渋谷の金王八幡宮(こんのうはちまんぐう)では直書きの御朱印を頂けます。「渋谷」という地名に関わりのある神社で、武を司る応神天皇を祀った神社であることから出世・子授け・交通安全のご利益で知られています。
是非こちらもご覧ください
金王八幡宮の直書き御朱印
御朱印所

御朱印は社殿向かって右手の社務所で頂けます。こちらでは直書きの御朱印を頂けます。
受付時間 9:00~17:00
初穂料 300円
※直書きで初穂料が300円とは、今どき大変に珍しい神社です。
御朱印

スッキリした書体ながら堂々たる品格も感じられる御朱印です。
過去に頂いた御朱印


2017年(平成29年)11月10日付で、この頃は2種類頂けました。
オリジナル御朱印帳

金王八幡宮では重厚なデザインのオリジナル御朱印帳を扱っています。サイズは小型のみです。
価格1500円
金王八幡宮の歴史とご利益
源義家の部下であった河崎基家は後三年の役で先陣を務め、その功により武蔵谷盛荘七郷(現在の渋谷、代々木、赤坂、飯倉、麻布など)を与えられます。これを八幡宮の御加護と信じた義家が1092年に基家の居城内に八幡宮を勧請し、これが金王八幡宮の起源とされています。
基家の子の重家は御所の警備に当たっていた際に侵入した賊を生け捕りにし、この功によって堀河天皇より渋谷の姓を賜ります。それにより重家の領地は渋谷と呼ばれるようになり、ここに築かれた城は渋谷城となりました。

現在でも境内には渋谷城の砦の石が1点だけ保存されています。
子がいなかった重家は夫婦で城内の八幡宮に祈願を続け、その甲斐あって金王丸と呼ばれる子を授かりました。源義朝・頼朝に仕えた金王丸はその武勇により名声を残し、それにより渋谷八幡宮と呼ばれていた神社が金王八幡宮となりました。
ちなみに重家の子の代で渋谷氏は現在の渋谷から高座渋谷周辺まで領していたといいます。
八幡宮の御祭神が武を司る応神天皇であり、また金王丸が誕生したエピソードもあり、金王八幡宮は出世・子授け・交通安全のご利益で知られています。
道路を隔てて隣接する豊栄稲荷神社はもともとは渋谷近くにあった神社で、1961年に現在地に移転されました。
アクセス
交通
JR・東京メトロ・東急東横線・田園都市線・京王井の頭線渋谷駅徒歩約5分
しばらく見ないうちに渋谷駅周辺は大幅に様変わりしてしまいました。渋谷警察署の裏側を目標にすれば複雑怪奇な地下街でも迷うことはありません。
地図
周辺の寺社(記事は下に続きます)
境内の見どころ
社号標・大鳥居

神門

江戸時代中期の18世紀末に建てられたもので間違いないようです。
神楽殿

金王丸御影堂

社名の由来となった渋谷金王丸常光を祀っており、保元の乱出陣の折に自分の姿を彫刻し母に残した木像が納められています。
宝物館

中に入っての拝観は自由のようです。

鎌倉時代の作で都内最古という神輿と、1956年に新調した鳳輦が展示されています。
金王桜

奥州藤原氏討伐の際にこの地に立ち寄った源頼朝は金王丸御影堂に参り、金王丸の名を後世に残すよう言明したといいます。そして鎌倉の自らの館にあった桜を移植させ、金王桜と名付けました。
拝殿

徳川家光が三代将軍に決定した1612年に家光の乳母春日局と教育役であった青山忠俊によって造営されました。権現造りで江戸初期の様式を現在に伝える貴重な建築物です。
三代将軍については秀忠の次男の忠長が継ぐという風説が流れ、春日局と青山忠俊は家光が継ぐよう八幡宮に祈願を重ねていました。
本殿

道路の反対側にある豐榮稲荷神社

金王八幡宮の道路を挟んだ向かいには豐榮稲荷神社があります。

渋谷家の始祖である河崎基家の曾孫によって現在の渋谷駅の近くに創建され、1952年(昭和27年)7に豐澤稲荷神社を合祀し、1961年(昭和36年)に現在地に移転しています。
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