王子稲荷神社の狐にまつわる伝説は有名ですが、火事除けのお守りとしての凧でも知られた神社です。御朱印も火防の凧の形をしています。
御朱印は火防の凧の形をしている
御朱印所
御朱印は社殿向かって右側の社務所で頂くことができます。
※12:00~13:00はお休みです。
初穂料500円
「御朱印料は、500円です。千円札で収めてください。」と意外過ぎる内容の貼り紙です。「硬貨ばかり集まって困っています。」という部分に笑ってしまいした。
御朱印
達筆です。凧市で有名な神社らしく、御朱印にも凧が描かれています。(右上)
王子稲荷神社の由緒
千年近い歴史を持つ神社
王子稲荷神社は創建時期こそ不明であるものの千年近い歴史を持っており、平安時代後期の前九年の役で活躍した源頼義より「関東稲荷総司」として篤く信仰され、源頼朝からは武具を奉納されています。
当時は荒川の流域が今よりもはるかに広く、この地も川岸であったことから岸稲荷と称していました。1322年に豊島郡を支配していた豊島氏が近隣の高台に紀州熊野三社権現から王子大神を勧請して王子神社を創建し、それにより地名も王子となったことから岸稲荷も王子稲荷へと改称しました。
小田原北条氏からも篤い崇敬を受けていた王子稲荷は江戸時代に入ると王子神社と並んで将軍家の祈願所となり、幕府による度々の社殿造営を受けて大いに栄えます。
江戸の庶民からも親しまれている様子が歌川広重の「名所江戸百景」にも描かれています。
昭和20年の東京大空襲で本殿が大破しますが、昭和35年に再建されました。
王子稲荷と狐
王子稲荷神社は落語「王子の狐」の舞台になるなど狐とのつながりが深い神社として知られています。
王子稲荷神社はちょうど台地の中腹のような場所に鎮座しています。この辺りは江戸時代には農村地帯で、神社の奥は全て森であったため当然ながら周辺に狐の巣が多く存在していました。農民にとって作物を食い荒らす野ネズミやウサギを食べてくれる狐はありがたい存在で、神の使いとして大切にされました。
王子稲荷神社の傍には大きな榎の木があり、毎年大晦日の夜には関東中の狐が集まり、神社にお参りするために着替えたという伝承が残されていて、これもまた歌川広重の「名所江戸百景」に描かれています。
現在ではこの伝承を再現したイベント「王子 狐の行列」が毎年大晦日から元旦の未明にかけて開催されており、狐に仮装した集団が除夜の鐘とともに装束稲荷神社から王子稲荷神社まで練り歩きます。
狐が使える稲荷神社はもともと農業の神様でしたが、江戸時代になって貨幣経済が広がると商売繁盛の神様に変化していきました。
王子稲荷と凧
度々大火に見舞われた江戸時代、熱風が大火につながることから、「風を切って揚がる」凧を人々は火事除けのお守りにしていました。その中でも王子稲荷の凧は「火防の凧(ひぶせのたこ)」と呼ばれ、これをまつると火難を免れ無病息災・商売繁盛につながるとして人気となり、毎年2月の午の日には境内で凧市が開催されるようになりました。
アクセス
交通
京浜東北線・南北線王子駅徒歩約5分
地図
徳川将軍家が寄進した社殿が残る境内
神門
見事な彫刻が施された立派な門です。
門と大鳥居の間が幼稚園の園庭として使用されており、園児がいる時間帯は施錠されています。その際は「王子稲荷の坂」途中にある入口を使用してください。
大鳥居
拝殿
現在の社殿は1822年に11代将軍家斉により寄進されたものです。
本殿
昭和20年4月の東京大空襲で本殿は大破してしまい、昭和35年に再建されました。
神楽殿
本宮
拝殿の右脇奥にあります。
願掛けの石
願い事を念じながら「お石様」を持ち上げ、事前に予想していた重さより軽く感じたら願い事が叶いやすい。重く感じたら叶いづらいのでまだまだ努力が必要というものです。
このような「おもかる石」は京都の伏見稲荷大社、大阪の住吉大社、山梨の新屋山神社でも見かけましたが、それらの中で最も重量がありました。
狐の穴跡
願掛けの石の脇の階段を上がると狐の穴跡があります。かつて無数にあった狐の穴を江戸時代の石垣整備の際に一つだけ保存したものなのだそうです。
この日はあいにくの天気のため通行止めとなっていました。
「おもかる石」がある神社
境内社
市杵島神社
幼稚園の園庭の隅に位置しています。
亀山稲荷神社・嬉野森稲荷神社・北村稲荷神社
本宮脇の鳥居を抜けた先に位置しています。
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