困ったときこそ酒と神様

日産スタジアムや東京ドームが浅草寺・増上寺なら神宮球場は法隆寺のようなものです。こういう建物は残さなければいけません。

〖アクセス〗鰐淵寺の御朱印と僧兵で栄えた歴史・浮浪の滝

出雲の鰐淵寺(がくえんじ)では書置きとはとても思えぬ格調高い御朱印を頂けます。かつてはこちらで修行した多数の僧兵を抱えた出雲有数の勢力でしたが、現在ではひっそりとした寺院となっています。武蔵坊弁慶も修行したという浮浪の滝は水量こそ少ないものの神秘的雰囲気に包まれています。

鰐淵時の御朱印

御朱印所

鰐淵寺の御朱印所である拝観受付

鰐淵時の御朱印は大慈橋を渡ってすぐの場所にある拝観受付で扱っています。全て書置き対応のようでした。

志納金300円

御朱印

鰐淵寺の御朱印

単なる書置きとはとても思えぬ格調高い御朱印です。

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鰐淵時で修行した僧兵で栄えた歴史

鰐淵時は出雲にある天台宗の寺院で、YAHOO検索で「鰐(わに)」と入れると2番目に登場するくらい知名度の高い寺院です。

寺伝によれば鰐淵寺の創建は594年で、信濃の僧であった智春上人が推古天皇の眼病治癒をこの地で祈ったところ叶ったということで、勅願により建てられました。浮浪の滝で修行をしていた智春上人が誤って仏器を滝つぼに落としてしまい、それを鰐が返したことから鰐淵寺と呼ばれるようになったとされています。

広大な寺領を所有し、さらに寺で修行した多数の僧兵を抱えることで鰐淵寺は出雲有数の勢力となり、平安時代末期の1151年に松江で生まれた武蔵坊弁慶も18歳からの3年間をこちらで修行をしました。

戦国時代の尼子氏と毛利氏の争いでは一貫して毛利氏を支持し、そのため毛利元就から手厚い保護を受けて勢力を維持しますが、豊臣秀吉による刀狩により僧兵が力を失って衰退し、現在は神秘的な雰囲気に満ちたひっそりとした寺院となっています。

アクセス

交通

出雲大社より車で約30分。

韓竈神社の御朱印を扱っている鰐淵コミュニティーセンターの横の道をひたすら山奥に上がった先に鰐淵寺駐車場があります。

駐車場に設けられた案内板

駐車場からさらに徒歩約10分の距離です。

参道沿いの清らかな流れ

清らかな流れに沿った道を進むと仁王門があります。

地図

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鰐淵寺の境内

仁王門

鰐淵寺の仁王門

両側に阿と吽の仁王像が安置されています。

大慈橋

大慈橋

境内は仁王門から見て川の対岸となるため、橋を渡らなければなりません。

石段

根本堂まで続く石段

拝観受付を済ませると根本堂まで長い階段を上らなければなりません。

武蔵坊弁慶が上がった石段

かつてこちらで修行をした武蔵坊弁慶が釣鐘を担いで上がったという伝説が残されています。

根本堂

正面から見た根本堂

鰐淵寺は毛利元就の手厚い保護を受けた寺院で、大変に印象的な根本堂もこの時代の建物です。

斜め前から見た根本堂

天正5年(1577年)建立の棟札が残されています。

鰐淵寺と記された扁額

「鰐淵寺」と記された根本堂の扁額です。

銅鐘(重要文化財)

重要文化財の銅鐘

壇ノ浦の戦いで平家を滅ぼしたのちに弁慶は出雲に戻り、その際に鳥取の大山寺で僧侶に「梵鐘を担ぐことができたら与えてもよい」と言われます。僧侶はいかに怪力の弁慶でも梵鐘を担ぐことはできないと思ったのでしょうが、弁慶は天秤棒の先に鐘を下げ一夜のうちにこの鰐淵寺に運んでしまったという伝説が残されています。

摩陀羅神社

摩陀羅神社の拝殿と本殿

航海安全と風邪の神とされています。出雲の神社らしく本殿は大社造です。

釈迦堂

釈迦堂

弁慶も修行した蔵王堂と浮浪の滝

鰐淵寺の山号である「浮浪山」の由来にもなった浮浪の滝は大慈橋から左手に10分ほど進んだ先にあります。

浮浪滝への案内看板

途中に様々な目印があります。

浮浪滝への道

途中滑りやすい場所もありますので、足元には十分に注意してください。

浮浪滝と蔵王堂

弁慶もこの滝に打たれて修行したといいます。水量はわずかですが、周辺は神秘的雰囲気に包まれています。滝の中ほどに蔵王堂がはめ込まれるよう建っています。

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◆意外と近隣にあった韓竈神社

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◆同じく島根半島の北部に位置する一畑薬師

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