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【御朱印】倭姫宮は伊勢神宮の創建に生涯を捧げた倭姫命を祀る

往復夜行バスを利用した名古屋・伊勢強行軍の旅もいよいよ後半戦となり、この日6体目の御朱印を目指して月讀宮から倭姫宮(やまとひめのみや)を目指しました。倭姫宮は伊勢神宮内宮の別宮で伊勢神宮の創建者である倭姫命(ヤマトヒメノミコト)をお祀りしています。

 

倭姫宮は御幸道路に沿ったちょうど近鉄の五十鈴川駅と宇治山田駅の中間に位置しています。

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その後に向かおうとしている月夜見宮が伊勢市駅の駅前ということで、猿田彦神社を出た時からこの先歩きっ放しとなることは覚悟していました。

 

御幸道路をひたすら道なりにあるいていると前方に巨大な鳥居が出現しました。

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こちらが倭姫宮が置かれている倉田山の入り口で、神宮徴古館・神宮農業館・神宮美術館といった建物と同じ森の中に鎮座しています。

 

伊勢神宮内宮でお祀りしている天照大御神の御神体である八咫鏡は当初宮中に祀られていましたが、第10代の崇神天皇の時代に外部に置かれることとなり大和の笠縫邑に祀られました。その後御神体を安定してお祀りできるような場所を探して各地を巡幸したのが第11代垂仁天皇の皇女である倭姫命です。

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大和から始まった巡幸は伊賀、近江、美濃、尾張を経て最終的に伊勢に入りますが、五十鈴川上流の現在の地に辿り着いたのは猿田彦神社の資料では猿田彦大神の子孫である大田命がお勧めして土地を寄進したとありますし、伊勢神宮の資料では天照大御神の神託があったとされています。この巡幸では立ち寄った各地にコメ作りを伝えたという話も伝わっています。

倭姫宮は最後にたどり着いた地に神宮を創建し、年中の儀式や各種の御料地を定め、さらに斎戒や祓いの法を示すなど伊勢神宮の神社としての基盤を固めました。そしてそのまま伊勢の地で亡くなるのですから、伊勢神宮の創建に生涯を捧げたと言ってもいいでしょう。

 

倭姫宮の入り口です。

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うっそうとして森の中をゆるやかな下りのカーブが続いていきます。

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参道は予想以上に長く続いていました。

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長い参道の最後に最後に階段が待っていました。

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倭姫宮の社殿です。

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伊勢神宮の他の別宮の創建は奈良時代以前というものばかりですが、倭姫宮はぐっと新しく何と大正12年です。

伊勢神宮創建の大功労者であったにもかかわらず倭姫命をきちんとお祀りしたお宮がなかったため、倭姫命をまつるお宮の創立が大正元年より国に請願され、別宮としての創立が許可されたことから鎮座祭が執り行われました。

 

倭姫宮でも式年遷宮が執り行われます。そのための古殿地です。

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内宮・外宮と同じく神明造です。柱ではなく壁により天井を支えているため、柱と梁の間に隙間があります。こちらの詳しい内容は内宮の記事にてご説明しています。

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御朱印は宿衛屋で頂けます。

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正宮や他の別宮と同様にグレードの高さを示すシンプルな御朱印を頂きました。

 

◆一生に一度は来てみたい「お伊勢参り」の記事

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◆社殿が四つ並ぶ姿が壮観な月讀宮の記事

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◆倭姫宮のあと足を棒にしてたどり着いた月夜見宮の記事

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最後までお読みいただきありがとうございます。