調布の國領神社では寺社名の書かれた印章を押す「版木押し」タイプの御朱印を頂けます。もともと多摩川の畔にあった神社が別当寺の移転により移されてきたもので、境内には「ちょうふ八景」のひとつである「千年の藤」があり、毎年四月下旬の見頃になると大変に賑わいます。
國領神社の御朱印
御朱印所
御朱印は社殿に隣接した社務所でいただけます。
受付時間9時~12時 13時~16時
志納金500円
御朱印
国領神社の御朱印は寺社名の書かれた印章を押す「版木押し」タイプです。時期に応じてこれ以外にも様々な種類があるようです。
開花期には大変に賑わう千年の藤
大きな藤棚が組まれた藤は「千年乃藤」と呼ばれる御神木で、神明社が遷座してきた時には既にあったということなので樹齢4~500年と見られています。現在では「ちょうふ八景」のひとつになっており、4月の下旬頃には花を咲かせます。
國領神社の由緒
最寄り駅は国領ではなく布田
「国領」といえば京王線ユーザーにとってはおなじみの駅で、布田・調布とセットで考える方も多いのではないかと思います。国領神社は調布市国領1丁目に位置しており、「国領」とはいうものの最寄り駅は国領駅ではなく布田駅です。
調布という地名が古代の税制であった租庸調に由来しており、その土地の特産物を納める「調」で布を収めていたことからつけられたということは比較的よく知られていることではないかと思います。これに加えて「布」の生産が盛んな土地であったことから「布の田んぼ」ということから「布田」という地名が生まれ、武蔵国の国司が管轄する領地であったことから「国領」という地名が誕生しました。
付近を流れる多摩川は江戸時代くらいまで布をさらす場所として使用されており、そのことがこの地域に大きく影響したと考えられます。
不動産の営業をしていた時代に何度も来たエリアですが、地元の地主が空き地を活用して建てた沈滞住宅が多かったような印象があります。
これまで移転を繰り返してきた
現在の国領神社は現在よりずっと南の多摩川の畔に起源をもつ第六天社と神明社という2つの神社が様々な事情により昭和38年に合祀されて誕生した神社です。この地域には鎌倉時代に創建され壮麗な諸堂を持つ常性寺があり、神仏混交の時代には2社ともこの管轄下にあり、江戸時代初期に常性寺が甲州街道沿いに移されると第六天社は八雲台小学校の反対側の都営アパート付近、神明社は現在の社地に移されました。
第六天神社は明治の神仏分離令により常性寺より独立し、明治8年に国領神社と改称してそれ以降国領の鎮守となります。
戦後になって国領神社の社地周辺で都営住宅の建設計画が持ち上がり、そのため国領神社は社地を売却して昭和38年に神明社境内地に新たに社殿を造営し、神明社を合祀して新たな國領神社として現在に至っています。
アクセス
交通
京王線布田駅徒歩約4分
地図
國領神社の境内
大鳥居
甲州街道に面した北向きの神社となっています。
神輿舎
拝殿
本殿
境内社
いずれも稲荷社(祭神・宇迦之御魂神)の小石祠で、左がカサモリ稲荷、右が八雲稲荷(荻窪稲荷)。
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