南禅寺の御朱印は書置きが1種類のみです。境内の水路閣は余りにも有名ですが、その上を流れる琵琶湖疎水を見たことある人は多くないのではないでしょうか。
御朱印は書置き
御朱印所
南禅寺の御朱印は方丈内の売店で頂けます。こちらでは1種類の書置き御朱印を頂けます。
受付時間
8:40~16:30(12月1日~2月28日)
8:40~17:00(3月1日~11月30日)
志納金 300円
御朱印
南禅寺の御朱印は書置き対応でした。
オリジナル御朱印帳
南禅寺では無地朱印帳と群虎図朱印帳の2種類の御朱印帳を扱っています。
価格1300円~1700円
南禅寺の歴史
第90代亀山天皇が1260年に造営した離宮に上皇になって以降の1287年持仏堂を建立し、南禅院と名付けたことが南禅寺の起源とされています。
1291年に離宮全体が寺に改められて禅林善寺となり、伽藍が整備されると南禅寺と改められました。
1334年に後醍醐天皇は南禅寺を臨済宗の寺院の第一位に格付けします。しかし室町幕府の時代になると足利義満は「別格」として南禅寺を五山の上に置き、さらに五山を京都五山と鎌倉五山に分けました。
その後は火災による主要伽藍の焼失と再建を繰り返しますが、応仁の乱における市街戦により1467年に伽藍が全焼した際は再建もままならず、復興が進んだのは17世紀に入ってからです。
明治になって以降の1888年に琵琶湖疎水を通すための水路閣が建設され、昭和になった1937年には将棋の坂田三吉・木村義雄による「南禅寺の決戦」の舞台となりました。
アクセス
交通
地下鉄東西線蹴上駅下車徒歩約10分
地図
◆南禅寺徒歩圏にはうどんの超名店が集まる
境内の見どころ
寺号標
「南禅寺前」交差点に面しており、ここから南禅寺の門前まで湯豆腐の店が並んでいます。
「南禅寺前」交差点では琵琶湖疎水の重要ポイントである「インクライン」の全体像を見ることができます。
境内案内図
中門
1601年に勅使門として寄進されたものです。現在の勅使門を拝領したことで現在地に移されました。
勅使門(重要文化財)
1641年に明正天皇より御所の「日の御門」を拝領し、移築してきたものです。
三門(重要文化財)
もともとの三門は1447年の火災で焼失してしまい、現在の建物は1628年に藤堂高虎により寄進されたものです。東福寺・身延山久遠寺と並んで「日本三大門」の一つともいわれています。※「日本三大門」については諸説あり、東大寺南大門・法隆寺南大門・日光東照宮陽明門という声もあるようです。
三門の楼上からは境内と京都市街を一望できます。かつて石川五右衛門が「絶景かな!絶景かな!」という科白を残したという伝説がありますが、三門が完成したのは五右衛門が釜茹でで処刑された30年後です。
法堂
豊臣秀頼が再建した建物は1895年に焼失してしまい、現在の建物は1909年に再建されたものです。
本尊の釈迦如来坐像を祀り、天井には仏法の守護神である龍が描かれています。
方丈(国宝)
16世紀末に豊臣秀吉によって建てられた旧御所の建物を1611年に下賜されたもので、各室に桃山時代の狩野派による障壁画があります。
また方丈庭園は江戸時代の代表的な枯山水庭園です。
小方丈庭園は心を表現して作庭されたとされ、「心」字型に庭石が配置されています。
六道庭は天上・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄の輪廻転生し続ける仏教の世界観を表現しています。
水路閣と上を流れる琵琶湖疎水(動画有)
琵琶湖疎水を通すための水路として1888年に建設されました。当初はもっと南側をトンネルで通す計画でしたが、亀山法皇廟所の裏を通ることになるため南禅寺が反対し、現在の形を取ることになったといいます。疎水ができたことにより、京都の庭園の主流は枯山水から水を引き込んだものに変わっていきました。
水路閣のレンガ造りの堂々たる姿は多くの人に知られていることは間違いありませんが、実際にどのように水が流れているか見たことがない方も多いのではないでしょうか。
水は境内の南から北へ流れ、トンネルの中へ消えていきます。
水の流れは意外なほどゆっくりしていました。
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