湯島天神の名で知られた湯島天満宮は学問成就と試験合格のご利益で有名で、多くの受験生の願いが込められた絵馬が大量に奉納されている光景は大変に印象的です。御朱印は通常のものの他、季節に応じた限定御朱印も用意されています。
湯島天神の御朱印
御朱印所
湯島天神の御朱印は拝殿左手の社務所・参集殿内の授与所で扱っています。(授与所は右手にもあるが、こちらでは扱っていない。)
受付時間 8:30~17:30
初穂料
御朱印帳への直書き 500円
判子朱印 300円(神社名の書かれた印章を押す「版木押し」タイプか?)
御朱印
令和2年7月5日付
通常御朱印の他、季節に応じた限定御朱印も用意されています。(すべて書置きのようです。)
平成28年9月14日付
湯島天神の由緒
湯島天神の由緒に関し、境内に神社によるものと文京区教育委員会によるものの2通りの案内が出されていました。
文京区教育委員会によれば湯島天神の創建は1355年で、近隣住民の請願により菅原道真を勧請したとしています。
一方、湯島天神の社伝によれば創建はそれよりはるかに古い458年で、雄略天皇の勅命により天之手力雄命(天の岩戸伝説で岩戸を怪力で開けて天照を引き出した神)を祀る神社として創建されたと伝えられています。雄略天皇の時代ということであれば伊勢神宮外宮とほぼ同時期ということで、とんでもなく古い神社ということになります。
1478年に大田道灌が社殿を再建し、1590年に徳川家康が江戸入りして以降は徳川将軍家の篤い保護を受けました。1703年に火災で社殿が全焼した際には翌年に5代将軍綱吉が金五百両を寄進しています。
18世紀初頭には富籤の興行が盛んになり、湯島天神は「江戸の三富」の1つに数えられて庶民に親しまれました。更に境内には多くの茶店・楊弓場があり、宮芝居が何度も開催され,更には境内で大相撲の本場所が行われたこともあります。
学問の神として新井白石などの著名な学者文人から崇敬を受け、さらに富籤の興行により庶民の人気を集めたことにより、湯島天神は江戸有数の盛り場として賑わいました。
試験合格のご利益で有名
学問の神様として知られる湯島天神は「試験合格のご利益」で有名です。首都圏在住の受験生にとっては最後の神頼みの場であり、合格祈願の絵馬が常に大量に奉納されています。どの天満宮よりも印象的な光景です。
アクセス
徒歩10分圏内に4つの駅があり、アクセスは大変に便利です。
交通
千代田線湯島駅徒歩約2分
銀座線上野広小路駅徒歩約5分
丸ノ内線本郷3丁目駅徒歩約10分
山手線御徒町駅徒歩約8分
大江戸線上野御徒町駅徒歩約5分
天神男坂
最寄駅から湯島天神に向かう際に上ることになる38段の石段です。
すぐ脇に傾斜の緩やかな女坂があります。
地図
周辺の寺社
湯島天神の境内
社殿
社殿は1885(明治18)年に改築されて関東大震災や東京大空襲等の災禍も逃れましたが、老朽化が進んだため1995(平成7)年12月に総檜造の新社殿が造営されました。
平成の建物とはとても思えない風格を感じさせられる社殿です。
表鳥居
1667年に寄進された銅製の鳥居で、男坂・女坂の反対側にあります。都内に残る銅製鳥居の中でも屈指の古さで、下脚部に唐獅子頭部の装飾があるなど鳥居としては特異な特色があります。
奇縁氷人石
画像右端で撫牛の先に写っている石柱が「奇縁氷人石」で、「迷子のお知らせ」という役割がありました。この石柱の右側には「たつぬるかた」、左側には「をしふるかた」と記されており、迷子がでた際に名を書いた紙を右側に貼り、迷子が見つかるとその子の特徴を書いた紙を左側に貼ったといいます。
江戸時代に有数の盛り場であった湯島天神の境内は常に賑わっており、迷子が絶えなかったようです。
梅園
境内の中央には美しい庭園があります。都心のど真ん中にこのような空間があったことに驚かされました。
ガス灯
文明開化のシンボル的存在のガス灯は都内では1965年頃までにすべて撤去されていましたが、東京ガスの協力で湯島天神の男坂上に1981年(昭和56)年に新たに設けられました。現在都内に存在する唯一のガス灯です。
努力の碑
プロ野球の王貞治氏が1977年9月3日に当時の世界記録である通算756号本塁打を放ち、初の国民栄誉賞を贈られたことを記念して建てられました。王氏の生涯の座右銘である「努力」と、昭和40~50年代に少年時代を過ごした者なら恐らく誰もが知っているサインが刻まれています。
摂社
向かって左が笹塚稲荷神社、右が戸隠神社です。境内社として戸隠神社が鎮座している事例は私が知る限り湯島天神だけです。
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