遊行寺という名で知られる清浄光寺は一遍を開祖とする時宗の総本山で、歴代の法主が宗派の指導者である遊行上人を継承しています。寺の前を通る「遊行寺坂」は箱根駅伝のコースとなっており、往路と復路のいずれにおいても重要ポイントとなっています。御朱印は浮かび上がってくるような不思議な書体です。
遊行寺の御朱印
御朱印所
御朱印は中雀門内の寺務所で頂けます。
初穂料300円
御朱印
浮かび上がってくるような不思議な書体の御朱印を頂きました。
箱根駅伝の重要地点である「遊行寺の坂」
遊行寺といえば遊行寺坂ではないでしょうか。寺が面する遊行寺坂は箱根駅伝のコースとなっており、往路の3区と復路の8区における最大のポイントとなっています。
かつてはこの坂を上る際に乗り物に乗っている人には降りて歩いてもらったり、「立ちんぼう」と呼ばれる駄賃かせぎの人たちに荷車などを押してもらいました。現在の「遊行寺坂」は、二度掘り下げているのでゆるやかになっているといいますが、それでもかなり急な坂です。写真で見るよりも実際はさらに急な坂です。
湘南・鎌倉四大寺
遊行寺の由緒
一遍の死後時宗をまとめた遊行上人
遊行寺は一遍を開祖とする時宗の総本山で、円覚寺、建長寺、光明寺と並び鎌倉四大寺の一つとされています。念仏さえ唱えれば往生できると説いた開祖の一遍には新たな宗派を立ち上げようという意図はなく、その教団・成員も「時宗」ではなく「時衆」と呼ばれていました。一遍亡き後、彼が率いた時衆は自然消滅するのですが、それを再結成したのが有力な門弟の他阿で、それ以降宗派の指導者を遊行上人と呼ぶようになります。
第四代遊行上人が創建した遊行寺
第四代の遊行上人である呑海が兄である俣野五郎景平より敷地と大殿堂を寄進され、時宗の総本山として創建したのが清浄光寺で、それ以降は清浄光寺の法主が遊行上人を継承しています。
「遊行上人のおわす寺」ということから清浄光寺は「遊行寺」の名で親しまれてきました。
アクセス
交通
東海道線、江ノ島線藤沢駅徒歩約15分
地図
時宗総本山としての遊行寺の境内
惣門
大きな黒の冠木門が遊行寺の惣門で、今日では遊行寺の黒門と呼ばれています。
惣門前に対になって建立されている青銅製の灯籠は、江戸講中を初めとして遠近の篤志者が一体となって、建造を望み、3年がかりで1842年に建立されたものです。
いろは坂
惣門から続く石段は、阿弥陀様の四十八願からいろは四十八文字に例え、「いろは坂」の愛称で親しまれています。
境内案内図
大銀杏
境内の中央にそびえたつ大銀杏は樹齢700年(一説に500年)といわれ、昭和57年8月2日の台風により、約3分の1が折れてしまいましたが、現在は見事に繁茂しています。
俣野大権現社
地蔵堂前に建つ小さな社は俣野大権現社で、開山呑海上人の兄である俣野五郎景平を祀っています。
一遍上人像
本堂前右手の高台に時宗の宗祖、一遍上人銅像があります。
梵鐘
1356年に鋳造された梵鐘は1513年に北条氏により小田原に持ち去られますが、1626年に取り戻されて再びここに設置されました。
地蔵堂
関東大震災によって倒壊した地蔵堂は平成26年に再建されました。
本堂
木造銅葺の本堂は木造としては東海道随一といわれています。関東大震災で倒壊したのち、昭和12年に落成しました。
宇賀弁財天
宇賀神社に祀られる宇賀弁財天は、徳川氏の祖とされる有親の守り本尊であり、有親から寄進されたものです。
中雀門
政六年(1859)に建立された中雀門は遊行寺境内で最も古い建造物で、1923年の関東大震災で倒壊したもののそのままの形で再建され、現在にその姿をとどめています。
放生池
古来よりこの池に金魚や鯉を放生すればその功徳により家内が繁栄するといわれる放生池です。五代将軍徳川綱吉の時代、「生類憐れみの令」発布にともない江戸市中の金魚・銀魚が集められ、この遊行寺の池に放生されました。
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