根津神社では書置きの御朱印を頂けます。徳川綱吉・家宣の時代に建てられた社殿がそのままの姿で残る神社で、重文だらけの境内には様々な見どころがあります。
御朱印以外にもいろいろやっています
御朱印は書置きのみ
御朱印所

御朱印は社殿向かって右の授与所で頂けます。以前は境内社の駒込稲荷神社・乙女稲荷神社の御朱印も頂けましたが、現在は根津神社の通常御朱印のみで全て書置きです。
受付時間9:00~17:00
初穂料500円
御朱印

寺社名の書かれた印章を押す「版木押し」から書置きに変わっていました。
過去に頂いた御朱印
通常御朱印

2018年3月30日付です。

2017年8月6日付です。
境内社の御朱印


2021年4月10付です。まだコロナ禍だったせいか書置きでした。


2018年3月30日付で、この時は直書きでした。
徳川綱吉の時代の姿のまま現存している
根津神社の創建は約1900年前とされています。日本武尊が東征の途中で千駄木に創建したとされており、15世紀半ばに太田道灌が社殿を奉納しました。
もともとは仏と神を同一視する神仏習合の根津権現社と呼ばれており、祭神の素盞烏尊は十一面観音菩薩・山王大権現は薬師如来・八幡大菩薩は阿弥陀如来の化身とされてきました。
17世紀半ばになって千駄木周辺を転々とすることになりますが、18世紀になって状況が激変します。
5代将軍徳川綱吉に嗣子がおらず、甥で甲府藩主の徳川綱豊(後の6代将軍家宣)が世継ぎとなりました。江戸城に入る際に空いた屋敷跡を根津権現へ献納して社殿を造営し、それがそのまま現在の根津神社となっています。幕府による普請ですから絢爛豪華な境内になりました。
明治になって神仏分離令が出されると根津神社にも廃仏毀釈の嵐が吹き荒れます。山王神道に基づく根津権現の祭祀は廃止され、社名は根津神社に改められました。そして本殿に須佐之男命・大山咋命・誉田別命、相殿に大国主と菅原道真を祀る形式へ強制的に変更されています。
関東大震災と東京大空襲を無傷で切り抜けており、社殿・唐門・西門・透塀・楼門の全てが創建時の姿のまま現存しています。
アクセス
交通
東京メトロ千代田線「根津駅」・「千駄木駅」より徒歩5分
東京メトロ南北線「東大前駅」より徒歩5分
都営三田線「白山駅」より徒歩10分
地図
周辺の寺社で頂いた御朱印(記事は下に続きます)
境内の見どころ
境内は江戸時代中期の姿をそのまま現在に伝えています。そして千本鳥居や見頃となったつつじ苑等の珍しいものがあるせいか、境内は外国人観光客で満ち満ちていました。
境内案内図

社号標・大鳥居

根津神社は南北どちらからも入ることが出来ますが、根津駅側の南の方が表参道のようです。
楼門(重要文化財)

かつて江戸内にあった神社の楼門で、こちらだけが唯一現存しています。

向かって右側の隋身は徳川光圀がモデルと伝えられています。
唐門(重要文化財)

創建時には極彩色に彩られていたのではないかと思わせるような門です。

現在は残っていませんが、天井に墨絵の龍が描かれていたそうです。
透塀(重要文化財)

全長で約200mあります。地中8mの深さまで基礎工事がなされており、300年以上経過した現在でも歪みは全く生じていません。
西門(重要文化財)

2本の脚で造られた棟門は構造上強度が弱く、現在残っている門は大変貴重です。
青銅灯篭(重要文化財)

拝殿(重要文化財)

1706年に5代将軍徳川綱吉が甲府藩主屋敷跡に建設して奉納しました。拝殿・弊殿・本殿が一体で繋がった権現造りで、総漆塗という極めて豪華な社殿です。

綱吉と言えば「元禄」です。天下泰平が続く中で人々の経済活動が活発化し、この時代は文芸・学問・芸術が著しく発展しました。そんな「元禄」のイメージ通りの社殿です。
本殿(重要文化財)

透塀の外から菱形に組まれた窓を通して覗くことができます。

透塀の内側からでは拝殿が邪魔になり、どう頑張ってもここまでしか見えません。
境内社
乙女稲荷神社
境内社の乙女稲荷神社はパワースポットとしてテレビや雑誌等で何度となく取り上げられています。


千本鳥居は都内でも最強の「インスタ映え」スポットとされています。

社殿は清水の舞台を思わせる眺めであり、縁結びのパワースポットとされています。
駒込稲荷神社

根津神社が移転してくるまでこの地は歴代甲府藩主の屋敷であり、屋敷の守り神として祀られていた神社です。
東京を代表するつつじの名所
根津神社のつつじ苑は東京を代表するつつじの名所であり、お参りした日はちょうど見頃でした。




6代将軍徳川家宣がまだ甲府藩主であった頃に屋敷の庭につつじを植えたことが起源となっており、一面カラフルなつつじに覆われていました。
文豪たちが居を構えた地
根津周辺は夏目漱石や森鴎外といった文豪が居を構え、数々の名作を残した地になります。根津神社には彼らゆかりの品が残されています。
文豪憩いの石

夏目漱石、森鴎外といった文豪が腰を掛けて構想を練ったとされています。
鴎外奉納の石

何の変哲もない水飲み場に見えますが、これが「鴎外奉納の石」です。もともとは日露戦争戦利品の砲弾を飾るための台座であったようです。裏に森鴎外の本名である森林太郎の銘があります。

「戦利砲弾奉納 陸軍々医監 森林太郎 陸軍少将 中村愛三」と読めます。
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