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〖必見〗建長寺の国宝と重文・ほぼコンプリートした御朱印

建長寺では5ヶ所で芸術的な御朱印を頂け、ほぼコンプリートしました。国宝や重要文化財、国指定の史跡が点在しており境内は見どころに満ちています。お参りの際は総門近くの御朱印所に御朱印帳を預けっぱなしにしないよう注意してください。

5か所で頂ける建長寺の御朱印

建長寺では総門を入ってすぐの場所に御朱印所があり、一旦こちらに御朱印帳を預けてから境内をお参りする仕組みになっています。しかし境内には御朱印を頂ける場所が他に4ヶ所あるため、御朱印所に預けっ放しにしないようくれぐれもご注意下さい。混雑の度合いにもよりますが、私の場合は方丈庭園から御朱印所に戻ると御朱印は出来上がっていました。

建長寺御朱印所の御朱印

総門を入ってすぐ、拝観受付の向かい側にあります。

令和2年8月16日付

「南無地蔵尊」と記された建長寺御朱印所で頂いた令和2年8月16日付御朱印

頂いたのはご本尊の「南無地蔵尊」の御朱印で、この他に釈迦牟尼佛・びんずる尊者・千手観音(鎌倉三十三観音霊場第28番)・心平地蔵尊(鎌倉二十四地蔵第9番)・済田地蔵尊(鎌倉二十四地蔵第10番)の御朱印も頂けます。

平成28年4月30日付

建長寺の平成28年4月30日付最新の御朱印

書体がかなり違っています。

妙高院(塔頭)の御朱印

三門に向かって右手にある妙高院の門。門の奥に本堂の屋根が見える

総門から三門に向かって右手方向、梵鐘に隣接した場所にあります。

妙高院の門。閉まっているが左側の木戸に「御朱印の方はお入りください」と書かれた札がかかっている。

門は閉まっていますが、御朱印を希望する方は左側の木戸から入ることができます。

「聖観世音菩薩」と記された妙光院の書置き御朱印

コロナ対策なのか御朱印は書置き対応でした。

龍峰院(塔頭)の御朱印

龍峰院の門。閉められているが、右側の木戸に「御朱印の方はお入りください」と書かれた札が貼られている

方丈から半蔵坊に向かう道の左手方向にあります。こちらも門が閉まっていますが、御朱印を希望する方は右手の木戸から中に入ることができます。

「聖観世音菩薩」と直書きされた龍峰院の御朱印

こちらは御朱印帳に直書きして頂けます。

回春院(塔頭)の御朱印

回春院の山門。長い石段の上にある。

半蔵坊に向かう途中に右手に分岐する道があり、こちらを進んだ場所にあります。

令和2年8月16日付

「南無文殊菩薩」と記された回春院の令和2年8月16日付御朱印

本尊の「南無文殊菩薩」の他、4種類の御朱印を頂けます。

平成29年7月8日付

南無文殊菩薩と記された平成29年7月8日付御朱印

半蔵坊の御朱印

半蔵坊の御祈祷受付所。だるまが3個並んでいる

御朱印は御祈祷受付所で扱っています。

半蔵坊大権現

令和2年8月16日付

半蔵坊大権現の令和2年8月16日付御朱印

平成29年7月8日付

半蔵坊大権現と記された平成29年7月8日付御朱印

勝上ケン地蔵尊

「勝上ケン地蔵尊」と記された半蔵坊の令和2年8月16日付御朱印

鎌倉二十四不動尊第11番の「勝上ケン地蔵尊」の御朱印です。

北条氏の盤石な権力を象徴する建長寺

建長寺は鎌倉幕府第5代執権である北条時頼によって1253年に創建されました。この時代は承久の乱の鎮圧によって北条氏の権力基盤が定まり、その一方で京都朝廷の力が弱まって鎌倉が事実上の日本の首都となった時期になります。

実朝の死によって源氏が滅亡した後も鎌倉幕府は京都から将軍を招きますが、北条氏に不満を持つ第4代、第5代将軍を追放することにより幕府は北条氏の独壇場のようになりました。

盤石な権力基盤を確立した執権北条時頼によって創建された禅宗の寺院が建長寺なのです。

臨済宗の寺院を格付けする五山という制度において、建長寺は鎌倉五山第一位に格付けされています。

地震や火災によって創建当時の建物は失われ、現在我々が目にするのはほとんどが江戸時代に移築もしくは再建されたものですが、全体として鎌倉時代を代表する禅寺としての空気が色濃く残されています。

アクセス

交通

横須賀線北鎌倉駅徒歩約15分

地図

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境内の見どころ

総門・山門・仏殿・法堂・方丈といった伽藍が一直線に並ぶ禅宗様式

総門・山門・仏殿・法堂・方丈といった伽藍が一直線に並ぶ「禅宗様式」の境内には様々な見どころが点在しており、境内全体が「建長寺境内」として国の史跡に指定されています。

総門

建長寺の総門

1783年に建立され1943年に京都の半船三昧院より移築されてきました。

三門(重要文化財)

建長寺の重要文化財の三門

1775年に建立されたものです。三解脱門の略で、空・無相・無作の三門をくぐることによりあらゆる執着から解き放たれるとされています。

梵鐘(国宝)

国宝で茅葺屋根の梵鐘

1255年に鋳造され、創建時の姿を現在まで保つ貴重な存在です。

仏殿(重要文化財)

木々の奥にある仏殿

本尊である地蔵菩薩像を祀る仏殿です。芝の増上寺にあった徳川秀忠夫人の霊屋を譲り受け、1647年に移築したものです。

建長寺が位置するこの場所はかつて地獄ヶ谷と呼ばれた処刑場で、地蔵菩薩を本尊とする寺院があったことから、禅宗の寺院でありながら釈迦如来ではなく地蔵菩薩を本尊としています。

法堂(重要文化財)

仏殿の奥にある建長寺の法堂

1814年に建てられたもので、かつては建長寺で修業する全ての僧がここに集まって住職の説法を聞きました。他の寺院の講堂のような役割があり、388人集まった記録があるそうです。

方丈

建長寺の方丈

もともとは京都の般舟三昧院で1732年に建てられたものですが、1943年に移築されてきました。本来は住職の生活の場で、現在では研修やイベントの会場としても使用されています。

唐門(重要文化財)

増上寺から移築してきた建長寺の唐門

もともとは増上寺の秀忠夫人の霊屋の門として1628年に建てられたもので、1647年に移築されてきました。

方丈庭園(国の史跡)

「心」という字を池の形にした方丈庭園

方丈の庭園は国の史跡となっています。「心」という字を池の形にしたため「心字池」と呼ばれています。

墓地

建長寺の良好な環境の中にある墓地

建長寺の良好な環境の中にある墓地

「墓地分譲中」と書かれた看板

建長寺や塔頭の敷地内には墓地が整備されており、静かで良好な環境の中でご先祖様を供養することができます。

天狗が印象的な半蔵坊

半蔵坊への道。とりいがならんでいる

半蔵坊への道。両脇に幟が立ち並ぶ

谷全体が境内になっているような境内の最奥に建長寺の鎮守である半僧坊があります。

半蔵坊への最後の石段

石段脇の天狗の像

半僧坊への最後の石段の周囲には数多くの天狗の像が設置されています。

半蔵坊のお堂

境内の最も奥にある建長寺の鎮守である半僧坊です。

半蔵坊からの絶景

こちらからは、建長寺の伽藍から遠く相模湾まで見渡すことができます。

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