全国の御朱印を制覇したい!!

姉妹ブログ「全国のうどんを制覇したい!」「世界の蒸留酒を制覇したい!」「我が道を究めたい!」も宜しくお願いします。

枚聞神社の直書き御朱印と見どころを徹底紹介

鹿児島の枚聞神社(ひらききじんじゃ)では直書きの御朱印を頂けます。開聞岳をご神体とする神社で、北側の山麓に位置しています。勅使殿・拝殿・本殿という鹿児島地方特有の建築様式をこちらでも見ることができます。

是非こちらもご覧ください

全国のうどんを制覇したい!

世界の蒸留酒を制覇したい!

「我が道」を究めたい!

枚聞神社の直書き御朱印

御朱印所

枚聞神社の社務所

枚聞神社の御朱印は社務所で頂けます。授与所と違って分かりづらいのですが、社殿向かって左手奥の鎮守の杜の中にあります。こちらでは直書きの御朱印を頂けます。

受付時間 8:00~17:00

初穂料 500円

御朱印

枚聞神社の御朱印

歴史と伝統が感じられる御朱印です。こういう御朱印を頂けると本当にうれしくなります。

オリジナル御朱印帳

枚聞神社では2種類のカラフルなオリジナル御朱印帳を扱っています。

枚聞神社の授与所

御朱印と違って購入できるのは勅使殿横にある授与所で、サイズは小型のみです。

価格 1200円

開聞岳をご神体とする神社

枚聞神社と開聞岳

枚聞神社は開聞岳の北側の山麓に鎮座する神社で、元々は開聞岳をご神体とする山岳信仰に基づいていた神社であったと考えられています。開聞岳の噴火は開聞神の祟りであると見なされており,枚聞神社にこれを祀ることにより鎮めようとしていました。

社伝では708年に創建されたとされており、平安時代に編纂された歴史書「日本三代実録」には860年に従四位下の官位を加えられたという記述があります。当初は開聞岳の南側の山麓にありましたが9世紀後半の噴火により現在の揖宿神社の場所に移転し、その後に現在の場所に遷座してきました。

「薩摩国一宮」の地位を巡って薩摩川内氏の新田神社と激しく争い、また庇護下にあった勢力の御家騒動に巻き込まれて社殿を失ったこともあります。しかし島津氏の庇護を受けて神社は再興し、江戸時代の後半には現在の姿になりました。

ちなみに開聞も「ひらきき」と読めることが社名に関係している、というのは考えすぎでしょうか?

アクセス

交通

JR指宿枕崎線開聞駅徒歩約12分

開聞駅の外観

開聞駅も頴娃大川駅と同様にアッと驚くような外観です。大自然の中にいきなりホームが出現したような印象で、駅舎というものがありません。

開聞岳

駅を出ると目の前に開聞岳がそびえていました。

森と雑木林と線路

指宿枕崎線の山川~枕崎間は運行本数も乗客も少なく、無人駅だらけの絵にかいたようなローカル線です。至る所で森や雑木林が線路ギリギリまで迫り、木の枝が走行中の汽車の窓をバシバシ叩いていました。

指宿枕崎線の汽車

混雑する車内

しかし山川までは本数も多く、鹿児島市内南部の商業・住宅地帯を通ることから五位野あたりまでは2両編成とはいえ車内は相当混雑します。ガラガラのローカル線だと思って甘く見ないようにしましょう。

地図

鹿児島で頂いた御朱印(記事は下に続きます)

www.goshuinbukuro.com

www.goshuinbukuro.com

www.goshuinbukuro.com

境内の見どころ

第一鳥居

第一鳥居

第二鳥居

第二鳥居

鹿児島神宮の大鳥居と全く同じ両部鳥居で、2本の本柱の前後にそれぞれ低い控え柱を設けて貫ぬきで連結したものです。

手水舎

手水舎

鹿児島の神社は龍の口から水が流れ出る様式が多いようです。

勅使殿

勅使殿

勅使門が変形して社殿になったもので、鹿児島地方独特の建物です。

勅使殿と開聞岳

勅使殿の背後に少しだけ開聞岳が見えました。

天井絵

天井絵が見事です。

拝殿

拝殿

1620年に島津義弘が寄進したものを1787年に島津重豪が改築したものです。

本殿

本殿

鎮守の杜の奥に辛うじて見えました。

このブログのイチオシ記事 

www.kamageudon.com

www.blodymary.com

「評価に値する」と思われたらワンクリックお願いします。読者登録とブックマークを頂けるともっと嬉しいです。