京都の仁和寺(にんなじ)では2か所の御朱印所で3種類の優雅な直書き御朱印を頂けます。国宝や重文に指定されたお堂が立ち並ぶ境内と書院や庭園が集中する本坊の二つで構成されており、アクセスには嵐電が便利です。
優雅な直書き御朱印は3種類頂ける
御朱印所
仁和寺の御朱印は御殿入り口と金堂前の2ヶ所で頂けます。(写真上の赤丸の箇所)
御殿入り口では「弘法大師」と「旧御室御所」の2種類の直書き御朱印を頂けます。
「金堂前では「本尊阿弥陀如来」の直書き御朱印の他に5大明王の書置き御朱印を頂けます。
受付時間9:00~17:00
志納金 300円~700円
※上記の2ヶ所に加えて境外の御室八十八か所でも頂ける場合があるようです。
御朱印
今回はそれぞれの御朱印所で直書き御朱印のみ頂きました。どれも大変に優雅な書体です。
旧御室御所
弘法大師
本尊阿弥陀如来
オリジナル御朱印帳
仁和寺のオリジナル御朱印帳は全部で5種類であり、サイズは様々でした。
藤井聡太竜王と伊藤匠七段による第36期将棋竜王戦に際し、仁和寺は第2局の対局場となっています。
そのため竜王戦開催記念御朱印帳も販売されており、私が見ている前でも数冊売れていました。
価格1400円~2500円
仁和寺の歴史
仁和寺は金閣寺から龍安寺を経て南西方向に延びる「きぬかけの路」の終点付近に位置する真言宗の寺院で、大きく分けて仁和寺境内と本坊の2つから成り立っています。
886年に光孝天皇が寺の建立を発願したことがきっかけで誕生した寺院で、翌年に崩御してしまったため子の宇多天皇により落成したのが888年です。その年の年号から仁和寺と呼ばれるようになりました。
宇多天皇は897年に譲位して出家し、仁和寺第一世宇多法皇となります。そして伽藍の南西に「御室」(おむろ)と呼ばれる僧坊を建てて移り住んだため、仁和寺は「御室御所」とも称されました。
1467年に応仁の乱が発生すると寺は東軍の兵による攻撃の対象となり、伽藍は全焼してしまいます。しかし江戸時代に入ると三代将軍家光の支援を受けて再び伽藍が整備され、またこの時期に実施された京都御所の建て替えに伴って様々な建物が仁和寺に移築されました。そして1646年に伽藍の再建が終了し、これにより仁和寺は約180年ぶりに創建時の姿を取り戻します。
幕末に至るまで仁和寺は出家した皇族が代々の住職を務める「門跡寺院」であり続けましたが、明治になって第30世純仁法親王が還俗したことでその役目を終えました。
京都市・宇治市・滋賀県大津市の3市に点在する17か所の寺社と城郭で構成される「古都京都の文化財」の一つとして、1994年にユネスコの世界遺産に登録されました。
アクセスは嵐電が便利
仁和寺は金閣寺から龍安寺を経て南西方向に延びる「きぬかけの路」の終点付近に位置する真言宗の寺院です。
交通
JR京都駅より嵯峨野線に乗り換え太秦駅下車。撮影所前駅で嵐電に乗り換え御室仁和寺駅下車徒歩約3分。
京都駅より市バス26系統や嵯峨野線花園駅より徒歩といった手段はあるようですが、仁和寺としては嵐電の利用を推奨しているようです。
龍安寺より徒歩約10分
地図
京都の寺社
境内の見どころ
仁和寺は大きく分けて仁和寺境内と本坊の2つから成り立っています。886年に光孝天皇が寺の建立を発願したことがきっかけで誕生した寺院で、1467年に応仁により伽藍は全焼しましたが、三代将軍家光の支援を受けて再び伽藍が整備されました。
二王門(重要文化財)
仁和寺の正門で、その堂々たる姿は他を圧していました。1641年から45年にかけて再建されたもので、中国の影響を受けていない日本の伝統的建築様式でつくられています。
金堂(国宝)
1613年に建てられた京都御所の正殿である紫宸殿を移築してきたもので、本尊の阿弥陀如来像を始めとして数多くの仏像が祀られており、壁には極彩色の浄土図や五大明王の壁画が描かれています。
日光から完全に遮断されているため内部は江戸時代そのままの状態で保存されており、その色鮮やかさに息を飲みました。
観音堂(重要文化財)
1641年から45年にかけて再建されたもので、仁和寺に伝わる教えを師から弟子に伝える場として使用されています。
鐘楼(重要文化財)
1644年に再建されたものです。
経蔵(重要文化財)
1641年から45年にかけて再建されたもので、中央の回転式書架に768箱の経箱が収められています。
五重塔(重要文化財)
1644年に再建されたもので、高さ36,18mあります。
五重塔が有名な寺社
本坊の見どころ
光孝天皇の子の宇多天皇は897年に譲位して出家し、仁和寺第一世宇多法皇となります。そして伽藍の南西に「御室」(おむろ)と呼ばれる僧坊を建てて移り住んだため、仁和寺は「御室御所」とも称されました。本坊は宇多法皇の御所があった場所です。
本坊表門(重要文化財)
17世紀初頭につくられました。
勅使門(重要文化財)
1913年に再建されたものです。
白書院
修繕工事の真最中でしたが中には入れました。1887年に御殿が焼失したことから1890年に仮宸殿として建てられたもので、後に宸殿が再建されると「白書院」と呼ばれるようになりました。
西向きと東向きに各3部屋あり、松を主題とした襖絵が印象的です。
宸殿
17世紀初頭に京都御所の常御殿を移築してきましたが1887年に焼失してしまい、現在の建物は1914年に再建されたものです。
24畳の下段の間・中段の間に加えて16畳の上段の間が真っ直ぐ連なっており、金をベースにしながらも派手さを排した渋めの内装の美しさが際立っていました。
仁和寺は将棋竜王戦の会場として度々使用されており、その際の対局場が宸殿の中段の間だったようです。
竜王戦は二日がかりの対局で、初日の指しかけの際に手番だった側が自分の指し手を紙に書いて密封します。片方が一晩考えるという不公平を防ぐためのもので、二日目は封じた手を開封するところから対局を再開します。
第35期竜王戦第2局で藤井聡太竜王に対して挑戦者の広瀬八段が指し手を封じた用紙が展示されていました。
宸殿の庭園は江戸時代中期に作庭されたものを元にして宸殿の再建時に改宗されたもので、国指定の名勝に指定されています。
本来なら五重塔を借景とした素晴らしい眺めを楽しめるはずなのですが、改修工事中で足場が組まれている建物が間に入ってしまったのは残念です。
霊明殿
1911年に建立されました。
このブログのイチオシ記事
「評価に値する」と思われたらワンクリックお願いします。読者登録とブックマークを頂けるともっと嬉しいです。