赤坂の日枝神社では御朱印が全部で6種類あり、栞とストラップも頂けます。3基のエスカレーターを利用して上がった境内では狛猿が印象的です。縁結びや恋愛成就、安産祈願、子育てなどのご利益の他、仕事運や出世運の上昇、商売繁盛のご利益でも知られています。
御朱印は6種類ある
御朱印所
日枝神社の御朱印は社殿向かって左側の授与所でいただけます。
日枝神社では現在の御朱印の他、過去歴代の印影を押した御朱印5種類の計6種類を頂くことができます。
御朱印をお願いすると栞とストラップをいただけます。
受付時間9:00~17:00
初穂料500円。
御朱印帳
日枝神社では何と15種類もの様々なデザインのオリジナル御朱印帳を扱っています。全て小型サイズで紙質は普通です。
価格1500円~2000円
通常御朱印
江戸城を鎮護する「皇城之鎮」にふさわしいどっしりとした書体の御朱印です。
復刻御朱印
日枝神社では各時代に授与していた御朱印を「復刻御朱印」として改めて授与しています。
昭和中期~平成中期の御朱印
昭和戦前期の御朱印
大正~昭和初期の御朱印
大正中期の御朱印
明治15年~大正中期の御朱印
過去に頂いた御朱印
令和3年4月3日付
平成28年9月21日付
日枝神社の由緒と数多くのご利益
日枝神社は皇居の裏鬼門を守る神社として知られています。仕事運・出世運・縁結び・安産や子育てと様々なご利益が知られています。
もともとは太田道灌が江戸城を築城した際に川越の仙波日枝神社を勧請したことに始まるとされています。徳川家康が江戸に入った際にこれを城内の紅葉山に遷座し、江戸城の鎮守としました。二代将軍秀忠が江戸城を改修した際に江戸城外に遷座し、これにより庶民が参拝できるようになります。1657年の明暦の大火により社殿が焼失してしまい、四代将軍家綱により江戸城から見て裏鬼門に当たる現在地に遷座されました。
1659年に造営された社殿は江戸初期権現造の代表的建物として明治になると国宝に指定されていましたが、1945年(昭和20年)の東京大空襲により焼失してしまい、現在の社殿は1958年に再建されたものです。
縁結びや恋愛成就、安産祈願、子育てなどのご利益で知られる日枝神社ですが、その他にも仕事運や出世運の上昇、商売繁盛のご利益も得ることができます。
アクセス
交通
千代田線赤坂駅徒歩3分
南北線・銀座線溜池山王駅徒歩3分
千代田線国会議事堂前駅徒歩5分
銀座線・丸の内線赤坂見附駅出口11徒歩8分
地図
境内の魅力と特徴
参道は3種類ある
3基のエスカレーター
日枝神社は小高い丘の上に位置しており、外堀通りから3基のエスカレーターを利用して境内に入るのが一般的です。神社にエスカレーターといえば他では江島神社の「エスカー」しか思い浮かびません。
2基目のエスカレーターはこれまで見たことの無いくらい緩い傾斜です。
エスカレーターの途中からは首相官邸を望むことができます。
3基目のエスカレーターは短めでした。2021年11月には下りエスカレーターも設けられています。
男坂
正面の鳥居から53段の石段を上がる坂です。少々わかりにくい場所にありますが、こちらが表参道とされています。
稲荷参道
西側から境内に上がる参道です。
参道全体に朱色の「千本鳥居」が立ち並んでいます。
狛猿が印象的な境内
山王鳥居
外堀通りを通っていると嫌でも日枝神社の鳥居が目に入ります。この独特の形状は「山王造り京風二重鳥居」と呼ばれており、滋賀の日吉大社を総社とする山王神社の特徴となっています。鳥居の上部が合掌した手のような三角形になっており、仏教の胎臓界・金剛界と神道の合一という山王信仰を象徴したものとされています。
神門
鮮やかな朱色の神門の表側には「日枝神社」と書かれた額が、裏側には「皇城の鎮」と書かれた額が掲げられています。
社殿
日枝神社の旧社殿は国宝でしたが先の大戦における東京大空襲で焼失してしまい、現在の建物は昭和33年に再建されたものです。
永田町というような場所に立地していると、境内からの眺めはどうしてもこのようなものになります。
狛猿
社殿には狛犬ではなく猿が置かれています。そのため申年最強のパワースポットと呼ばれています。ここでは猿が神様と人間の橋渡し役なのです。向かって右がオスの猿です。
向かって左がメスの猿です。子ザルを抱いています。
境内社
社殿に向かって右奥に境内社の山王稲荷神社、八坂神社、猿田彦神社があります。神社内で最も強力なパワースポットだそうです。
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