日御碕神社(ひのみさきじんじゃ)の御朱印は朱印に「奉拝」とだけ記された、出雲大社に倣った書式です。出雲大社から海岸線のドライブウェイを車で約30分走った島根半島の西端に位置する歴史のある神社で、朱色が目立つ境内は国指定の重要文化財で満ち満ちていました。
日御碕神社の御朱印
御朱印所
日御碕神社の御朱印は境内の御守所で頂けます。
初穂料300円
御朱印
新型コロナウィルス感染拡大防止策として御朱印は全て書置き対応でした。朱印に「奉拝」とだけ記された、出雲大社に倣ったものでした。
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境内は重要文化財だらけ
日御碕神社は島根半島の西端に位置しており、下の宮「日沉宮(ひしずみのみや)」と上の宮「神の宮」の上下二社からなり、両本社を総称して「日御碕神社」と呼ばれます。733年に完成された風土記である出雲国風土記において「美佐伎社(みさきしゃ)」、927年に編纂された全国の神社一覧である延喜式では「御碕社」として登場する大変に歴史がある神社です。
日御碕は12世紀に後白河上皇が編纂した歌謡集『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』において「聖のすみか」と記されるほどの修験の聖地であり、そこに鎮座する日御碕神社は古代より「日」にご縁のある神聖な場所として人々の崇敬を集めてきました。
現在の社殿は日沉宮、神の宮ともに徳川3代将軍家光の命により1644年に建立されたもので、境内は重要文化財だらけとなったいます。日光東照宮と同じ権現造の社殿は朱色が鮮やかで、大社造の本殿が多い出雲の神社の中では珍しく感じました。
海に近く風の影響を多く受ける立地であるためこれまでに幾度となく塩害や大風の被害を受け続けており、日御碕神社は日本で最も過酷な場所にある国指定建造物であるとも言われています。
アクセス
交通
出雲大社より車で約30分。
出雲の観光ガイドにおいてはよく「出雲大社より車で〇〇分」という表現が使用されています。バスの本数が少なく公共交通機関はほとんどないと言っても良い状況なので、出雲の神社を巡る場合はレンタカーを利用するしかありません。
稲佐の浜から日御碕灯台へのドライブウェイをひたすら道なりに走った途中にあります。
地図
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日沉宮(下の宮)
由緒
大鳥居をくぐり楼門を抜けると正面にあるのが日沉宮(下の宮)で天照大神が祀られています。もともとは近くにある清江の浜の海経島(ふみしま)に鎮座していた神社で、日本の昼を守る伊勢神宮に対して「出雲の日御碕清江の浜に日沈宮を建てて日本の夜を守れ」という神勅に基づいたといいます。その後、村上天皇の命により948年に現在地に遷座されました。
境内
大鳥居(重要文化財)
花崗岩の鳥居は1639年に徳川家光が寄進したものです。
楼門(重要文化財)
拝殿(重要文化財)
本殿(重要文化財)
門客人社(重要文化財)
「かどまろうどしゃ」と読み、門神と客人神(まろうどがみ)と言われる神様なのだそうです。背後の廻廊も重要文化財です。
蛭児神社
神の宮(上の宮)
由緒
素盞嗚尊が祀られている神の宮はもともと現社殿背後の隠ヶ丘に祀られていたものです。
神代に出雲の国造りを始めた素戔嗚尊が「吾が神魂はこの柏葉の止まる所に住まん」と柏葉を投げたところ、ちょうどこの隠ヶ丘に止まったといいます。そこで神魂の鎮まる場所として素戔嗚を祀る神社が建てられました。第3代の安寧天皇の時代に現在地に遷(うつ)したと伝わります。
安寧天皇は実在が確認されていない天皇ですが、もし実在していたとすれば遷座は紀元前536年になります。
境内
拝殿(重要文化財)
本殿(重要文化財)
手前にある玉垣も重要文化財です。
宝庫(重要文化財)
十九社
宝庫の隣接して建っています。
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