいます。
1815年には五重塔が建てられますが1892年に発生した火災により本堂、五重塔と仁王門を焼失してしまいます。本堂と仁王門は再建されますが、先の大戦における名古屋大空襲により大須は焦土と化してしまいます。戦後に仮の本堂と仁王門が建てられますが資金難により正式な本堂の再建は大幅に遅れ、1970年になってようやく実現しました。
現在では浅草の浅草寺、三重の津観音とともに日本三大観音の一つとされています。
アクセス
交通
地下鉄鶴舞線大須観音駅徒歩約1分
名城線上前津駅徒歩約7分
地図
見どころの多い境内
境内図
仁王門
本堂
本尊である聖観音を祀る大悲殿です。
正面には観世音と書かれた大きな提灯が吊るされていました。
普門殿
十二支・干支の守り本尊様を祀るお堂です。
紫雲殿
奉納された九万九千観音様を祀っています。
鐘楼堂
1966年によい子たちの成長を祈る「母の愛」の鐘として、地元婦人会を中心とした女人のみの寄進で鋳造されました。高さ二m・重量1500㎏・直径1mで、毎朝6時に撞かれています
シャッター商店街から見事に復活した稀有な事例
徳川家康による名古屋城の築城と城下町の整備により大須周辺には大須観音や万松寺など多くの寺社が集められ、そうなると参詣者を相手にした商店・宿屋・芝居小屋も多数開かれることになります。それに加えて幕末から明治にかけては遊郭も置かれて大変に栄えますが、1982年の大火により衰退しました。
1912年に万松寺が寺領の山林の大部分を商業地として開放したことで周辺には商店街や劇場、演芸場、映画館などが多数つくられ、大須は再び繁栄します。東京の浅草や大阪の千日前と並んで日本三大繁華街と称されるほどだったといいますが、今度は1945年の大空襲により壊滅的な被害を受けました。
戦後は名古屋駅周辺や栄に人が集まったのに対して大須は発展から取り残されて衰退し、人通りも激減します。「シャッター商店街」の問題が顕著になってきたのは全国的には1980年代後半からと言われていますが、大須では1965年頃に既に発生していました。
こうした状況に危機感を抱いた多くの人々の努力と地下鉄の開通によるアクセスの向上で大須にみたび客足が戻りました。
現在ではアメ横や築地の場外市場並みの賑わいとなっており、寂れ切った状況から見事に復活した全国でも稀な商店街となっています。
大須観音には大須観音通りと大須仁王門通りという二本の商店街が通じています。
こんな案内看板は他では見たことがありません。
大須観音通りは中京地区唯一の常設の寄席である大須演芸場にも隣接しています。
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