御朱印とうどんを極めたい!!

思うところがあってブログタイトルをリニューアルしました。今後とも一層の御贔屓をお願い申し上げます。

〖直書き〗浅草寺の御朱印と御朱印帳、境内の見どころ

浅草寺では2種類の御朱印を頂けるほか、カラフルで紙質の良い御朱印帳を入手することができます。千年間秘仏の観音像を本尊とする歴史ある寺院で、境内は見どころでいっぱいで、必見ポイントをまとめました。

御朱印と御朱印帳

御朱印の場所・種類・時間・値段

御朱印所の影向堂

浅草寺の御朱印所は本堂左手の西境内にある影向堂内にあります。平日であったので待ち時間ゼロでしたが、土日の場合はお堂の外まで行列ができています。こちらでは御本尊の聖観世音菩薩と浅草七福神である大黒天の2種類の御朱印がいただけます。

受付時間9:00~17:00 

志納金500円

御朱印帳

浅草寺では様々なデザイン・カラー・サイズの御朱印帳を扱っています。

価格1300円~3000円

「紺地に金龍」の御朱印帳

「紺地に金龍」の御朱印帳。大サイズで1500円です。私の通算で11冊目の御朱印帳で紙質が特に素晴らしく、王子稲荷神社の神職の方から「大変に書きやすい」と絶賛されました。

雷門の提灯が描かれた御朱印帳

雷門の提灯が描かれた通算で14冊目の御朱印帳で、御朱印所で一番目立つ存在でした。日本独自の伝統工芸である蒔絵装飾が施されており、熟練した職人の手作りということで価格も3000円でしたが、紙質は普通でした。

2種類の直書き御朱印

聖観世音菩薩

聖観世音菩薩の御朱印

大黒天

大黒天の御朱印

これまでに頂いた御朱印

令和3年4月10日付

令和3年4月10日付御朱印

平成27年5月4日付

平成27年5月4日付

間紙

「御朱印について」という文章

浅草寺で御朱印を頂く際に間に挟む間紙には「御朱印について」という文章が印刷されており、お参りもせずスタンプラリーのようにただ御朱印だけを集めてまわる一部の人々に苦言を呈しています。

お寺や神社をお参りする上で当たり前の内容ではありますが、改めて注意するようにしましょう。

千年間秘仏の観音像を本尊とする浅草寺

628年に隅田川で漁をしていた兄弟の網に観音像がかかりました。これを見た兄弟の主人が自宅を寺に改め本尊として祀ったのが浅草寺の起源であり、東京都内で最古の寺院であるとされています。世界最古の木造建築とされる法隆寺の創建が607年、聖徳太子が亡くなったのが622年ですからほぼ同時代です。

645年、勝海上人という僧が当山に立ち寄り観音堂を修造しましたが、ある夜、上人の夢に観音さまが現れ、「みだりに拝するなかれ」と告げられました。以来今日まで、ご本尊を厨子(御宮殿)深く収めて奉安しています。

従って約1400年以上秘仏であり続けていることになります。

アクセス

交通

東武線・浅草線・銀座線浅草駅徒歩約5分

地図

境内の見どころ

雷門

雷門

雷門は1865年に火災により焼失してしまい、それ以降約100年間「門なき雷門」状態となっていました。そこで松下電器(現パナソニック)創業者の松下幸之氏が1960年に再建し、それ以降10年ごとに大提灯の修復が行われています。

関節痛が治ったことに対するお礼で松下氏個人としての寄進であり、「なるべく名前は出さない」という条件付きだったといいます。

仲見世

仲見世

仲見世ができたのは江戸時代の1685年頃で、寺の掃除をしていた信者に出店営業の特権が与えたことがきっかけだったといいます。その後境内には多くの店舗が並ぶようになり、伝法院から宝蔵門寄りでは水茶屋が並んでいたのに対し、仲見世は玩具、菓子、土産品などを売る店舗が中心となりました。

1817年に、地元の有志が雷門から本堂までの道づくりと敷石の奉納を行ない、これで雨天でも快適に歩けるようになります。その後関東大震災や東京大空襲の被害を受けるたびに補修を繰り返し現在の姿になりました。

当初は土地も建物も浅草寺のものでしたが、明治になって浅草寺の土地が政府に没収されると仲見世も東京府の管轄に置かれます。浅草寺はその後土地の所有権を取り戻し、2017年に建物も東京都から買い取りました。

「立ち入り禁止」の札がかかっている店

現在商店街の店子と浅草寺の間で家賃を巡るトラブルが発生しているようで、「立ち入り禁止」という札がかかっている店が目立つのはそのせいでしょうか。

宝蔵門

宝蔵門

浅草寺山門の宝蔵門は東京大空襲で焼失し、1964年に再建されました。

五重塔

五重塔

1973年に再建された現在の五重塔は鉄骨鉄筋コンクリート造です。

本堂

本堂

国宝に指定されていた浅草寺の旧本堂は東京大空襲で焼失し、1958年に再建されたのが現在の本堂です。長い歴史の中で20回近く焼失と再建を繰り返しています。

斜め前から見た本堂

先の大戦末期には御本尊を逗子ごと天水桶に納め、本堂の地中深くに埋めたことにより戦火を逃れました。

千年間秘仏の本尊は実在するのか

本堂には本尊の聖観世音菩薩を奉安することにちなみ、観音堂とも呼ばれています。

千年以上の長期にわたって秘仏とされてきたためその存在が疑問視され、徳川幕府や明治政府といった時の権力者との間で「見せろ」「見せない」といった攻防があったようです。

明治政府の役人が帰った後、「住職でありながら本尊の有無を確認していないのは無責任」ということで当時の住職が仏罰を覚悟の上で厨子の扉を開いたところ、伝承通りの高さの観音像があったと言われています。

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